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探索のきろく

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フィールドワーク。地下、路地裏、洞窟、暗がり、サブカル、メット仕事。
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#一人旅

鯛生金山をゆく2(大分)

大分県が誇る産業遺産、鯛生金山の後半です。 前半はコチラ

鯛生金山をゆく1(大分)

大分県は別府温泉ばかり押していて、もうひとつワールドクラスの観光地があることをお忘れじゃないですかね。なんせ、こっちは鯛生金山のために来たといっても過言ではないというのに、大分県のWebサイトではほとんど触れられていないというね。それこそ宝の山のもちぐされ、まったく何やってんの。よしわかった、観光大使としての任を受けたからには、オレが強引に責任をもってこの場所をご紹介させていただくッ。 ちなみに東京から大分まで新幹線で5時間かかってます。気持ちすでに呼吸が浅い。 と、ここま

マインランド尾去沢をゆく2(秋田)

前回はコチラ しかし、マインランドは広かった。ここに到着したのが11時30分ごろ。そとにでたときは12時10分くらい。時間がなかったのでまっすぐ前だけを見据えて、わき目もふらずに速足で駆け抜けた(何しに来たんだ)けど、そのあいだ誰ともすれ違うことなく。 坑内がふたたび無人になり静寂の戻った今でも、あのマネキンのおにいちゃんはじっとしてるのかな。

マインランド尾去沢をゆく1(秋田)

またまた、PCの最奥部からサルベージされたファイルです。 十数年まえの解像度低めな記憶へ、いざ、アプローチ! 3月のあたま、秋田へ出張に行くことになったとき、おれの頭に浮かんだひとつの計画。マインランド尾去沢にいくしかない。 大雪でも営業しているというたくましい商魂を事前調査によって得ていたので、あとはもうひたすら高速を飛ばして秋田市内から疾走すること3時間30分(ホームページには2時間半って書いてあったけど、どうなってんだよ)、ひたすら夢の世界を信じて白一色のなかをアクセ

知覧特攻平和会館をゆく(鹿児島)

知覧といえばお茶で有名ですが、もうひとつ、国内有数の特攻隊基地があったことでも知られています。仕事の関係で去年まで鹿児島に数年間いたんですけど、そのあいだに何度もいった。 太平洋戦争の是非については人それぞれに見解があると思うけれど、そんなアカデミックな議論とはまったく別の次元で、「あした自分がどうやって死ぬか」という、極めてリアルな、選択肢も何もない、ただ決意だけを求められる時代があったということ。しかもそれが高校生や大学生くらいの年齢という。 いまは平和な時代だから、こん

呑んべ横丁をゆく(東京)

再開発の声もかまびすしい立石に、昭和の香りを色濃く残す歓楽街、呑んべ横丁がある。ここもまた、東京真空地帯のひとつ。 音量注意! コロナ禍で都市開発はいったん足踏みしているかもしれないけれど、皮肉にも同時に客足も引けてしまい、厳しい経営がつづくのはこの地区も同じ。 そんななかでも、いくつかの店では老若男女みんな楽しそうに飲んでいたことに少し救われた気がしました。 はやく以前のような状況に戻れるといいね。

第二海堡をゆく(千葉)

横須賀……とおもっていたら、つぎの行先は千葉だっつーじゃないですか。なので千葉県のなかの40,000㎡を堪能しよう、ということにして、一行は猿島をあとにし、明治時代から残る人工島、この旅の最終目的地である第二海堡へと向かいます。 音量注意! まさに洋上の要塞と呼ぶにふさわしい威圧感。 音量注意! 海が荒れるなか無事上陸。3回に1回は荒天により中止になるらしい 音量注意! 荒涼とした世界が広がっていて非常に心細い。もともと戦闘を想定した場所だから、そりゃ多少はね。

猿島をゆく(神奈川)

