らんたん

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最近の記事

2022年、令和4年

あっという間だったなんてよく言うけれど、今年は僕にとってはあまりにも長い1年だったな、と思う。きっと楽しいことより辛いことのほうが多い期間が長く続いていたのが原因の一つではあるだろう。しかし、それとは反対に充実した時間を過ごせるようになったのも事実であった。なんというか、濃厚だったと言えると思う。 辛い時間というのは長く感じるが、それがずっと長く続いていると何かが麻痺してしまう。麻痺してしまっていたのだと思う。メンタルが辛くなって、置かれてる立場を変えたくて辛さを吐露しても

    • 「ちゃんと」という表現を疑うこと

      みなさん、ちゃんとしてますか?僕はしてます。してるといいですが。 仕事でもなんでも、ちゃんとするって大事だ。じゃあちゃんとってなんですかって疑うこと、「ちゃんと」してますか?と問われたら、できてるだろうか。これは少し難しい。 ちゃんと、といったとき、その人の中にはある程度の背景が存在しているはずだ。どうあることが「ちゃんと」なのか、あるいはどうでないからこそ、「ちゃんと」したいのかを考えている。だから、どういう状態がちゃんとしているのかを言い表せなくても、ちゃんとしてない

      • 20代最後の夜

        明日で30歳になる。僕は高専の本科をでてすぐ就職したものの、誕生日が早いために、20歳は高専5年生として過ごし、21歳から社会人を過ごした。だからまだ10年目ってわけではないのだけど中々の節目だ。 29歳として過ごした人生は、外的要因によって中々変化の大きい年になった。苦しいこともたくさんあったとはいえまあ、なにもないよりマシな変化もあった、と思っている。 10年前のことを思い出すと色々と変わっている。転職したり、結婚したり、引っ越しを何度かしたり。後かなり太ってしまった

        • 若いから、そういうことができる

          時々、そういう言い回しを見聞きすることがあった。ある例としては、徹夜で酒を飲みそのまま翌日ラウンドワンではしゃいで帰ってくるとかしたら言われると思う(この例えがおっさん臭いかもしれないけど)。そういう、体力に任せてバカやってることに対してそういう言い回しを使うことについては特に何も言うつもりはない。たまにまあまあ年食っててもそういうことをする人いるから、これも一概には言えないのかもしれないが、とにかく、ここで触れるのは学びについての話。 僕はそういう言い回しを使わないように

        2022年、令和4年

          僕の令和2年

          令和2年という年のことを思い返す程度の余裕ができてきた。引っ越しが結構大変で、色々施工の調整ごとをこなす必要があったのは初めての経験だった。無事終えてよかった。 僕にとって令和2年は、いいこともあったし、いやなこともあった、それなりに普通の年じゃんというのが正直なところ。もちろん、変化の幅は大きかったとは思うけど、総合すると平凡だった。なんとも幸運なことだ。 COVID-19による「いやなこと」が一番割合としては大きい。友人に会えなかったり、イベントが当然軒並み中止だった

          僕の令和2年

          才能の有無

          人間に才能というのはあるのだろうか。知能レベルみたいなものに幾分か両親からの遺伝が含まれる(要出典)ことを考えると、あるないでいえばあるのだろう。 子は親を写す鏡などという。知能レベルの話ではなくて性格の話としても、性格によって学習するスキルやそのレベルに差が出るとしてもなんら不思議はないし、やはり才能はあるのかもしれない。一緒に長くいる人の性格が移るだけとしたら、遺伝は関係ないのかもしれない。育ての親に似ることもまぁ無くはないだろう。 でも私は、親から子供に性格や知能レ

          才能の有無

          人間は感情の生き物である、という言い回し

          何かしらの主張の背景や、誤解を恐れない表現で言えば「盾」として人間は感情の生き物であるという言い回しが使われることがある。標語としての言い回しはここでは扱わない。ところで、感情の対となる存在に論理があろう。 論理的な思考は、幾分かは先天的な要因があるにせよ後天的に身に着けた一つのスキルであり、努力の結果生み出される思考である。一方、本能的に、感情によってなされる思考や行動というのは、論理によってなされる行動よりも、当人にとって重要視されて行動力の原水となりやすい傾向が見られ

          人間は感情の生き物である、という言い回し

          あらゆる思想は、損なわれた感情から生まれる

          最近、考えていることを言葉ではなくて文章にする機会が増えた。言葉にする機会は、もっと増えた。 僕は自分の考えについて、どうしてそのような思想が生まれたのか、自分の中にある無意識な背景を考えるようにしている。以前からそのような習慣があったとは思うが、それを強く意識するようになった時期があった。採用に関わらせてもらうようになったときに、ある精神科医が自分が人と接するときにとる姿勢について語っていた内容を思い出したときのことだ。 「自分自身の先入観を強く自覚する、無意識さえも自

          あらゆる思想は、損なわれた感情から生まれる