B010_対立を読み解く ~キーワードは「主観と客観」~(1)
皆様、いかがお過ごしですか。
1カ月ぶりのnoteです。私のことを覚えていてくれたら…有難いです。
いつも、まるで仕事をしているかのような気合を込めて書いていましたが、ちょっと今回は楽に、書くことを楽しめればと思います。
『対立』の本質
ついつい、タイトルを難解なものにしてしまいました。
「対立を読み解く」
『対立』なんてワード自体、緊張を誘うものであまり目にしたくないなんて方もいらっしゃるかもしれません。
でも、実際、世の中は対立だらけ。この人とあの人の対立。あの集団とこの集団の対立。果ては自分の中にも天使な自分と悪魔な自分とで対立が…なんてことも。
そもそも、対立ってどうして起きるのでしょう。
対立なんて、誰も望んでない…ですよね。おそらく。
でも、対立は、どうしようもなく起きてしまうんです。
なぜなら、「私」と「あなた」は別人だから。
私の中にすら、「さまざまな私」がいるから。
この世に、存在するのが「ひとつ」なら、対立は起こらない。
二つ以上が存在すれば、物体同士なら衝突する。互いが透明にすり抜けていくことはない。
人の考え方、感じ方、思いも同じ。100%完全一致はありえない。
だから、対立がないということがもうすでに不自然なことなのです。
どちらか一方が「相手に気を使っている」か「本音を隠している」。
対立は、物事の前提なのです。
「正解のある世界」と「正解のない世界」
『対立』とひとことでいっても、その中身は様々です。
特に注目したいのが、「その対立には正解は存在するのか」ということ。
これは非常に重要なポイントです。
たとえば、私は社労士でもあり、リーダーシップやフォロワーシップ、もちろんファシリテーションなど職場の人間関係、人材マネジメント、業務効率化などの組織開発に携わる者でもありますが、だからこそ思うことがあります。
労働法、特に労働基準法は強行法規(労基法を下回る契約・約束などは一切無効)ですから、例えば「年休5日取れないので、買い上げてください」と言われた経営者が「わかった。そうさせてもらうよ。」と買い上げに応じたとしても無効です。つまり、「買い上げ」の約束は両者の認知するところであっても、労基法がこれを認めません。
つまり、「正解のある世界」です。
誰がどう言おうと、正解は一つです。だから、このような世界では「知っている人」が強い。対立したところで、正解を知っている人の意見が通ります。なぜなら、それが正解だからです。正しいからです。
一方、「リーダーに求められるのは資質か言動か柔軟性か」に対する答えは無数に存在します。
そこには知識・ノウハウだけでなく、価値観・経験など構成人員の個性・特徴により、無数のパターンが存在します。
業務効率を高める方法だって、いろいろです。人それぞれ、何を見ているか、何に困っているかで考え方は異なり、優先順位も変わっていく。
これらは「正解のない世界」です。
正解のない世界の対立は、好き嫌いに発展します。
私はこの人と合うが、あの人とは合わないに展開します。
これで、場は整いました。
いよいよ「主観」と「客観」の登場です。
あなたの「主観」を認めるという関わり方
主観とは、「私の考え・意見・感じ方」です。
客観とは、「絶対的な真実で否定できないこと」です。
よく、会話の中でこんなことを言う人がいます。私もつい使ってしまうことがあります。
それが、「客観的に見ると」とか「客観的な立場で言わせてもらえば」等々。
人間は物事を客観的に見ることができませんし、客観的な立場に立って考えることなんてできません。
人間である以上、その人の意見は主観です。誰も物事を客観視することはできないのです。
それでも、「私は客観的に物を言っている」と言う方がいます。それは、厳密には「距離を置いて見ている」「俯瞰的に見ている」「第三者的な視点で見ている」という意味に過ぎません。
・・・すみません、そんなことを言いたいわけではなくですね・・・
要は、みんな「主観」でものを言っているのです。
前述の通り、法律であれば正解があります。ある意味、客観が存在します。
年休の買上げが無効になるのは、客観的事実です。
そう、この「事実」という言葉こそが対立の犯人なのです。
私の意見は主観的事実です。私の意見は客観的事実だと自分が誤解しているから、相手は反発するのです。なので、相手は本来、こう言いたいはず。
それって、あなたの意見ですよね。
どこかで聞いた事あるようなフレーズですが、まさにそういう事なのです。
「正解のない世界」で客観的事実を述べようとするから、対立は生じます。
返報性の法則です。相手も自分の意見を強く主張したくなります。
結果、相手も自らの意見を客観的事実かのごとく、強く主張しますが、これも結局は主観的事実に過ぎない。
PREP法を用いて、客観性を帯びようと努めたところで、主観的事実には変わりない。
では、どうするか。
小見出しの通りです。
あなた(相手)の主観を認める関わり方をすれば良いのです。
それって具体的にどうすれば良いの?
興味を持っていただけたら嬉しいです。
答え(私の主観)は、「聴き合うこと」です。
まずは相手の主観に耳を傾けます。
カウンセラーが行っている傾聴は、言うなれば、相手の主観的事実を受容すること。そうして、相手のあるがままを聴かせて頂くという関わり方。
私の主観的事実を受け入れてくれたという経験は、私にこころのゆとりを与えます。殺伐とした現代社会の対立が生じない場、それは主観というキーワードで説明可能です。
まだまだこの話は続きますが、
2200文字を超えたようですので、今日はここまでにしたいと思います。
最後までお読み頂けた方がいらっしゃったら・・・有難いです。
続きも書きました。……是非!
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