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5月2日 hideの命日

5月2日 hideの命日

hideが亡くなったのは22年前の今日。
当時私は高校3年生でした。

先日、金スマでYOSHIKIのSPが放送され、それを受けてとても響くものがあったのでコラムに配信しました。

YOSHIKIを語る上で「X JAPAN」は欠かせません。私は、Xファンというほどではなかったですが、デビュー曲となった「ENDLESS RAIN」は購入していました。Xはハードロックというイメージでしたが、バラードの曲は結構好きでした。今から思えば、バラード曲は、YOSHIKIはドラムではなくピアノだったからかもしれません。

そして、何と言ってもX JAPANで一番好きだったのはHIDEでした。1994年からはhideとしてソロ活動もしていましたが、X JAPANは解散した後は、「hide with Spread Beaver」として本格始動しました。ソロ曲は、過去に「TELL ME」「MISERY」など、CMにも起用されたり、知ってはいましたが、発売された「ROCKET DIVE」で一気にハマり、当時高校2年だった私は、登下校の際、今の若者は知らないであろうMDでリピートして聴き続けていたものです。ギターも弾いていたので、hideちゃんのロゴが入ったピックを今でも持っています。流石にhideモデルのギターまでは持っていませんが・・・

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hide突然の死

X JAPAN解散後、hide with Spread Berverとして「ROCKET DIVE」をリリースし、「ピンクスパイダー」「ever free」という曲がリリースされる予定で、これからhideの音楽がたくさん聴けると楽しみにしていた矢先。耳と目を疑う報道が。

「hide自殺」

信じられませんでした。
亡くなったことはもちろん、自殺なんて・・・。

自殺と思われたのは、ドアノブにかけたタオルで首を吊った状態で見つかったからです。

熱狂的なファンの女の子たちの中には、後追い自殺をしてしまった子もいたそうで、YOSHIKIを始め、X JAPANのメンバーが引き止める会見もしていましたが、当時は、hideに関して連日報道されていました。

あまり詳しくhideという人については知りませんでしたが、hideちゃんに関する放送やニュースなどがあれば、ほぼ全てチェックしました。hideちゃんへの思いを語る友人のコメント、hideちゃんと一緒に仕事をした人のコメントなどなど。

もちろん、直接お会いしたことはないし、近しい人は「hideは自殺するような人じゃない」と言っていますが、私はそれを言う立場にありません。それでも、「hideは自殺じゃない」と言い切るには理由があります。

自殺と思われたのは、ドアノブにかけたタオルで首を吊ったように見えたからですが、ストレッチの一つとして、同じような体勢で、顎にタオルをかけるという手法があるそうです。hideは重度の肩こりで、このストレッチをしてたそうなのですが、5月2日という日は、アメリカから帰国したばかりで、時差ボケもある上に、1日は収録だったそうです。収録後、酒好きのhideちゃんは、この日も泥酔していたそうなので、顎にあったタオルがズレて首を絞めてしまい、酔っていて解くことができなかった事故死、というのが私の見解です。

事実、警察も事件性はなく、事故死ということで処理したそうなんですが、大好きだった「X JAPAN」の解散の直後ということで、そう思われても仕方なかったのかもしれません。

hide with Spread Beaverとしてシングル、アルバムの発売も決まっていて、「zilch」という、海外を見据えたバンドも結成し、アルバムの発売も決まっていました。さらには、金スマで語られていた、「2000年にX JAPANを復活させよう」というYOSHIKIとの約束。

自殺ではなくても、夢や希望に溢れた未来が絶たれた、悲しい事故でした。


hideの思い出

高校の卒業式で、hideちゃんに倣ってピンクのウィッグを装着して退場しました。人生で初めて「キャーーーッ!!」という黄色い声援を浴びたのは、hideちゃんのおかげでした(笑)

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仲の良かった体育の先生は、笑いながら「バカかお前は」と言ってくれましたが、仲の悪かった先生は、じーっと睨み続けていました(笑)

大学生になった頃は、hideが着けていた大型のサングラスを着けていたり、ヒョウ柄のテンガロンハットも買ったりしていました。CDも全部買い、ライブビデオ(当時はVHS)も全部買って観まくりました。

