ある日の総合病院

病院の長い廊下には、まだ午前中の患者が折れ重なるように古びた椅子に坐り、自分に廻って来る順番を待っていた。どの顔も、病いを抱えている不安と焦燥に疲れ、落着きのない表情で、探るように互いの顔を見詰めている。

山崎豊子『白い巨塔』新潮社,1965

 8時50分、予約時間の20分以上前に無事到着。食中毒で救急対応されて以来の大病院、おっしゃ財布も病院用ポーチも忘れてないぞ、とリュックを確認したら肝心の紹介状が無い。病院に着いてから気付くのが発達障害たる所以である。医者に舐められないように妄想シミュレーションしてる場合ではなかった。
 先に予約票だけ預けてから取りに行けないかと考えたが、受付は銀行か区役所のようなシステムになっており、整理券をとって待つ時間がロスなので大人しく来た道を戻る。
 紹介状を無事確保したあとはタクシーでショートカット。日常の隅々で時間とお金を無駄に消費する羽目になるのが発達障害者である。財布に五千円札しか見つからなくて渡したらジジイの運ちゃんがヨボヨボとした手つきで見当たらない千円札を探していた。(病院用ポーチに千円あったのでそちらで精算した)

 9時23分。発券機から整理券をとる。待ち人数は6人。その間もソファに増えていくジジイ、ババア、高齢者に高齢者。予約時間の9時半が当然のように過ぎる。システムに適応できない不良品でごめんなさい。
 第一関門を突破し次の工程へ流される。呼出端末を首から下げると、いよいよ俺も被管理者である。合理化されたシステムと病人は相性が悪い。今回はただの咽頭痛だけれども、癌であろうが同じなんだものな。
 外来の待合室は老若男女バランスがよい。右斜めに半身不随の娘を介護する老いた親を見る。皆んなパラレルワールドの私である。夥しい数の、明日の私の可能性である。端末から小さな世界が流れて診察室前のソファまでたどり着く。予約時間は9時半~10時。現在10時30分。

診察は医院だろうと大病院だろうといつもあっけない。はかない。確かに炎症はあるが悪化することもない。心因性の神経症。付き合っていくしかない。のどぬ~るスプレーは付き合う相手として正しかったらしい。
医者はきちんと内視鏡の映像を繰り返し見せ、順を追って説明し、病名をつけてくれた。『白い巨塔』の鵜飼先生、鵜飼先生はヤブですけど「すぐ適当な病名をつけてやって、一応安心させてやることだ」と言った意味が芯から理解できますよ。インフォームドコンセントが普及した現在だって、結局我々のようなズブの素人は弱者なのだから。

自動支払機からペッと出てきた領収書は熱を持っていた。普段行けない院内併設のカフェで優雅に過ごした。メンクリの主治医にこのオチのない話を聞いてもらおう。


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