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#14日記を書くことは感情コントロールになるのか

Noteのページにお越しいただき、有難うございます。

ここ数週間は、感情の興奮が交感神経の興奮を導き、それによる筋緊張の亢進が筋出力を低下させるという論理から、「感情」を一つのキーワードに記事を書いています。

今週は感情を「書く」という行為について考えてみたいと思います。

私たちが感情を書くという行為で一番身近にあるものは「日記」ではないかと思います。お読み頂いている皆さんは、日記を書きますか?

日記には大きく3つの役割があるとされています。
① その時の気分や感情を整理する(現在)
② あとで日記を見返すことでその時の気持ちを再体験できる(過去)
③ 現在の感情を整理して、将来の指針や目標を明確にする(未来)

つまり、日記は「過去・現在・未来」のどの要素を強く持つかによっても書く内容が変わってくるのかもしれません。いくつか書くという行為の科学的根拠も進んできているため、先ずはその辺りを整理してみます。

私たちはネガティブな出来事や体験について「考えない」とすればするほどその事を反芻的に考えてしまう

(木村,2003)

その出来事や経験について認知的再体制化が進めば、それに関する半数は低減する

(Lepore,1997)

認知的再体制化が進めばワーキングメモリの改善がもたらされることにより問題解決やコーピングが行いやすくなる

(余呉,藤原,2008)

日記の習慣がストレスや不安を喚起するような経験を避けたり、過去経験から生じるストレスや不安に対処したりするのに有効である

(Burt,1994)

このように、基本的には日記で感情を表記する事がポジティブなように受け止められがちですが、中にはネガティブな方向へ向かってしまう場合もあります。

抑うつ傾向者は、筆記を行う事でむしろ症状を悪化させる可能性がある

(高木,大平,2004)

抑うつ傾向者は自己注目させる筆記ではなく、経験的に書かせる(その瞬間瞬間の気持ちがどうだったか)と良い効果が期待できた

(Watkins,2004)

このように、抑うつ傾向がある際は、あまり自己注目しすぎない方が良いという結論も導き出されており、経験的な筆記が必要になります。ただ、自分1人で経験的な筆記をするのは相当に難しく、心理師の方をはじめとする専門家に助言をもらう方が望ましいと考えられます。専門的には認知行動療法という分野に入ってきます。

日記を書く(感情を書く行為で表出する)ことは、基本的には自分の頭の中での反芻を軽減させることで感情のコントロールにつながります

しかし、すでに抑うつ傾向が強くなっている場合だと、自己注目してしまう事が逆効果になることもあります。基本的には、日記での感情コントロールは起伏が激しくなってからではなく、普段からコントロールができているが、より良く自分の感情を整えたい人が始めるには良いツールかもしれません。

私も20代〜30代の頃は3年日記を買ってよく日記を書きました。私の場合は、その日の振り返りを中心に書いていましたので、主に「過去」「現在」に対する日記の使い方でした。その日の振り返りをすると、意外と自分の認識が再構築されるもので、落ち着いて考えることでネガティブな発想が少しコントロールできていたような感覚はありました。一度「未来」についても書いた事がありましたが、手帳と内容が重なることもあり、やめてしまいました。

ヒトの脳は考えているよりもメモリが大きくないため、外に自分の感情を書き出して整理することは、自分の脳のメモリを増やすことにより、落ち着いた思考ができるようになるとも考えられます。そう考えると「余裕」ということも一つのキーワードになるかもしれません。

余裕を持つためには、少し逆説的になりますが、あまり未来について「期待」をしないことも重要ではないかと思います。将来が良くなるイメージを持ちすぎると、現在の自分が満たされていない感じがしてきます。満たされていない感じは、過剰な欲求を作り出してしまい、結果的に余裕がなくなることで感情のコントロールが難しくなる事があります。

そういった観点で日記を考えた場合、あまり未来についての内容を日記に書き過ぎるのも感情コントロールには向かないかもしれません。

今日は書くことでの感情コントロールについて考えてみました。

日記という事を題材としましたが、少なくとも書く事で感情を自分の外に出すという行為は、ポジティブな要素も多いため、まだ一度も試した事がない方は一度やってみるのもいいかもしれません。

今週も良い1週間になりますように。

藤井隆太

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