蝉時雨(しぐれ)と しみ入る蝉の声
朝、7時頃、公園寄りの並樹通りを歩いていると、この夏初めての、蝉の鳴き声を聞き(聴き)ました。
蝉の鳴き声を聴くと芭蕉を思い出します。
芭蕉が詠んた『閑さや岩にしみ入る蝉の声』という句が強く印象に残っているからでしょうか。
この句は、芭蕉が山形県の立石寺に参詣したとき詠んた句だそうですが、芭蕉に「岩にしみ入る」と詠わせるほど、そんな鳴き声をする蝉は、芭蕉の心を捉えた蝉は、どんな蝉なんだろうかと知りたくなってしまいます。
どうやら、そう思うのは私だけではなかった様です。
芭蕉にこの句を詠わせた蝉は「アブラゼミなのか?、ニイニイゼミなのか?、それともヒグラシなのか?」とそんなことが文人たちの間で論争になったこともあった様です。
これは喩えて言えば、芭蕉の心を捉えた女性は誰なのかを探り当てるのに似ていて、実に楽しいですし、句で言えば作品に、人で言えばその人の生涯に大きく影響を与えたものが何であったか、それを探り当てることでもあり、とても意味のある大事なことかもしれません。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を読むと、その情景が心に浮んで来ます。
森深い閑な場所で、心を静かに深く自らの心を見つめていく、そんな精神的な問いかけに誘う蝉の鳴き声を「岩にしみ入る」と詠うところに芭蕉の感性の鋭さを感じます。
深い静けさの中で「しみじみと聴く蝉の鳴き声」も素晴らしいですが、一方で、蝉がいっせいに鳴き始める賑やかな、時雨のように樹の上から降りそそぐ蝉の鳴く声「蝉しぐれ」を聴くのもとても素晴らしいです。
こうして、「しみじみと鳴く蝉の声」を聴いていても「蝉しぐれ」を聴いていても、有り難いなあ、感謝だなあと思うことがよくあります。
自然も蝉も自分も、生きとし生けるものとして相互に繋がっている、そんな繋がりを強く感じるからでしょうね。
特に、夏の強い日差しと、暑さの中で「蝉しぐれ」を聴いていると、元気が出てくるから不思議です。
きっと、その鳴き声に大きなエネルギーがあるから、だからでしょうね。
そして、そのエネルギーにはパワーがあるから素晴らしいです。そのパワーを貰っているから、この暑い夏でも元気で過ごせるんですね。ここにも感謝です。
ポジティブに、心静かに内省を誘う「岩にしみ入る蝉の声」と、ポジティブに行動力を促す「蝉しぐれ」。
この2つが両輪となって、前に前にと進んでいくための原動力にもなってくれています。
蝉の鳴き声を「耳」で聞くか「こころ」の耳で聴くかによって、受け取るものが大きく変わって来る様に思います。
夏は毎年巡って来ますが、今年の夏は、今年しかないから大事に過ごしたいものです。
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