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毎日投稿卒業から一日「いい人を卒業しよう」

連続投稿を終えて

500日連続投稿から、毎日投稿を卒業して一日、早速noteに戻ってまいりました!っと言っても、昨日は「道楽舎」のコラムを投稿していたので、なんだかんだnoteは投稿していたので、個人的には502日連続投稿となります(笑)

毎日投稿が目的ではないので、連続投稿が終わったことで感じたことは、特にありません(笑)書きたいことは沢山あるし、昨日が仕事でしたが、また面白い発見があって、なんだかんだ下書きを作っていたし(笑)

noteで投稿していることは、誰の為でもなく、ただアウトプットしたくて、自分の為になっている。それが、誰かの為になるのなら、それは嬉しいことだと思います。

ところで、昨日私が投稿しなかったこと、気付いている方はいましたか?いたら、ちょっと手を挙げてみてください。はい、全員手を下ろして・・・

ま、誰しも、この世界においてはいてもいなくてもいい人だと思っているので、私がnoteにいないことで困る人はいないでしょう。「人生とは壮大な暇つぶし」だとも思っているので、noteにおいての私は、誰かの暇つぶしにしかすぎないかもしれません。

でも、暇つぶしの一つだからこそ、どうでもいいような存在だからこそ、
「だったら、いて良かったと思われるようなことをすればいい」
と、そっちに振れます。どうでもいいから「いらない」じゃなくて、どうでもいいからこそ、誰に縛られることもなく、自由にやればいいと、思います。


悪い(和類)人でも構わない

道楽家になるまで、どこか自分は、誰かの為、人の為に生きて、自分を犠牲にしているところがありました。いわゆる「いい人」で生きてました。信頼している人や、信じていることを元に、外から与えられたことを「自分らしい」と思って、まさに都合のいい人でした。

『進撃の巨人』のアルミンはアニにこう言いました。

"いい人"っていう言い方は好きじゃないんだ。だって、それは自分にとって都合のいい人のことをそう呼んでいるだけのような気がするんだ。
 全ての人にとって都合のいい人なんて、いないんじゃないかな。だから、アニが僕の話を聞いてくれなかったら、僕にとってアニは"悪い人"ってことになるね」

このシーンは、私にとってとても衝撃的で心に残るシーンになりました。
飲み会の合いの手などで、「いい男!いい男!ほんとはどうでもいい男!」みたいなものがありますが(笑)、「いい人」の前には、「都合の」とか「どうても」という枕詞が付くってことですね(笑)

でも、こういうことだと思うんですよ。いろんな所で言われていることかもしれませんが、私にとっては、『進撃の巨人』第23話で描かれたこのシーンが、脱いい人のきっかけになりました。誰かの都合のいい人になるくらいなら、悪い人で構わない、そう思いました。

人は生きている以上、誰かと関わりを持ちますが、誰にでも「いい人」であるということは、それはもはや人間ではないかもしれません。進撃風に言うならば、「家畜」です。人間は、自由に生きることができます。いい人(家畜)として生きることも自由ですが、悪い人(自由に生きること)も自由です。

日本人にとって「悪い」と言うと印象が良くないので、「和類」とでも言いましょうか。「和をもって類をなす」というような。あ、創作ことわざができちゃいました(笑)いずれ、コラム化したいと思います(笑)

自分にとっても、誰かを都合のいい人にするのではなく、相手の存在を認めることで、良い悪いではなく「和」と為し、その関係が「類」となる。そんな和類人(わるいひと)なら、いい人ではなくてもいいですよね。

まぁ、せめて、本当に大切な人にとって「いい人」であればいいなと、私は思います。

今後は、毎日投稿はしませんが、定期的に配信していきますので、暇つぶしになり、何か得るものがあればいいなと思います。

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