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推しとの出会いはいつだって突然だった話


私の推しは、KinKi Kidsの堂本光一さんと堂本剛さん、
そして、Snow Manの宮舘涼太さんです。
どう見ても濃いというか…癖の強いメンツですよね、わかります。
そういう人が好きな傾向にある話は、前記事で既にしているので、
そちらをご参照くださいませ。

じゃあ、貴様はいつ推しに出会ったのか?いつから沼ったのか?

そんなことを思っている方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。
2記事目はそんなよくある出会い話から書いていこうと思います。


私とKinKi Kidsの話

実は両親がKinKi Kidsの初代ベストアルバムを持っていて、
幼い頃から車の中でずーーーーーーーーーーーっと!!
延々と聴かされていました。
もはや細胞レベルで刷り込まれていたので、車の中でよく歌っていました。
歌詞覚えていますもん、本能で。
いろんな意味で英才教育ですね。とても良い傾向だと思います。
ただ、当時の私は曲しか知りませんでした。
つまり、歌っている方の顔を知らなければ、どんなグループかも知りません。
幼き頃の私は最初、KinKi Kidsは5人組だと思っていました。
今考えると何を言ってるんだ当時の私…って呆れますが、
ジャケットを見たことが本当に一度もなかったので、無理もありません。
むしろ曲だけを純粋に好きだった時代があるという事実が、
その後近い未来に訪れた沼落ちへの大きなきっかけとして、
十分な伏線の材料だったかもしれません。

時は流れ、曲とグループ名しか知らなかった状態の私も小学生時代に突入。
ついにKinKi Kidsの姿を初めて目にすることになります。

と、その前に…実は私、小学校生活の半分を台湾で過ごしていました。
つまり、海外に住んでいました。
理由は父の仕事の関係による移住です。
もちろん日本のドラマも流れていたので観てはいましたが、
誰が誰だかはまったくわからない状態でした。
当時よく観ていた初期ごくせんの松本潤くんなんて、
最初嫌な奴だなーくらいにしか思ってませんでしたからね。結局いい奴でしたが。
という感じの小学生時代を過ごしていたので、日本に帰国した瞬間は
完全なる浦島太郎状態でした。
むしろジャニーズってなに?美味しいの?って本気で思っているタイプでした。

ある日、学校から帰ってきたとき、テレビ誌の「ザ・テレビジョン」が
リビングの床のど真ん中に放置されていました。

察しの良いみなさんはもうお分かりでしょう。

表紙を飾っていたのは紛れもなく、あのKinKi Kidsだったのです。
その瞬間、私の頭の上に雷が落ちたような衝撃が走ります。
さらに、幼き頃に細胞レベルで曲を聴かされていた、
KinKi Kidsの「硝子の少年」が頭の中でバーーーーーーーッと流れ出します。
想像してください「ビロードの闇」が発売された頃のあの爆イケ時代のビジュを。
あれを直接浴びてしまったわけなのです。
見事に沼に落ちました。

「こんなイケメンが硝子の少年歌っていたのかー!!!!」

もう「私の初恋は、KinKi Kidsです!」って胸張って言えちゃうレベルの
衝撃的な出会いでした。
あれから20年近く経ちましたが、やっぱり今でもその瞬間は忘れられないです。

ちなみに、Mステのビロードの闇事件(詳しくはググってください)も
当時テレビでリアルタイムで観ていました。キュンキュンしました。
確定演出というか、沼落ち要素というか、伏線を全回収して今に至ります。

父、母、なんかこんな娘に育ってごめんね!でも今人生めっちゃ楽しいよ!

最後に一言、KinKi Kidsはftr組です。


私とSnow Manの話

Snow Manとの出会いも本当に突然でした。
5年くらい前、友達から「Kis-My-Ft2のライブに一緒に行かない?」と、
誘いの連絡が来ました。
ただ、正直KinKi Kidsしかもういらん!好きにならんと思っていた私は、
そんなすぐにはOKの返事はしませんでした。
ジャニーズWESTのライブも最初は断っていた始末でした。
今思えばこれがきっかけで2グループとも沼に落ちたんですけど、
その話はこの場では割愛します。

でも断り続けるのも申し訳なかったので、東京ドームは近かったし、
キスマイのライブは結局行ってきました。
そのとき、バックダンサーとしてついていたのが、
まだあどけなさ残る6人時代のSnow Manだったのです。
当然、ラウールくんも康二くんも目黒くんも加入していない状態です。
どの時代かというとオリジナル楽曲の「ZIG ZAG LOVE」が
もらえたというあの時代です。キントレとかもあの時代じゃないかな?
そのときは「これがSnow Manかー!アクロバット凄いなー!」程度にしか
思っていませんでした。失敬。

そして1年後、今度は職場の滝沢秀明担の先輩から「滝沢歌舞伎2016」に
誘われました。
この先輩、凄いのはタッキー&翼のデビュー時からずっとタッキーのことを
追っていて、舞台も初演から引退されるまで、
毎年欠かさずずっと通っていた方なんです。
そのため、ありがたいことに歴代のDVDもいっぱい借りさせて頂きました。
しかし、内心は「推し誰もいないのに楽しめるのかな?」と、心配でした。
ただ、タッキーとSnow Manは出るとわかっていたので行きました。

そこで出会った1人の青年に心を奪われたのです。

どう見ても1人だけ光ったエンターテイナーの動きをされている。
どう見ても1人だけ声がよく通っていて、堂々としたお芝居をされている。

終わったあと、すぐさま「先輩!あの子誰ですか!?」と聞く私。
しかし先輩からは「ごめんね…私Jrの子わかんないの」と言われ撃沈。
青年の正体がわからないままではありましたが、
翌年の「滝沢歌舞伎2017」もありがたいことに誘われたのでついて行く私。
やっぱり同じ人がいる…!!

しかし、私も先輩もパンフレットはあまり買わない主義だったのと、
大勢いるJrの中のどのグループの誰なのかがわからなくて探し出せず…。
当時Jrもそこまでフューチャーされていない時代だったので、
情報があまりに少なすぎたのです。そしてラクして情報を得ようとする
私自身の怠惰も凄かったのです。
そんなこんなで先輩もご結婚され、今やお子さんを持つ母になりました。
一緒に滝沢歌舞伎に行く人もおらず、迷宮入りか…と思っていたときに
ある情報が解禁されました。

YouTubeに「ジャニーズJr公式チャンネル」ができたらしい。

すぐさまアクセス。グループ名を唯一知っていたSnow Manから
あの青年を探してみることにしました。
すると、あっけなくすぐに顔と名前がヒット。

「宮舘涼太くん…!!すっごくカッコいい!!」

紆余曲折、時間はかかりましたがこれが宮舘さんとSnow Manとの出会いでした。
その後、「キンプリアイランド」に行ったり「滝沢歌舞伎2019」に行ったり、
ライブに行ったりとあれよあれよと沼にハマって気づいたらデビュー。
今に至ります。

推しとの出会いはいつだって突然です。
だからこそ人生も面白いのかもしれませんネ!

みなさんの推しとの出会い方はいかがでしたか?

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