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小説家というクレイジーな職業

こんにちは!
CANです。

You Tubeを診ることで、ネットサーフィンをすることで、現実逃避をし、無限の泉の水を浴び続ける人生になっていたことに昨日気付いた。
#はよ目覚めろ
#もっと生産せよ
#もっとのめり込め

さて。
今日は『小説家というクレイジーな職業』というテーマでお話したいと思います。

大量のインプットとアウトプットこそ肝要

壮大な世界観の小説を書くには、常にそれを考えていなければならない。誰と誰がどのような関係で、どんな生物がいて、気候はどうで、文化はどのようなものなのかetc.

つまり、いわゆる普通の生活をしている人には到底創造できない。

普通の生活とは、毎日勤務後にどこかの飲食店でご飯を食べたり、華金で同僚や上司と居酒屋に行ったり、土日に友達や恋人と遊びに出かけたり等である。

普通の生活をしていては、とんでもなく壮大で悪魔的に繊細な世界観は創造できないのだ。

また、そのような世界観を創造するには、思考材料となる大量のインプットが必要だ。
過去の国内外のファンタジー作品はもちろんのこと、歴史や神話等、幅広く、深い知識がなければならない。

その上で、面白いストーリー展開や伏線の配置などを考え抜かなければならない。
常人にはできないだろうし、尋常じゃない熱量と時間を作品創造のために費やさなければならないのだ。

なお、もちろん、机の上に向かっている時以外の家事をしている時や移動中なども作品のことを考えているのが通常運転だ。

そのくらいのことをして、アイディアを貯めて、ストーリーを練っていくのだ。
正解がない世界だが、それでも楽しくて続けるだけの変態性がないと続かないだろう。

ハリーポッターを書かれた、かの有名な J. K. ローリングさんは、幼い頃から指輪物語を含むファンタジー小説を読み、物語の執筆をされてきた上に、生活保護を受けながら5年間でハリーポッターの全貌の構成と賢者の石を書き上げた。

また、ハリーポッターを書く前に、ヒットには繋がらなかったが、大人向けの小説を2作出している。

このように、まさに過去の膨大な量のインプットとアウトプット、そして失敗を繰り返し、たどり着いた世界観であり、それは着実な日々の積み重ねの賜物であるといえる。

ちなみに、指輪物語の作者J. R. R. トールキンは、オックスフォード大学等の教授を務めるなど、過去の文献や文学などに精通していた。

J. R. R. トールキンは秀才でキャリアの真似をすることは不可能に近いが、これらのような壮大で繊細で素晴らしい作品を創るには、同様のことをしなければならない。

要するに、本当にとんでもなくクレイジーな世界観を創ろうと思うなら、以下のようなクレイジーな生活となる。

人間関係は家族と片手で数えられるだけの友人。恋人はいない方が望ましい。
仕事は出来るだけ定時で帰れるような職場で、理想は週3 or 週4勤務。

平日の勤務後はすぐに家に帰り、シャワーと夕食を30分以内に取ったら、すぐに読書 or 執筆活動に取り組む。22:00までには就寝し、6:00には起き、就業開始前の時間は作品創りに当てる。

土日は、言うまでもなく読書か執筆活動か、必要があれば作品のモデルとなる現地に出向いたり、作品上嘘があってはならない情報はその道の専門家や研究者に取材をしに行き、インプットの精度を上げる。、

ここまでして、やっと作れるか否かというものである。世界観を創るとは、途方もないことなのである。

しかし、希望もある。
ある一定量のインプットとアウトプットを繰り返し、小説体力なるものがつけば、キャラクターは創りやすくなるし、世界観とストーリーとキャラクターがある程度決まれば、筆は進みやすいということだ。

並大抵の努力では到達できないのは事実だが、だからといって諦めようとは思わない。
「千里の道も一歩から」である。

最後に、ロバート・ベンチリーの残した名言で終わりたい。

『自分に執筆の才能がないことに気づくのに15年もかかった。でもその時すでに有名になっていたので、私は辞めることができなかった』

僕は理想の夢をあきらめない。
信じ抜く。あなはたどうだ?

Can you do it?
Yes, you can!

できるよ。あなたなら。

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