若いから、そういうことができる
時々、そういう言い回しを見聞きすることがあった。ある例としては、徹夜で酒を飲みそのまま翌日ラウンドワンではしゃいで帰ってくるとかしたら言われると思う(この例えがおっさん臭いかもしれないけど)。そういう、体力に任せてバカやってることに対してそういう言い回しを使うことについては特に何も言うつもりはない。たまにまあまあ年食っててもそういうことをする人いるから、これも一概には言えないのかもしれないが、とにかく、ここで触れるのは学びについての話。
僕はそういう言い回しを使わないようにしているし、使わないようにしよう、と改めて思った。これはあまりにも、手放しで、無自覚で、無邪気な侮辱だと思ったからだ。その若者が学び研磨しようとするのは、その若者の努力によるものであり、生まれ育ちの境遇の差はあれど今学ぼうとしている若者に対して、そのセリフは侮辱だと捉えた。努力しようという意思とそこから発せられる行動を、この世に生を受けさえすれば誰でも享受することになる「若さ」という属性によるものとして、さも当然のもののように評価するのが侮辱じゃなくてなんだというのか。学ぶことを諦めた人間が、自分を慰めるために吐くセリフとまで思えてきて、これは良くないなと思った。言葉がいつか行動になるとしたら、こういうセリフを僕が吐くとしたら、間違いなく自分のためにも、吐かれる相手のためにもならない。
自信を持てず、行動できない若者に対して、若いんだからいけるいける、と発破をかけたりするのも、まあまあ無責任とは思うけど、これまで述べたものよりかは幾分かマシに感じる。きっと何も評価してないからだろう。
思い返せば、時々だけどこのセリフを吐かれることは過去にあった。新しいことを学んでいこうというときや、そういう姿勢を示しているようなときに言われていたように思う。あのとき感じた、若いとか関係ないだろ、というモヤモヤした気持ちはこの侮辱を無自覚に感じ取っていたのかもしれない。
この経験が過去形なのは、単にもう若者ではない扱いを受ける年齢になったからだろう。もうすぐ30になる。相対的に若いかどうかという話は置いておいて、もう取り立てるほど若くないことは確かだろう。そして、今の僕が置かれている環境に置いてそういうことを言う人がいない、というのも過去形として捉える要因の一つだろう。
でも、やっぱり生まれさえすれば得られる何らかの属性、男女、老若、見た目の美醜を持って人の行動をどうこういうのは思慮が足りないと言えるだろう。肝に銘じておこうと思う。
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