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純粋なものは、結晶にしよう


最近ずっと考えてたことがあったんだ


僕は 他の人にとって、

何においてのメンターとなれるだろうか 

"なにを手助けできるだろうか" ということを。

振り返れば、僕はこの世界で、自分にとって最も呼吸のしやすい場所を探していた。



「僕らしい生き方を取り戻そう」

心がそう ささやき始めて、

やがてはっきりとした思考になってから、

それに合わせて手足が動かせるようになるには、

随分と長い歳月がかかった気がする。


だけど、そのもがきは確かな力で僕を前進させていた。

いまここに座り、この文章が書けていることが何よりもの証拠で、

ほんとうにそうだと、僕は今 それを味わう。



自分らしさを取り戻していく過程は、僕にとって夢中になれることだった。

こんなにも僕を虜にした時間はなかった。

どんどん自由になっていく心が

見える世界を変えていったんだ。

やがて人にもそのように在ってほしいと願うようになり、

心地の良い時間を増やしたり、深めたりを手伝いたいと

いつしか思うようになったんだ。



ひとが純粋なものを求める、というのは確かなことだ。

それは純粋なものを取り戻したいと願う表れだろうか


しかし、消えてしまったわけではないんだ

長らく、忙しくて、あるいはもう目の前にうんざりで、

無視してきていたんだ。


純粋なものは残り続け、

やがて呼び起こされるときがやってくる。

それを言葉という、目にみえる結晶にしよう。

僕が一緒にできることは、きっとこれぐらい。






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