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網走から夕張へ -倖せに賭けた旅路-

向かい合うその人の唇が
不意に「網走」という単語を紡いだとき
すぐに脳裏をよぎったのは、夏の日のサロマ湖のたたずまい・・・

まだ学生だったころ 家族旅行のとき
波一つない、人っ子ひとりいない、静かで大きな潟湖が
網走に向かうバスの左側に茫々と広がっていた
曇り空だったためか、あるいは逆光だったからか、やさしく鈍い光をたたえて ・・・

その人の口から「網走」ということばを聞いた4日後、この冬はじめてその町にオホーツクの流氷が接岸したことを報道で知った


網走にかかわる映画の想い出がある

寮で暮らした長い留学生活
ほかにたいした娯楽もなかった時代のこと
毎週日曜日の昼下がり、寮生たちとテレビ室で映画に興じたものだ
その日の放映は字幕つきの日本の作品
ラストシーンが終わってエンドクレジットが流れ、学生たちが自室に戻ろうと立ち上がったとき、日本人のわたしは大勢から握手を求められたのだった

ストーリーはこうだ
夕張の炭鉱で働く男がスーパーでレジ係をしている女に恋をする
結婚して幸福に暮らすうち妻が妊娠
しかし無理がたたってほどなく流産してしまう
駆けつけた病院で、夫は、妻が5年前ほかの男との子どもを流産していた過去を知る
夫はヤケ酒をあおり、夜の繁華街で騒ぎを起こしてチンピラを殺してしまう
逮捕され収監された夫は、面会に来た妻に、良い男と再婚して幸せになれと促す
不器用な男のせめてもの愛情表現だったのだ
しかし刑に服しているあいだも、妻の面影は男の脳裏を離れなかった
模範囚として6年後に刑期を終え、網走刑務所から出所した男は、その直前に妻に一通の手紙をしたためていた
「俺はおまえが誰かと再婚して、幸せになっていればいいと願っている。この手紙が届くころ、俺は夕張に行くが、万一おまえがまだひとりで暮らしているなら、庭先の鯉のぼりの竿の先に黄色いハンカチを1枚ぶら下げておいてくれ。それが目印だ。もしそれが下がっていなかったら、俺はそのまま引き返してニ度と夕張に現れない」
たまたま知り合った東京の若い男女の車に同乗して、網走から夕張への三人旅がはじまる
車は、赤平、歌志内、砂川を経て、一路夕張の町をめざす
家が近づくにつれ男は動揺し、目を伏せて窓の外を見ようとしない
たまりかねた2人が車を降りて確かめに行く
視線の先には、風にはためく数十枚もの黄色いハンカチが
ふたりに背中を押されて、男は、戸外で洗濯仕事をしている妻のもとに静かに歩み寄っていく

最終シーンはロングショットで捉えられ、2人の表情をうかがうことはできない
妻は夫の帰還に気づき、なにかに感謝するかのように小さく頭を下げ、夫と向きあう
ふたりは互いをいたわるように寄り添いながら、ゆっくりと家の中に消えてゆく

西洋の映画なら、クローズアップショットで、固く抱擁し熱い接吻をかわすシーンで結ぶに違いない
しかし日本人の愛情表現はそうはいかない
それを異文化の学生たちがわかってくれたことが なんだか嬉しかった



凍てつく網走をあとに、倖せを求める旅路のなかでこの街に至りついた人
ご家族ともども  今度こそ  大きな幸福をつかみとってほしいと切に思う


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