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表現・批評としてのコレクション「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」

アートは決してアーティストだけのものではない。もちろん、アーティストは素晴らしい存在であり、私自身、彼らにはなりきれなかったという個人的な感想はあるが、それはさておき、創造におけるアーティスト以外の関わり方の重要性にも目を向けるべきである。

「レディメイドを前にして、観衆の方が作家に後れを取るという点を覗けば、作家は観衆と異なった一にあるわけではない(ド・デューヴ)。芸術家は、理想の芸術生産さから、理想の芸術鑑賞者へと変貌した(グロイズ)」

小崎哲哉:現代アートとは何か、河出書房新社、p.264

2024年8月3日から11月10日まで、東京都現代美術館で開催されている「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」は、まさにアーティスト以外の視点からも批評性を持ち、ある種の再創造を促すような展示となっている。


コレクターとしての二つのアプローチ

アーティスト以外の人がアートと関わる方法として、単に鑑賞者としての態度だけでなく、「作品を買うコレクター」という手段があり得ることを気づかせてくれる内容である。

これはラボの指導教員の講義からの引用ですが、コレクターには二つのパターンがある模様。一つ目に好きな「アーティストを応援するため」に作品を集める場合、二つ目は「作品自体が好きで購入する」場合である。高橋さんの場合は後者に該当し、一人のアーティストの人生における系譜をたどり変化を実感するというより、コレクターが伝えたい社会的メッセージや社会に対する批評性がより際立つ特徴かもしれない。

展示構成

1. 胎内記憶
1946年、敗戦の翌年、日本国憲法が制定されたのと同じ年に、本展覧会の「眼差し」の持ち主である高橋龍太郎は生まれました。本章では、ここから彼の収集が本格的に始まる1990年代半ばまでの、いわゆる「戦後」50年間の文化状況をコレクションの「胎内記憶」として、高橋がのちにこの時代の思い出を懐古するように収集した、若き日に影響を受けた作家たちの作品から辿ります。

日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション

柔軟な心で戦後の日本を捉える内容


コレクション展には、草間彌生をはじめとする著名な作家の作品も多く含まれており、今回のテーマである「胎内記憶」や「日本の戦後」という文脈を踏まえた若手作家の作品を購入している点も注目すべきポイントだと感じた。高橋さんの精神科医としての背景からくる、人間観察力や洞察力が、コレクションの選定やテーマにもされている感は見受けられた。

村上隆《ポリリズム》1992年
会田誠《紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず) (戦争画RETURNS)》1996年
川内理香子 《stars》2019年

年齢で線引きをするつもりはないが、70代を超えて今の20代前後の若手作家の作品を購入できるというのは、相当頭が柔軟でなければその魅力や良さに気づけないのではないかと思う。少し大げさな表現かもしれませんが「若さ」とは、「肉体」ではなく「精神性」に宿るのではないかと実感する訳だ。少なくとも自分が70代になったときに、高橋さんのような柔軟な世の中の見方ができるようにしておきたいのだ。

特に、高橋さんの精神科医の仕事は、人々が困難な状況に直面しているときに助けることで稼ぐ職業だと比喩することもできるはず。しかし、その中でコツコツ作品を購入してきただろうという背景が想像をよぎるからこそ、なお、一つ一つに対する作品を買った意味や目的みたいなものが伝わるのではないだろうか。

虚栄心か批評か コレクションの真価を問う

ZOZO創業者の前澤氏は、アートコレクションを所有していることで知られており、そのコレクションをYouTube動画で公開している。しかし、正直に言って、その内容からは高橋さんのコレクションに対する思いとは対照的な印象を受ける。彼のアプローチには、自慢や虚栄心が感じられ、「アート=おしゃれ」といった軽いノリが見受けられ、その点に違和感を覚えてしまう。

プルーヴェのランプが 「おしゃランプ」らしい。(19:52 / 32:03)

そう思えば、少し誹謗中傷的にならないように気をつけなければいけないとは思うが、作品を購入するということは「資産」として運用する側面もあるだろう。権威性のトークンとかいってしまえば聞こえが悪いかもしれないし、実際そういう側面もアートが抱えている特殊性といって納得することも重要だとは思う。しかし、個人的にはそっちを支持したいとはあまり思えない。

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