【映画評】セシル・B・デミル『地上最大のショウ』(The Greatest Show on Earth , 1952)
サーカスの象とディズニー
映画が作られたのは本作の方が大分後だが、『ダンボ』(1941)のサーカス描写の直接的モデルとなったベイリー&バーナム・サーカス(1907年にリングリング・ブラザーズが買収)の様子——サーカス列車、テント設営、象のショー等々——を本作から知ることができる。
劇中の台詞によると、列車で移動するサーカス関係者は1400人という大所帯。テント設営にはアフリカ系の人々が数多く動員されており、象も実際に労働力として使われている。サーカスの観客は見事なまでに「白人」だけで、アイスやポップコーンを片手に演目に見入る彼らを写すショットはある種その生態の記録と見える。
サーカスの終盤に大テント内のトラックを出演者たちが象や馬車に乗ってパレードする様子はディズニーランドのエレクトリカルパレードを想起させる。実際にディズニー公認らしい着ぐるみミッキーマウス、ドナルドダックらも登場する。ディズニーランドがカリフォルニアにできるのはこの3年後(1955年)のことだ。
ディズニーランドは(有馬哲夫が言うように)かつて「大衆娯楽としての王様」だったサーカスの後継である。施設が移動することはなくなったが、また本当の動物はいなくなったが、『ダンボ』にまつわるアトラクション——空飛ぶダンボ、日本にはないサーカス列車ケイシーJr. ——にその名残は留められている。
ある「象使い」の死
本作のクライマックス・シーン——「列車の衝突」シーン——で蒸気機関車に轢かれたのは、クラウスという元「象使い」(ライル・ベトガー)だ。巡業サーカスの座長ブラッド(チャールトン・ヘストン)の不興を買って職を失った彼は、サーカス一座への復讐(収益金の強盗)を試み、結果、さらなる不幸(死)をその身に呼び込むこととなった。
思い返せば1885年、バーナム・アンド・ベイリー・サーカスの巡業中にジャンボの命を奪ったのも蒸気機関車であった。この「地上最大のゾウ」の死は、近代的テクノロジーに対する「自然」の敗北を象徴した。翻って上記クラウスの死は、サーカス(映画)の花形たる象とそのショー、延いてはサーカス全体の命運に(映画の内外で)暗い影を投げかける。実際、石井達朗が指摘するように、映画のなかの象は1990年代にもなると〈死のイメージ〉をまとうようになる。
その影は遂に映画の外にも波及する。本作に登場するリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム&ベイリー・サーカス(1919年に上記ベイリーズ・アンド・バーナム・サーカスを吸収)は2017年まで実在したアメリカ最大のサーカスだが、この一座が人気を失い廃業に追い込まれたのは、動物愛護団体からの抗議を受けて象のショーを取りやめたためだった。
参考文献:石井達朗『サーカスのフィルモロジー − 落下と飛翔の100年』、新宿書房、1994年/有馬哲夫『ディズニーランドの秘密』、新潮新書、2012年。
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