丸山はエリートである自分を一兵卒として死地に赴かせた軍部への怒りから、戦後左派の戒能通孝からの東京裁判史料を元に、戦前の国体を悪と見たのだろう。しかしそれが事実と呼べるものでは無く単なる恨み辛みであろう。
戦後初期に南京事件について事実を把握していたとは到底考えられない。
スクリーンショット_2021-03-22_23.12.18

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?