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生産的であり続けろ、という声にとらわれて: "How Should A Person Be?" by Shelia Heti / "The Black Monk" by Anton Chekhov

"How Should A Person Be?" by Shelia Heti


 Productiveという言葉はいつからか魅力的になった。休日は有意義でないと間違っている気がする。自分が一時間長く寝ている間に自己研鑽をしている同世代がいる。常に進捗がないと心を健康に保てない。趣味も友人関係も休み時間も何かを生み出していないといけない。きらびやかな写真を添えてSNSを更新すれば少し心が休まる気がする。常に誰かと自分を比べ続けている。なんとも終わりのないマラソンを走り続けているような気分になる。こんな状態が珍しいものでなくなったのはいつからだろう?自分はどうなったら、ここから抜け出せるのだろう?
 Shelia Hetiによるフィクション"How Should A Person Be?"のPrefaceを読んだとき、こういった若い世代の、時代の病の原液を喉に流し込まれたような気分になって頭を抱えてしまった。人はどうあれば"正解"なのか?どうあれば安心していいのか?という問いに対し、本書では以下のように続く。

How should a person be? I sometimes wonder about it, and I can't help answering like this: a celebrity.
(中略) By a simple life, I mean a life of undying fame that I don't have to participate in. 

"How Should a Person Be?" by Shelia Heti, 2012, Vintage, p. 2

 Celebrity, 有名人として誰もに認められること。これが真っ先に出てくるところ、現代の、特に若い世代の人には刺さってしまうのでは…と思いながら読んだ。何かを成すこと、ではなく誰もに知られること、と表現される通り、"正解"か否かの判断は、自身でも客観的な指標でもなく、顔のない他者に委ねられている。自分のことばかり考えているはずなのに、自己認識は他者の視点を介してしかできない。"How Should A Person Be?"は、繰り返す自問自答からなる冒頭数ページに強力なフックを持って読者を引き込む小説になっている。主人公の名前が著者と同じだったので気づいたけれど、これは著者の現実での体験をもとに話を構築・フィクション化した、いわゆるオートフィクションにあたる作品らしい。書評にもあるような"young, self-involved characters"として描かれるSheliaの姿があまりにも強烈なので、オートフィクションというジャンルの広さや自由さについて改めて驚くことになった。Shelia Hetiさんの作風なら、オートフィクションに拘らずとも読者を惹きつける作品が出てきそう…と思って調べたら、そういう書評(と新作)の記事を見つけた。

 "How Should A Person Be?"は、自意識が強く、何者でもない自分を見つめて苦しんでいる若者の姿を一人称視点で鮮烈に描くことが主題の作品。その一方で、私がこの作品を気に入っている理由の一つに、こういったパーソナリティを持った若者視点でのセックスとの関わり方が一つのテーマになっていることがある。主人公のSheliaにとって、この作品は強すぎる自意識と時代の病から少しずつ抜け出す話でありながら、あまりにもtoxicな肉体関係の解消、セックス中毒からの脱却を経験する話でもある。セックスの問題やパートナーとの関わり方の話題って、日本だと文学作品含めてあまり大きく取り上げられることが少ない(趣味嗜好としてのポルノはやたら多いが)ので、こういう問題に真正面から接することができるのは第二・第三言語を持つことの利点だな〜と思う。私が好きでよく読んでいるThe Guardianのlifestyleの記事でも、Relationshipというカテゴリで常にパートナーとの関わり合いやセックスの問題についての記事が更新され続けている。なんなら読者のお悩み相談コーナーや、それに対して読者が意見を投稿する企画がある。

"私のパートナーは陰毛が嫌いというのですが、私は剃りたくないです。どうすれば?" 

 パートナーとの関係の問題って、ただでさえ閉鎖的になりやすいところなので、こんなふうにパブリックな問題として論じる流れがあるのはかなりいいことだと思う。自分のセックスなんて客観視したくねぇよ!という気持ちもわかるけれど、一人で完結することでもないので、そこをなんとかやっていくしかない。
 そういえばちょっと前のthe New YorkerのShorts & Murmursはちょっとかなり攻めたネタをやっていた。夫に幸あれ…。


"The Black Monk" by Anton Chekhov

 Productive繋がりで、最近読んだアントン・チェーホフの短編集 (英語訳) より"The Black Monk" (黒衣の修道僧)を。ある日、どこで読んだか分からない、"黒い着物を着た修道僧"の伝承が若い学者の頭の中に居ついた。ついに若者は黒い修道僧の幻を見るようになり、自分は"the chosen one"、神に選ばれた特別な人間なのだと確信するようになる…という話。神の使いというにはあまりにも不気味で得体が知れず、若い学者の自意識を体現したように耳障りのいい言葉を吐く修道僧の姿が印象的。
 本書の紹介文では、天才と狂気の狭間を描いた作と評されているけれど、どちらかというと私には、高い能力を持つ若者の驕りと自意識を描いた作品に見えた。主人公の若者は、自らを選ばれし存在、人類のために功績を残す学者として捉えるようになる一方、自分以外を何者でもない群れとして見下すようになってしまう。天才的な能力が人類全体にもたらす益は非常に大きいが、そこに驕りが黒く混じったとき、丁寧に手入れされ、守られてきた文明(この話では、婚約者の父が守っていた西洋式の庭)は脆く崩れてしまうのかもしれない。話の最後に、黒い修道僧が主人公に投げかける言葉も強く印象的だった。"私を信じていれば、この人生最後の2年をもっと生産的(productive)に生きることができたのに…。"

表紙デザインが最高でした

 この作品集は若者が主人公のものが多く、特に巻末の"Student"では自分がトルストイやドストエフスキーに熱中していた中高生の頃を思い出して嬉しくなった。異性を魅惑して利用するが決して大人として誠意を見せることはしない(それも無意識に!)、河合隼雄さんがかつて指摘したような"永遠の少女"をビビッドに描いた短編も複数あり、うーん美しい…と唸りながら読んでいた。いつものことながら、名作を読んだ後は「なんで今まで読んでなかったんだろう…」と波打ち際のワカメみたいに伸びてしまう。すごく面白かった。



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