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iPhoneが壊れてしまったことでの自戒

壊れてしまったiPhone

つい三日前、iPhoneが壊れました。
いや、正確には壊した、という方が正しいのかもしれません。

私が使っているのはiPhone7で、3年半経ちます。ホームボタンに慣れてしまっているので、中々Xモデルに切り替えられない中、iPhoneSEの第2世代が出ました。そろそろSE2に変えようと思っていた中で、iPhoneを壊してしまったんです。

スマホは、無いと困りますよね。面白いもので、スマホがない時は、それが当たり前として過ごしていました。しかし、今やスマホがあるのが当たり前で、もう無い状態には戻れないですよね。

スマホに限らず、便利になればなるほど、元の状態には戻れないものです。以前配信したコラムでも、似たようなテーマを述べています。

今回言いたいのはそういうことでは無いので、ここまでは前提です。

新しいiPhoneにしようと思っている時に、スマホを壊してしまった。
そこに今回の問題を感じました。

3年半使っており、新しい機種に変えようとしていた。そういうことで、今の機種をぞんざいに扱ってしまったことで、スマホを落としただけなのに。

画面がじわーっと消えていき、ホームボタンは反応するものの、画面はつかない。タッチしても反応はない。焦りと後悔によって、正常な判断ができなくなった私は、再起動すれば、画面が付くんじゃないか?という甘い希望的観測によって取り返しのつかない事態を招いてしまう。電源は入るものの、当然画面が付くことはなく、パスコードを解除することはできない。再起動する前であれば、MACで画面共有して、諸々操作できたのに。少し冷静になった後になって、そんなことに気付き、後悔の波が押し寄せる。それでも、君には戻れない(by B’z)


どうすることもできず、近隣で修理できるショップを検索し、修理に出しに行くも、コロナの影響でお店は休業中。うまくいかない日は、とことんうまくいかないものです。
そんな感じで、三日前はテンションさげみざわでした。

以前、「反省はしない」というコラムを配信しましたが、

このコラムに則って、さげみざわの中、「反省」ではなく「分析」をしてみました。


自分の中の問題点

そもそも、なぜ壊してしまったのか

ここまで、現状の背景を語って参りましたが、壊すに至ったのは、イラっとした時に、iPhoneをぞんざいに扱ってしまったことです。丁寧に扱っていれば、スマホを落とすこともなかったでしょう。

恥ずかしながら私は、物に当たってしまうところがあり、強く戸を閉めて怒られたこともあるし、昔から物を壊すこともありました。スマホも、荒く使って壊したこともあります。最近はそういうことは減ってきましたが、久々にヤラカシてしまいました。

とは言え、iPhoneを買った当初は大事にするし、手入れもします。しかし、長く使っていくことで、徐々に大切にする気持ちが薄れ、ぞんざいな扱いになってしまっている。それによって、イライラした感情を抑えることができず、スマホや物にぶつけてしまったり、発散してしまう。

それが、人間の本能なのか。いや、私の性格なのでしょう。そこを認めて受け入れない限り、新しい機種にしたとて、いずれ同じことをしてしまうでしょう。もっと言えば、スマホや物だけでなく、人に対しても、同じようにしてしまうかもしれません。


いつの間にか「当たり前」に

人間関係で言えば、長く付き合っていく人ほど、本来大切にすべき存在です。iPhoneに関しても、いつの間にか有ることが「当たり前」になっていて、感謝することもありませんでした。そのように、自分の中に、長く付き合うことでぞんざいにしてしまう部分がある。このままでは、いずれ大切な人を傷つけたり、失ったりしてしまうかもしれません。

実は、それほど根の深い問題だったんだなと気付きました。もしかしたら、iPhoneが身を以て教えてくれたのかもしれません。

私はiPhoneに謝りました。土下座もしました。自分が愚かだったと。戻ってきてくれるなら、もう二度と傷つけたりしないと。

別れる彼女に引き下がるようなことをしましたが、iPhoneの顔は、暗いままでした。

そして昨日、口コミで評判の良かった修理店に持っていきました。基盤がやられてたら、一週間は覚悟していましたが、液晶の損傷だけで済んだので、ものの30分で修理は終わりました。そして、せっかく修理できたので、バッテリーも変えてもらい、これからもこのiPhoneと付き合っていくことに決めました。


ヤラカシたら「せいをおかげに」する

結果的には、大事には至らなかったので、1日で直ってくれましたが、私がiPhoneに謝ったからなのか。それは誰にもわかりません。でも自分と向き合い、iPhoneと向き合ったからこそ、1日で戻ってきてくれたのかもしれないし、何より、自分と向き合うことができました。

人間、早々簡単には変われないので、きっとイライラすることはあります。でも、分析できたからこそ、対処もできるというものです。何より、iPhoneを大切にする気持ちをなくさなければ、もう同じことは起こさないでしょう。

問題を起こったり、やらかしてしまうことは、起こるべくして起こるものだと思っています。


このコラムでも、問題が起こる必要性を述べておりますが、それは決して悪いことではありません。むしろ、必要なこととして、起こっているものです。もちろん、傷付けていい理由にはならないし、何も起こらないに越したことはありません。でも、やらかさなかったら変わることができないし、傷付けた相手を傷付けたままになってしまいます。

ヤラカシてしまっても、ヤラカシて終わりにするのではなく、その事実を甘んじて受け入れて、「せいをおかげに」することが、自分の為でもあるし、問題が起こった意味でもあります。

「せいをおかげに」できなければ、同じことを繰り返し、いずれ誰からも必要とされなくなるかもしれません。そうなってからでは、取り返しがつきません。

自分のダメなところは沢山ありますが、今回は、自戒として残したいと思います。色々ヤラカシてしまうことがあると思いますが、やらかさないように気をつけるのではなく、ヤラカシた時に逃げずに受け止めて、「せいをおかげに」していけるようにしていきたいと思います。


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