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【短編小説】『選べたはずの未来』

 ひと目見て、彼女だと気づいた。

お昼時を過ぎた山手線内回り。
ドアの入り口に立ち、流れていく景色をじっと見つめる彼女は僕が大学時代付き合っていた子だった。

おもいがけない出会いにつり革を掴む手にじわじわと汗が浮かんでくる。

もしかすると『君の名は』的な展開か!?と自分で自分に冗談を言っても、はやる鼓動の音は大きくなっていく。これは話しかけないといけない。なぜだかそんな気がした。

次の駅についたら声をかけよう。

そう心に決め、それまでの間、彼女とのことをふと思い返す。

 就職活動が一段落し、友人たちの不格好なスーツ姿を見ることが少なく鳴ってきた頃、ぼくは答えを出せずにいた。

大学2年生の頃に付き合い始めていた彼女とこのまま付き合っているか、それとも、別れるべきかを。

特に不満はなかった。順調といえば聞こえはいいけれど、満帆というほどではない。
なんていかにもな言葉を並べずに言えば、ただ退屈だった。

そんなどっちつかずともいえない気持ちのまま、一ヶ月がすぎ、雨の匂いが交じる夏のはじまりに、ぼくたちは終わった。

終わらせたのは彼女からだった。


”渋谷~、渋谷~”

 ハッと我に返ると気づくとすでに電車は止まり、ドアが開いている。
彼女の姿が見当たらない。
まずい、ここで降りたのか。

車内に入り込む客を避け、ホームへ降り、あたりを見渡すと彼女の姿はすでに、数メートル先に遠ざかっている。

そう思った瞬間、足は動き始めていた。
人混みの中を走る僕に人々が怒りの目線を向けてくる。

ああなんでホームを走ってんだぼくは。
懐かしげに回想していた自分がバカだった。

やっとの思いで手の届く距離まで近づき、彼女の肩を叩く。振り向いた彼女の怪訝そうな顔が、僕を見た瞬間驚いた顔になる。

「え?なんでいるの?」
「ごめん、電車でみかけてさ」

こういう時の誘い文句はどうすればいいのだろう。沈黙にたえきれず、勝手に言葉が出てくる。

「ちょっと、話さない?」

息を切らしながら、ぼくはなんて声をかけようか考えていなかったことを後悔した。

***

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 ホームを抜け中央改札口から出ると、あたりは再開発の工事中で、どこもかしこも白いパネルで囲まれていた。

学生の頃からいっこうに終わらない工事に飽き飽きしながらも、どのように変わっていくのか分からない未来の渋谷にワクワクしている自分に気がついた。

そのまま人混みを抜け、宮益坂方面へ並んで歩く。しばらくすると、いきあたりばったりで連れ出した彼女が、やや緊張気味に口を開いた。

「いや、普通にびっくりしたんだけど」

「ごめん、なんか久しぶりだったから」

「もっと、あるでしょ、声のかけ方なんて」
呆れ気味に言いながらも、彼女の表情は明るかった。

「いやなんか会うとは思わなかったから」
「まあ、久しぶりだよね」

やっとの思いでひねり出した誘いの言葉に、今更恥ずかしさがこみ上げてくるが、悪くはなかったらしい。

「なんか老けた?」
「別に変わってないだろ」
「どう?仕事は順調?」
「まあぼちぼちかな、朝は辛いけど」
「朝、苦手だったもんね」

気持ちが行動にあらわれるとはよくいったもので、別れる前の数ヶ月はよく遅刻して彼女に怒られた。

遅れては行くけれど、会うことを止めはしない。その不完全な行動がぼくの気持ちをあらわしていたのだと振り返ってみて気づく。

「あの時はごめん」
「いいよ、今更」
「なんかさ、迷ってたんだあの時。このまま付き合っていたいとも思うし、別れるべきなのかなとも思ってた。後悔、したくなかったんだ」

少しの間、沈黙が流れ、坂を登り終えた場所に現れた交差点の信号の前で立ち止まった。
これは言い訳に捉えられるだろうな、情けない。

そうは思いながらも、言わずにはいられなかった。それが自分の罪悪感を解消したいだけなのか、ただ事実を述べたいだけなのかぼくには分からなかった。

信号が赤に変わったと同時に彼女がそっと口を開く。

「君はどっちを選んでも後悔してたと思うよ」

意味を理解することができず、言葉が出てこない。それを見かねてか彼女が続けて言う。

「後悔ってさ、自分が選べたはずの未来を思うから生まれるの。そのまま付き合っていたとしても、別れたとしても、君は選ばなかったほうを考え続けていたよ、きっと。だから、なにを選ぶか決めるより大切なのは、なんでその選択をしたいか考えることだよ。」

「なんでその選択をしたいか......か」

 思い返せば、付き合う、別れるの2方向でしか考えていなかった気がする。
今のままでいいのか、漠然とした未来に対する迷いだけが心をさまよい、悩ませていた。

人行き交う交差点を抜け、由緒ある大学のからは、男女グループがなにやら楽しそうに会話を弾ませている。

その横をすぎ、真っ直ぐ歩くと、地下鉄の入り口が見えてきた。

「じゃあ私、ここから乗るから」
「急だったけど、ありがとう」
「うん、私も久しぶりに話せてよかった気がするよ」

なぜぼくは引き止めたのだろう。
考えると、一つの答えが浮かぶ。
ぼくは彼女が好きだった。そして今も変わらず好きだ。
だから必死で追いかけてしまったのだと。

「待って!」
「ん?」
「ぼくやっぱり君のことが好きだ、君とまた付き合いたいと思ってる。なんでその選択をしたいかって言ったけど、なんかやっぱり君の隣がいいんだ」

彼女に向き合って言う。今になってしばらく会っていなかった彼女の姿をようやくしっかりと見ることができた。

綺麗だ。素直にそう思った。

この選択が正しいのかどうかはわからないが、自分がどうしたいのか今ならはっきり分かる。

2人の横を歩く人が、少しだけ気にしたように目を向け、そのまま通り過ぎた。

「ごめんね」
困ったような顔をしていたが、声色は糸がピンと張ったような、きっぱりとしたものだった。

「そっか、なんかごめんね」
「ううん、こっちこそ。けど......君はもう大丈夫だよ」
とびっきりの笑顔でグッドラックのハンドサインをぼくに向けてきた。

「今度はきちんと選べたから大丈夫」

何が大丈夫なのかは検討がつかないが、彼女に言われると本当に大丈夫な気がしてくる。
望んでいた未来とは違った結果なのに後悔はない。たぶん選ぶってこういうことだ。

「じゃあ今度こそ、じゃあね。寝坊しないように気をつけるんだよ」
「さすがに社会人だからね」

振り返りざまに見せた笑顔が、やはり美しかった。

彼女は行き先に向かうために地下の階段を一歩一歩降りていく。

その後ろ姿をほんの少しだけ名残惜しく見送り、ぼくは日が落ちかけて暗闇に染まっていく道を、また歩き出した。


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