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『時効警察』の魅力「無駄の極意」を語らふ

9月29日SPドラマ、10月11日からドラマシリーズが始まります。前回は、『時効警察』を知らない方への入門編のようなコラムでしたが、今回はもっと踏み込んだ魅力を語って行きたいと思います。

前回のコラム↓

時効警察の魅力

ゆる〜いコメディ要素はもちろん、何と言っても重要なのは主役の霧山修一郎でしょう。高い推理能力を持っているのに、それをひけらかすのでもなく、仕事に生かすのでもなく、趣味に使う。その高い能力は、宝の持ち腐れのようで、一見もったいないように見えるし、同僚からもバカにされたりしていますが、そんなことは一切気にしていません。なぜなら、霧山くん自身、自分のことを信頼しているし、能力が高くても、仕事に使うことはしない。いや、おそらく仕事には使えないのでしょう。それは、テンションが上がらないからです。

ドラマの始まりも、やる気がなく、無趣味だった霧山くんが、三日月くんに言われて見つけた趣味が、「時効捜査」でした。「それだったらやりたい」と思い、秘められていた能力が解放されたのです。きっかけは三日月くんでしたが、自らがやりたいことをやることで、「やる気」を持ち「能力を見出した」わけですが、それを仕事に生かさないのも、時効警察らしくて面白い所です。

霧山くんは健全なジョーカー

ただ、こういう霧山くんの姿は、誰にも縛られず、自らの意思でしか動かない「ジョーカー」そのものだと思います。人間は、承認欲求があり、人から認めてもらいたいものですが、実際に「能力が高い」ことを知られていると、頼られたりいいように使われたりして、自分の自由を奪われ、誰かに支配される生き方にもなってしまいます。認めて欲しい気持ちもわかりますが、それに頼りすぎてしまうと、自らを縛ることになってしまうんだと思います。

社会や組織、道徳や倫理などによって、「こうした方がいい」と言われているものの為に生きるべきだ、人の為に力を発揮することは、素晴らしいことで良しとされていますが、それで自分が犠牲になっては、意味がありません。犠牲の歌に幸せが成り立たないのであれば、「人の為」にすることは、それは誰かの意見であって、自分の本心ではないのではないでしょうか。「人の為」を思ってしたことでも、人の為になるとは限りません。逆に人の為だと思わずにしたことでも、人の為になることはあります。

つまり、人の為になったかどうかは、結果でしかないと思います。だったら、霧山くんのように、組織の為に能力を生かすのではなく、自分の本心と向き合って、能力を最大限発揮するようにした方が、結果的により多くの人の為になるのではないかと思います。

無駄を極めることは大きな価値になる

『時効警察』は、意味のないようなクスッとしてしまう無駄なシーンがふんだんに盛り込まれているのですが、それこそが一番の魅力かもしれません。今の時代、辻褄が合わない、どんな伏線を貼って回収するかなど、より完璧な物語が望まれていますが、時効警察はその逆を行く、無駄なシーンのオンパレードです(笑)本筋の推理に関しては全く問題ないのですが、この「いかに無駄を作るか」という姿勢は、今の時代に必要な感覚なのではないかと思います。

むしろ、いかにして無駄を入れるか、と言う方が正しいかもしれません。それがシュールな感じで独特の世界観を生み出しているのですが、その無駄が魅力になるということは、それはもはや無駄ではありません。つまり、無駄と真剣に向き合い、無駄を磨いていくこと、無駄を極めることは、大きな笑いや感動を生む価値にもなり得ると言うことです。
無駄はただの無駄ではなく、使い方によって大きな価値になる。そんな風に感じます。

そんな真面目なドラマではないですが、ぜひゆる〜く楽しんでもらいたいと思いますし、何より楽しみです!

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