横須賀(のヒジョーに限られた一区画)を思う存分味わい尽くしてやるぜぇという企画第2弾です。記念艦三笠をあとにした一行は、そのまま、東京湾で唯一の天然無人島である猿島へと向かいます。 音量注意! もっとも、当時の燃料は今と違って石炭だった。煙突がついているのはそのためだとか。なるほどね。 音量注意! 一方で左側のくぼみにあるレンガ構造物はイギリス積み。この島は複数の工法が混在しているというとても面白い場所です。 そして一行は、いよいよ最後の目的地「第二海堡」へ向かいま

記念艦三笠をゆく(神奈川)

東京湾の西の入口、横須賀市。まだ暑くならない今のうちに、このエリア(のごくごく一部)を味わってやろうぜという企画の第1弾です。 今回は記念艦三笠をお行儀よく見学します。 つづく

国道駅をゆく(神奈川)

ゴールデンウイークまっただなか。 ようやく外出制限も緩和され、久しぶりの長期連休。 そこで出かける先とくれば、とうぜん国道駅ですよね。家族連れがピクニック気分で浮かれながら街を歩く中、ひとり流れに逆らいつつ国道駅を目指します。 音量注意! とりあえず、移動しましょうか。鳩フン公害に目をつむりつつ。 音量注意! とても令和とは思えない。ここだけ時が止まっています。開業は昭和5年(1930年)で、構内はほぼ当時のままらしい。1930年って簡単に言いますけど、ほぼ100年前

松代象山地下壕をゆく(長野)

これも、15年以上前のこと。酔った勢いだったんです。 夏のさなか、友達と別れたあと、足は家に向かわず、新宿から23:54発の夜行に乗って8時間半の長旅を敢行。たぶんね、どうかしていました。しかも地下壕をまわったらすぐに東京へ戻るという強行軍です。睡眠は電車のなかでとればいいやと思ってましたが、すぐに後悔することになる。 今でも覚えている。往路は未知の体験に対する期待でモチベが維持できているからいいけど、帰りが苦痛。長げぇよ、とにかく。しかも松代の滞在は2時間くらいだったから

清川名店街をゆく(福岡)

博多駅の近くにある清川交差点あたり。ここにかつて清川名店街というビルがあったことを知っている人は、どれくらいいるだろうか。いまの清川商店街じゃないよ。PCからサルベージされた過去の映像群をどうぞ。 ――そして、いまから数年前のこと 清川名店街は最初の撮影のあと、すぐに取り壊されたらしい。ネットで探してもここの情報ってホント少ないんだよね。写真も記事もほとんど出てきませんでした。郷土資料館とかに行けばあるのかもしれないけど。 この近くには柳橋連合市場という場所もあり、いまも

じゅらくビルをゆく(東京)

PCを整理していたら、ものすごく昔に撮った写真がでてきた。すでに現存しない建築物もある。なんだか懐かしかったので、さらしていきます。 調べたら、じゅらくビルは2006年に解体されたらしい。たぶん写真は最晩年の姿だと思うけど、保存するにしても安全性や費用負担の問題もあるし、貴重な近代建築が姿を消していくのも仕方ないことなのかもね。自分にできることといったらその雄姿を記録しておくことくらいで、それを思えば当時の若い自分はよくやったよ。 そんな、15年前の、暑い夏のできごとでした

博物館動物園駅をゆく2(東京)

(前回はこちら) 音量注意! この独特の雰囲気。上野は恩賜公園(天皇陛下からの賜りもの)ということもあり、非常に豪奢な作りになっています。 階段を下りていき、ホームにまで立ち入ることができるとか、感動です。 音量注意! なんだろう、この昔の女神転生みたいな感覚は。 音量注意! ホームのはずれは薄暗く、やはり立入禁止ではあるんだけど、METROシリーズのような世紀末感に惹かれてふらふらと足が勝手に動いていく。 音量注意! 壁や天井の装飾も素晴らしく、職人の誠実な