「ちゃんと」という表現を疑うこと

みなさん、ちゃんとしてますか?僕はしてます。してるといいですが。

仕事でもなんでも、ちゃんとするって大事だ。じゃあちゃんとってなんですかって疑うこと、「ちゃんと」してますか?と問われたら、できてるだろうか。これは少し難しい。

ちゃんと、といったとき、その人の中にはある程度の背景が存在しているはずだ。どうあることが「ちゃんと」なのか、あるいはどうでないからこそ、「ちゃんと」したいのかを考えている。だから、どういう状態がちゃんとしているのかを言い表せなくても、ちゃんとしてない状態を課題視してちゃんとせねば、という気持ちになったり発言したりする。

自分一人でちゃんとせねば、という気持ちになっているだけなら、別に害はない。ちゃんとの具体的な表現や状態がわからないまま突き進んで損をするのは自分だけだし、いつかそれが具象となって現れることもあると思う。だけど、複数人で話をしているときに、特に双方が「ちゃんと」という表現に寄り始めたときは、この「ちゃんと」が何を表しているのかを具体的にするために一歩お互いに距離をとってみる必要があるなあと感じた。

あるいは、「正確に」「正しい状態」「あるべき状態」といった言葉もこれに当てはまる。お互いがお互いの違った理想を目指して行動しているとき、この問題は顕著に現れる。そして、これらは理解が浅くても利用可能な表現であるため、理解の深さに違いがあると話が平行線になるどころかどんどん広がっていく。どこかでどちらかが、このお互いが目指している状態は正しいのか?と思えるかどうかは大事だろう。

とはいえ、「ちゃんと」という言葉を使ったタイミングで「ちゃんと?wちゃんと?w」とか煽ったり、使うこと自体を咎めたりといった振る舞いをする必要はないし、すべきではない。後述するが、これはコミュニケーションの圧縮率が高くある種効率的な側面も持った表現なので、それが分かち合える程度の相手であればむしろ使ったほうがことが早く進むこともあろう。

乱用が怖い表現であることを自覚した上で、議論の場であったり表現に正確性が求められるときにお互いに確認し合ったりすればよい。また、お互いの「ちゃんと」が同期できているなら、それはコミュニケーションの圧縮率が高いものにしてくれる便利な言葉だろう。だが、新しくチームに加わった人がいるときなどは、逆にその圧縮率は下げるべきだろう。多少背景の説明に時間を使ってでも、その目線を揃える効果はあると考えている。

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