見出し画像

今までありがとう。


 4月の半ば頃、まだま村を長年支えてくれたスタッフの仲間たちにコロナ収束を待たずに、今までやってきたカフェはいったんクローズすると伝えました。みんなはずっとカフェが続くと思っていたみたいでした。
「信じられない!」
「お手伝いするのが心の支えになってたのに。」
「寂しすぎる!」
「ショックです、でもこんな状況だから仕方がないです。」
といった失望と悲しみのラインメールが次々と入ってきました。なかでもスタッフのさとみさんの息子さん2人(10さい、8さい)はまだま村で体験学習としてお手伝いしてくれた時、高校生になったら必ずここでバイトしますと宣言してくれました。その言葉がずっしりと胸に残っています。

 お客様との心あたたまる愛に満ちた交流の数々、いろんな思い出があふれるようによみがえってきます。まだま村縄文カフェをクローズすると決心した時、瞬時にして幕が降りたような気がしました。
 20年以上というエネルギッシュだった時の流れがいきなりピタッと止まり、次のステージにいやがおうにも進まなければならないように思いました。時間の長さよりもむしろコインの表が裏にクルリと向きを変えたようなそんな感じがしました。
 
 まず私は今までの残務整理をすることから始めました。
下駄箱の横にスタッフたちが置き忘れていった何足かのスリッパを片付け、食洗機に入ったままの食器を1つづつ、もとの棚に戻しました。カレーに使おうと思っていたザルいっぱいの玉ねぎやじゃがいも、人参などが板の間に溢れ落ちていました。私はそれを小分けし、自宅で使うことにしました。

 30年前まだま村は20軒分の古民家を全国から集め、縄文縦穴式住居を現代風にアレンジして建てられました。円型に竹を組み、土壁を作り、1.5mくらい穴を掘って3段ほど階段を降りたところがホールになっています。12mほどの高さの天井を見上げると、100年から300年前の大きな梁(はり)がずっしりと黒光して視界に入ってきます。
 その建物に隣接したこじんまりとした2回建の長家風の古民家は私の夫が「かぐや亭」と名付けました。そこの2階はよく著名人たちが訪れお茶を立てたりして、交流を楽しんでおられました。
1階の狭くて小さなキッチンが私の活動の場になりました。
当時お料理はあまり得意ではなかった私が、カフェブームでいきなり料理人に祭り上げられよくわからないまま縄文ランチなるものを作り、お客さまにお出しするようになったのです。

毎月1回まだま村で縄文ママのワークショップを開催します。
詳細はこちらから




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?