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「私、失敗しないので」ドクターXの名言をウラヨミ

「私、失敗しないので」

シリーズ6にもなり、今なお視聴率20%を叩き出す人気ドラマ『ドクターX』
その人気を生み出した要因の一つと言える

「私、失敗しないので」

という名言。

「医者は失敗しちゃいけない」
「患者が勝たなきゃ意味がない」
「医者には一つの失敗でも、患者にとっては終わり」

そういった大門未知子の医師としての思いを表して名セリフです。

名言をウラヨミ

『ドクターX』第2話に見られる、思考停止の罠というコラムで触れましたが、AIの判断がを絶対だと思い、手術が失敗しようが、AIの指示に従おうとした潮は、目の前の患者を見る訳でも、10億円の寄付を取り戻そうとする訳でもなく、ただ思考停止してAIに従い、インオペにしようとしました。そこに大門未知子が現れ、AIの指示を無視するどころか、電源を落として自らの目で見、判断し、自身の腕で手術を成功させました。

このコラムでは、宗教を例に出して、盲信することや思考停止する危険性について述べましたが、自分のことでさえよくわからないしコントロールできないのに、本当にわかるわけがない誰かや何かを盲信することで、判断を委ねるのは、一種の「放棄」です。宗教に限らず、何かを信じることや、誰かに頼るそ言うことは、自分の責任や判断を放棄し、他者に委ねるということです。得てして、そういう人ほど後々になって文句を言ったり批判したりするものです。なぜなら、自分で責任を取ろうとしないからです。

「こんなはずじゃなかった」
「ついてきた俺がバカだった」
「あいつが言ったから・・・」

などなど、言い訳にしかなりません。自分の判断で「付いていく」というなら、それでうまくいかなくても、自分で責任をとれるはずです。しかし、洗脳されていたり、盲信してしまうことは、自身の判断能力を低下させることになります。上下関係の強い会社や組織においては、上の意見は「絶対」です。それは間違ってはいないでしょう。経験も判断能力も上であれば、その方が正しい判断だろうからです。だからといって、それをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分のこととして判断できることが大事なんだと思います。

「私、失敗しないので」

この言葉は、限りなく自分と向き合い、自分を知り、自分を信用できるからこそ言える言葉です。

盲信・過信というのは、何も他人に対してだけあるのではなく、自分に対しても同じです。大門未知子は事実、失敗しません。失敗しないだけの技術を磨き、最新医療も調べています。そういった描写がないので、ドラマとしてはご都合的ではありますが、それだけの努力や自分と向き合っているからこそ、言える言葉であり、万が一のことがあっても、病院のせいにしたり、何かのせいにして言い訳をしない。責任は自分が取るという、覚悟の言葉でもあると思います。

道楽家とは「自分で判断し責任を取る生き方」

私は、「道楽家」として、道草をしながら道中を楽しもうと生きておりますが、その全責任は自分だと思っています。今までも、色んな人と関わり合い、影響を受けてきて、今となっては道を外していたことも、遠回りしたこともありました。何かを信じて、すがってしまい、情けなく思うこともあります。でも、そういった経験や失敗があって、今に至り、今があります。そして、「道楽家」となった今、全ての経験は必要なことだっったと気付いたのです。誰かのせいにしたいこともありますが、それをおかげにすることもできました。

失敗も遠回りも、そのおかげで、大切なものに気付くことができ、「道楽家」という自分にとって最も生き易い生き方に気付くことができたからです。きっと、そのような生き方ではなかったら、今このタイミングで「道楽家」になることはなかったでしょう。

生きていれば、ミスもするし、失敗もします。でもそれは、後からいくらでも塗り替えることができます。そういう意味では、人生に「失敗」なんてものはありません。手術の失敗は患者を死なせてしまうかもしれないので、失敗は許されませんが、自分の人生において、失敗はありません

「私、失敗しないので」

この言葉を道楽的に言い換えるのなら、

「道楽家に、失敗はないので」

と言えるかもしれません。

そんな私は「道楽舎」を運営しています。更新は随時という感じですが、ぜひフォローして色々とコメントしてくださいね!!



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