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そして、hideちゃんが亡くなった翌年の一回忌。大学1年になった私は、一人で築地本願寺に行きました。知り合いが誰もいない中ウロウロしていたら、手招きしてくれた人がいて、それぞれのhideへの思い出を話しました。日帰りの予定でしたが、そのうちの一人(男)が家に泊めてくれて、翌日、hideちゃんが原宿に出していたお店「LEMONed」に、本願寺で出会った女の子と一緒に行きました。その子は一つ下の高校生で、とても可愛い子だったのですが、何事もなくお別れしました(笑)


hideちゃんの人柄

「X JAPAN」は、ロックバンドとして初めて紅白に出場したと言われていますが、それには理由があります。
前回のコラムにも書きましたが、Xはその容姿から音楽性よりもファッションありきで、過激なファンも社会的には批判されていました。

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当時の紅白は、演歌や歌謡曲、ポップスがメインで、ロックが紅白なんか出るもんじゃないと思われていたり、ロックじゃない!と思われていたでしょう。

そんなXが紅白に出た理由は、「ファンの為」だったそうです。紅白出場のミュージシャンであれば、ファンであっても恥ずかしくないし、認められる。自分達の為ではなく、ファンの為に紅白に出場したそうですが、それを言い出したのが、hideちゃんだったんだそうです。

「X JAPAN」の解散会見でも、Toshiを除いたメンバーがそれぞれの思いをコメントしました。その中で、ファンに謝ったのはhideちゃんだけでした。

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「待たすだけ待たせたファンの人達には本当申し訳ないと思います。
 わがまま三昧やって参りましたが、最後のわがまま、ごめんなさい。
  そして、ありがとうございました」

誰よりも、ファンを大事にしていて、ファンのことを思ったコメントでした。


HIDEと難病少女の奇跡のエピソード

他にも、HIDEファンだった難病の少女との有名なエピソードがあります。
当時、世界でも23例しかなかった難病に苦しんでいた少女の母親が、「メディアウィッシュ」という難病支援の団体を通じて、HIDEの事務所に

「たった一度でいい。娘が死ぬ前にHIDEさんに
 会わせてあげることはできないですか?」

と打診したのですが、軽くあしらわれてしまいました。そのことが耳に入ったHIDEは、断ったスタッフの胸ぐらを掴んで激怒したそうです。HIDEはすぐに会いに行き、東京ドームのライブにも招待したり、その後も交流を続けました。
HIDEはその少女のことを「友達」と紹介していたそうです。

その後、骨髄手術をすることなりましたが、術後危篤状態になってしまい、HIDEは仕事をキャンセルして駆け付けました。ずっと励まし続けたこともあってか、少女は意識を取り戻し、無事回復しました。

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この少女との出会いで、hideちゃんは骨髄バンクに登録するのですが、売名行為にされたくなかったのに、事務所が勝手に公表してしまい、hideちゃんは激怒したそうです。しかし、それがニュースになり、骨髄バンクの登録者が激増した、というエピソードもありました。

泣きながら母親がHIDEに感謝の思いを伝えると、

「仕事なんかより、マブダチの方がずっと大事ですから」

と答えたそうです。
そのマブダチのために作った歌が、名曲『MISERY』です。

hideちゃんの死に、少女は一緒に死のうとも思ったそうですが、

「何があっても負けんなよ。君は強い子だ」

という生前もらっていたメッセージを思い出し、生き続けました。

しかし、2009年に、hideのいないX JAPANの復活を見届け、亡くなられたそうです。

参照:https://xjapan.fun/archives/10


改めて、hideちゃんの優しさに涙が出てきます。誰よりもファンを大切にし、仲間を大切にしていた。X JAPANが解散したことも、一番辛かったのはhideちゃんかもしれません。

ミュージシャンとして音楽界の宝であり、素晴らしい方を失ったんだなと実感します。「もし生きていたら?」なんてことは、考えるだけ無駄ですが、音楽界が変わっていたかもしれない。それくらいの人物だったんだろうなと思います。

hideちゃんが亡くなって22年。本当にあっという間ですが、いまだに色褪せないhideちゃんの音楽は、今尚胸を熱くさせてくれます。
このコラムを書くに当たって、久しぶりにhideちゃんの動画を観まくっていますが、学生の頃を思い出すし、音楽性の高さを実感します。
あまり知らない方も、好きな方も、ぜひ今日という日にhideちゃんの残した音楽を聴いてみてくださいね!

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