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亀戸第二アパートをゆく(東京)

東京都江東区、錦糸町のとなりに亀戸かめいどという町があります。都が指定する副都心のひとつだそうですが、Googleで検索すると「亀戸 危ない」という候補がトップに出てくる🤪 まあいいじゃない、そこは下町のご愛敬です。今回は、そんな川に囲まれた海抜ゼロメートル地帯を歩きます。


2023.07.07
いまから1年前、ちょうど七夕の日。あまのがわに星がまたたき、織姫と彦星が出会いを待つ、そんなロマンチックな日に亀戸へ降り立つ男がひとり。


JR亀戸駅に到着~🥳


ガード下の左手には水上バスのイラスト。右にも何か書いてある。なになに? 「亀戸の名所に粋な水上バス。どんとこい、江戸っ子待っている」う~む、わからん。


夕暮れ時だからか、駅前は多くの人でにぎわっていました。


暑さも落ち着いてきた住宅街のなかを歩いていきます。


しばらく行くと、大きな団地にぶつかりました。ここは亀戸二丁目団地。URの物件です。


複数の集合住宅からなっており、周辺にはここ以外にもアーバンライフというUR系の団地がある。


住人の年齢層も幅広く子どもの姿もあちこちに見られました。必ずしも高齢化が進んでいるってわけじゃなさそうね。


典型的な下駄ばき団地はむしろ活気があって、スーパーとか繁盛しているみたい。だがしかし、本日の目的地はここではない。


団地わきの通りを挟んで向かいに、ひときわ年季の入った建物が鎮座している。


1階は不動産屋なのかな。分譲マンションの物件情報がならんでいる。


それ以外の1階は空きテナントだな。静まり返っている。


壁面も劣化が進み、剥離が進んでいるみたい。こういうところから雨水が浸透していくんだが、補修もままならないということなのか🙄


壁伝いに回り込んでいくと、入口が見えてきました。ちょっとわかりにくいですね。


こんな感じ。小さな電灯の下に狭い間口の階段があります。


ここは亀戸第二アパート。1961年完成の物件で、築60年をゆうに超える。現存する都営住宅としては最古クラスに分類される。


階段はそのまま居住スペースである2階へと続いている。



音量注意!



さらに上階へ。


多くの部屋は既に生活を終え、扉も閉ざされている。


残されたのはレトロな機械装置と───


掲示板のみ。


見上げれば、むき出しの配管が原始的な生命力を感じさせる。


窓枠のペンキ。ちょっとでも指で触ろうもんなら、パリパリにはがれ落ちるよな。


それにしても、掲示板に貼ってあるこの注意書きが恐ろしい😵‍💫


さらに昇る。エレベータがないのでお年寄りには厳しいね。


最上階に到着しました。


あたりに音はなく、あるのは静けさと涼しさのみ。


左の鉄格子の先には屋上への階段が続く。もちろん施錠されているけど。


30年前の国勢調査。当時はまだ多くの住民が生活していたのかな。でも、現在このアパートの新規入居募集は行われていない。かといって、建て替え対象物件のなかにここの名前を見つけることもできない。


退去した部屋の一部は管理もそこそこ・・・・に───


あるじが去ったそのときのまま


時を刻むのをやめている。


かつての歓声と喧嘩の声、悲しい表情や笑い顔。


いろんな感情がないまぜになった、一人ひとりの記憶、生活の色。


全部がここにとどまったまま、


最期の日を待っているのかもしれない。


すべてを水に流し、なかったことになるまで。


でも……ここには、誰かの人生があったんだ。


足早に階段を降り、


現代へと立ち返る。


この場所もいつまで存続するんだろうね。


UR側の喧騒に目をやることもなく、超然としてそこに立ち続ける亀戸第二アパート。青みがかった夕刻の空を背景に、しばし言葉を失う。



そして、さらに1年後、おれはふたたびこの地を訪れた。


2024.08.24

いぇ~い🤟、亀戸駅アゲイン! 時刻は18:40です😎


住宅街を歩いていく。前回とあまり変わらない時間帯なのに、あたりはもう薄暗い。陽が落ちるのが早くなったと実感します。


やがて闇の中に佇むコンクリートの塊と1年ぶりの邂逅。


あいかわらず極狭の階段だなオイ。大人ひとり通るのがやっとで、すれ違うこともままならん。



音量注意!




