チェスナットマン※ネタバレ🇩🇰

ソーレン・スヴェイストルプ(Søren Sveistrup)原作の映画を視聴!彼脚本家でもあり(The killingやnikolaj og julieをアダムプライスと作成)

チェスナットマンなに?って所から
デンマークでは秋になると食用ではない栗と木の枝を使って動物を作ります。日本だと保育園や幼稚園で枯葉やどんぐりを使って画用紙にママやパパの顔を作ったりしましたよね?アレです。んで、秋と言えばハロウィーーーンなのでカボチャの顔のくり抜きもしますが日本ではしないことの方が多いのかな?私はした事なかったけど現代ではくり抜くのかな?

デンマークは福祉先進国だと世間一般では言われます。先進的事例の代表としてもよく持ち上げられるものです。確かにそういう側面は大いにあり、児童支援でもそうです。デンマークでは何らかの事情で親元で暮らせなくなった子どもをサポートする仕組みが充実しており、ケアセンターもスタッフの手厚い配備のもとで用意されています。

しかし、全てが完璧とは言えない。まさにこの『チェスナットマン』はそういうデンマークの福祉先進国の現実の闇を見せつけてくる作品でした。

そもそも本作の根本にあるのは社会が児童を救えていない現実です。

ゲンツの犯行の動機の根底にあったのは自分が里親から監禁などの虐待を受けていたという事実であり、そのトラウマから社会大臣への恨みへと連鎖していったのでした。作中ではそれは過去のことではなく、現在進行形で児童虐待が起きている実態が浮き彫りになります。重要参考人であった被害者の子のマグヌスはあまり喋らない子でしたがそれは反抗期だからという理由ではなく、母の交際相手の男から性的虐待を受けていたというショッキングな事実が明らかに。子どもは自分からSOSを発信するとは限りません。

子だけではありません。子を誘拐されたローザ、火事で幼い赤ん坊を失ったヘスのように、心のケアを必要とするのは親側である大人もそうなのですが、その対応は決して万全ではない。どうしても社会の関心は子どもに向かってしまいます。大人たちはプレッシャーの中でじっと耐えているだけ。

そしてトゥーリンという主人公もまた娘のリーとの間で不和を抱えており、仕事にかかりっきりになる親と取り残されてしまう子の溝を埋めるのは簡単ではありません。

どんなに先進国だと褒められようとも、両親がいて痛みもなく何不自由なく暮らせている子どもというのはむしろ珍しいもので、養子かそうでないかを問わず、社会はあらゆる親子家庭へのサポートに従事すべきだけど、それは届いていない。

そういうリアルをしっかり描いているからこそこの『チェスナットマン』は真に迫る物語になっているのではないでしょうか。

日本でも警察や児童相談員が虐待の兆候を把握していたのにも関わらず結果的に児童が亡くなってしまう事件が定期的にニュースに流れます。

子供の遊びチェスナットマンが子供にとって良い思い出となる世界になりますように(´・ω・`)

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