休職日記 〜声を出す〜

 昨日5億年ぶりにカラオケに行った。するとびっくりするぐらい声が出なくて笑けた。元々リズム感もない上に声もヘロヘロになってるのだから聞くに耐えない。友達は歳を重ねても相変わらずがなる(シャウト?)ような歌い方をするのであるがもう私はついていけない。しかし今日目覚めるといつもより声の通りが良くなって元気になった気がするので、やっぱりしゃべることは必要だなと思う。

 元来一人の時間を欲しがるものだから必然的に会話量は少ないし、仕事が休みのときは次の出勤まではコンビニ店員に袋がいらないときに「あ、大丈夫です。」と発するのみで終わる時もあるぐらいだ。月曜の最初の挨拶は痰が絡んだり、ボリュームがガバガバになっていたりする。また、どちらかというと自分のモットーが不言実行だったので、なにか言うことが説明過多だと思ったり、不機嫌になると無口になったりする。前者については多分映画をみるようになったことと、テレビ番組があまりにもテロップを出すからそれに嫌悪感を覚えるようになったことが少なからず影響しているかもしれない。そうやっていつの頃からか無口である方がスマートだと考えていた。今は言わないとわからないよな、ということを感じる場面が多々あると思うようになったのである程度対話をしていこうと思うようになった。ただ不機嫌になると喋らなくなる性格はなかなか直せない。そして、しゃべらない最大の理由はしゃべると阿呆がバレるからだったりもする。

 話は変わって、今日は土曜日だし天気が良かったので街へ出た。あまりに家にいる時間が増えていたため、なんだか都会に出るとひどく疲れる。情報量の多さに圧倒される。若い人の活力に気圧される。それでもぶらり出かけた理由は、本屋と楽器屋に行きたかったからだ。独立されている本屋を巡りたくて街まで足を伸ばした。計3店舗ほど回ったがどのお店も穏やかな時間が流れていた。店員さんも穏やかな雰囲気だった。ただ私は古着屋さんとかでもそうなのだがあまりにも店員さんと距離が近いお店に行くとかなり緊張するたちで、しかも結構外が暑かったもんだから汗をだらだらかきながら本を見ていた。それでも古着屋さんより圧倒的に内輪な雰囲気は少なめだったので入りやすかった。どのお店も個性があり素敵だなぁと思った。そしておいてある本もつい手を取りたくなるような本ばかりであった。

 楽器屋も立ち寄った。案の定ではあったがギターを見ていると無性に弾きたくなった。休職して急遽実家に戻ったものだから部屋にギターがない。そこで急遽音楽スタジオを調べ個人練で弾ける場所を探した。こういうところはなかなかアグレッシブである(お金がない引目は感じるが)。1時間だけ入ったらあっという間に時間が過ぎた。そのときやっぱりギター弾くの大好きなんだなと再確認した。もう年齢的に上手くなれないなぁと悲観的だったし、ずっと下手くそなことにコンプレックスを感じてきたけどやっぱり弾くのが好きなんだと思った。実家に戻ったときすぐにギターを買おうかなと思うことは何度もあった。ただ、自分が入院した仮定してすぐなにかものに頼るのは良くないなと思った。あえてPC一つでできるストレス発散法を身につけておいた方がいいかもしれない、と思った。その結果こうやってnoteをで日記を書き、DTMでチマチマ打ち込んだりしている。DTMに関してはストレスの方がたまってるんじゃないかというぐらいイライラすることもあるが、何か自分なりの発見があったときの嬉しさがある。

 やっぱり私は音楽が好きだ。ギターを弾くのも声を出すのもエネルギーがいる。そのエネルギーをうまく発散して明日を生きる活力になれば理想だ。と感じさせられた1日であった。

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