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アンコンシャスなマンスプレイニングってことよ、それは

友達にまた、レコメンドしてもらった本。まだ読んではいないけれど、タイトルと見出しを読んでふむ。と思ったところ。

"マンスプレイニング"って言葉を教えてもらったのは2年前くらい。あるなー、それって感覚でした。

男性の持つ「女性は自分より知らない・わかっていない」という前提の根拠が差別意識にすぎないことを指摘するものだが、一般的には「男性が、女性を見下すあるいは偉そうな感じで何かを解説すること」とされる。

あるある、と思った方多いと思います。

(しかし男性も、らしさの中でたまに苦しんだりしてるのだと思うけど。)

男性が優位なのは当たり前、というアンコンシャスからくる、女性はオレより何も知らないから教えてやるよっていうやつ。

その意識って、どのくらいの男性が持ってるんだろう。個人的にすごく気になります。

しかもそういう意識って、子供の頃に無意識に植え付けられている、もしくは入ってきているから、今も無意識である場合が多い気がしますね。

そして、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)にみんなほぼ、洗脳されていると思う。

無意識ってほど怖いことはないけれど、意識してしまうと心理的負担は増える?いや、意識しない人がマイノリティになれば社会は良くなっていく。ような気がする。

それには、理解をする人が増えればいいのです。これはもしかしたら誰かの負担になっているかもしれない、これは良くないことなのかもしれない、これは…と気づくこと。

大人になるとそれを忘れてしまうのかもしれせん。だから、子供の頃が大切なんだと。なぜなら無意識を植え付けるのには最高の状態だから。恐ろしい。

男性にも女性的な部分はあるし、逆もあるけれどしかしそれは本当にそれで分けていいのだろうか?

人類の中の男性と女性の括り、それが和らいでいくことはよりしあわせな人類になっていくきっかけになるんじゃないかと、ひっそり考えています。

そもそも、性差を実感するのは内発的なことであり、その外部からの押し付けによって苦しむ人もいるのは、いろんなところで言われている通り。

大人が、そのアンコンシャスを意識的に理解するためには、どうすればいいのだろう。

それは、知らない世界に身を置くこと、新しい環境に触れてみること、だと思います。

何もリアルではなくとも、きっかけさえあればいくらでも知り得る時代。

そういう好奇心を、誰もが持てる時代になるといいな。そして、自分が理解できない人にも寄り添える時代になると、生きやすいんだけどな。

秋から冬へ。こころも少し、縮こまってくる。自尊心にまで及びそうだ。

こんな時は、とりあえず身と心を流れに任そうかな。と思います。

みなさま、晴天の秋空、存分に。良き午後を!

#午後の一曲

たまには、歌詞がない曲を。どうにかなるさと、思いつつ、どうにかならなかったらどうしようと自問自答を続けるのは辛い。

そう言うのが少しでもヒトの力で柔がないかしら。何ができるのかしら。








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