前回とおなじ時限帯でも、雰囲気は完全に夜のそれです😵‍💫


鍵のついたポストは4つだけ。ということは、少なくとも残りの部屋はすでに退去済みということだろうね。


静謐さすら感じさせる廊下に、コツコツという足音が響き渡る。


物言わぬ鉄の扉のその奥には、


光と闇


ここに来るのも、おそらく今日が最後になるだろう


表に出て振り返ると、2つの部屋で窓にあかりが灯っていた。時はまだ止まっていないんだな。


さて、アパートをあとにし、再び通りを東に進みます。


夜の公園はムッとした湿り気の中、鈴虫が鳴いていました。


花火に歓声を上げる親子連れもいます。う~ん、夏休みだなぁ😉


さらに森の中を突っ切ると、なにやら開けた場所に出ました。


向こうにはレインボーカラーの橋も見えます。


飼い主だけの問題じゃないぞ。まず表情に反省の色が見られない😅。


橋までやってきました。ここは旧中川にある「ふれあい橋」です。


橋の上からはスカイツリーがよく見える。あれがデビルタワーか……。ラスダン感がとにかくハンパない。


そして川べりには慰霊碑が建てられている😔 そう、ここは───



1945.03.10 未明
いまから80年前。それはとても風の強い日だった。日付が変わったころ、東京の下町へ飛来したB-29による爆撃が始まった。
戦況は悪化の一途をたどっていたから、空襲なんてべつに珍しくもなかったけれど、この日のそれは普段と違っていた。

大量の爆撃機が低高度で頭上を飛び交い、無差別に焼夷弾をばらまいていく。方々ほうぼうで上がった火の手は、強風にあおられて町全体へと燃え広がり、そして退路を断たれ生きたまま焼かれていく人々。
泣き叫ぶ声と絶望。
炎をくぐり抜けた人々は、熱さから必死に逃れようと川を目指したんだ。そして川は人々で埋め尽くされた。もちろん、生きている人ばかりではなく。

これはただの虐殺の歴史。大義も何もあったもんじゃない。



墨田川しかり、荒川しかり。東京下町にはそんな過去を持つ川がたくさんあり、この旧中川もそのひとつ。

毎年8月15日には、この場所で亡くなった方々へ向けて灯籠流しがおこなわれる。昨年は台風で灯籠流しが中止になり、今年は行こうと思っていたんだけれど、例の感染症にかかるという大失態🥴

───だから───

1週間おくれだけど、

ひとりでいってきたんだ。


お手製の灯籠をこしらえて。



音量注意!


いまはこんな平和な時代だけどさ、じいちゃんばあちゃんの時代は簡単に人が死んでいたんだよな。朝にあいさつした人も、夕方にはいなかったり。それが日常的に繰り返されていて、そんななかでも喜びや笑いがあったんだから、なんだか信じられないね。

亀戸第二アパートが築60年。そう考えると、この川で起こった歴史も昔話にするにはまだ早いのかもしれない。

燃えるものがすべて燃え尽きてようやく鎮火した東京は、遠くが見通せるほどに文字通りなにもなくなってしまった。その街を先人たちが一つひとつ立て直してここまできたんだとするなら、やっぱり行動するって大事なんだと思う。



あれこれ講釈たれるのは簡単だけど、今の自分にできることを考えて、自分の意志で行動に移すことがまず第一歩だよね。正解なんてないんだから。

───だれに指示されるでもなく───

───自分の内なる声に耳を傾け───

───心のおもむくままに───