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【第八回】チェケラッチョ・マイ・ティンティン『北沢語る』

「、、、全ては同時期に起こっているんです。そして全てはゆるやかに繋がっている。でも残念ながら大衆はそれに無自覚で、すぐに忘れてっちゃう。そう、SNSのタイムラインみたいにね。ぶっちゃけちゃうとこの国はもう終わりだと思ってますよ。もう立ち直ることはできない。残念ながら、ね。だから僕は一抜けた。若い人は早く国外に脱出する準備をしたほうがいい。そう、本日、この学び舎から旅立たれるみなさんのような方々は、今のうちに逃げる準備をしておいた方がいいのだと、私は強く思ってます。


 さっきも司会の方がおっしゃってたけれど僕もね、もうけっこう前になりますが、この大自然に囲まれた学び舎で貴重な青春時代を送った、いわばみなさんの先輩ということになります。今日の僕のお話はね、後輩の皆さんだけじゃなくて、色んな媒体さんが取材に来てくれてますんで、日本中に広まるんじゃないかなと思います。きっと記事の見出しかなんかには「「もうこの国は終わり」北沢母校で語る」って書かれるんでしょう。そうですよね?記者さん。いいんです。別に僕は怒ったりしません。そういうお仕事なんですから。そして嘘ではないのだから。


 時間は限られています。このスピーチも、そして我々の人生も。だから残りの時間は、僕が学生時代をどのように過ごして来たのかをお話ししたいと思います。


僕は決して真面目な生徒じゃありませんでした。授業も必要最低限だけ受けて、しかもその必要最低限の授業でさえ、教室の隅っこで机に突っ伏して眠っているような有様でした。そんなんだからテスト前日には友達にノートを見せてもらって、一夜漬けで内容を暗記して、かろうじて最低評価のCで単位をもらってた。


でもね、その代わり課外活動はわりかし活発におこなってて、今の会社の前身となる仕組みを作ったのも学生時代でした。たくさんの出会いがあり、それ以上にたくさんの別れがありました。


 それでね。(しばらくおし黙る)ごめんなさい。今日は何を話そうか考えず、手ぶらで来たものだから。(さらに沈黙)やっぱだめだ。なんにも思い浮かばないや。ごめんね。こうして壇上で偉そうなこと言うのはやっぱり向いてなかったみたい。だって現状こうしてみんなから「成功者」って呼ばれてるけれど、実際運だぜ?こんなもん。俺より優秀なやつなんてめたくそいるわって話。ただ俺は巡り合わせが良かっただけ。どんな実力あったって運が悪けりゃ終わりなのよ。だからこうすれば成功するとかは言えないわけ。責任取れないもん。もちろん、こうすれば失敗は少ないっていう処世術ならあるよ?でもそれを言ったところで、その通りに行動できるかどうかって言ったら、それも運だしさ。


 やばいね。ボロカス言っちゃったわ。多分会社の株価めっちゃ下がると思う。まぁもう売っちゃったからどうでもいいんだけどね。新代表の山本くんにはここで謝っとく。ごめんね。まぁそんな感じ。卒業おめでとうなんてことも言えないわ。多分うちみたいな「そこそこ」の学校出たからには、ほとんどの人が搾取されて人生を終えることになるだろうけど、関係ないもんね。だから苦労するだろうけど、がんばってください」

 カリスマ不在の時代と言われて久しい。


 マスメディア全盛の時分、人々はブラウン管に映し出される偶像(アイドル)を綺羅星(スター)のごとく拝み奉り、熱狂を伴って迎えていた。しかしそれも今や過去の話。


 今ではみんながみんな、それぞれの「神」を持っていて、例えばそれは都市伝説を紹介してくれるユーチューバーだったり、煌びやかなフォトをタイムラインに並べてくインスタグラマーだったりする。いつからだろうか、世界は以前よりも狭く小さく切り刻まれていると感じるようになったのは。
「このりんご、僕が育てたんですよ」


「修行中」の手料理を味見してくれるならと、無償で取材を快諾してくれた彼は、IKEAで買ったというパイン材の机上にアップルパイを乗せながら、誇らしげにそう呟いた。


「引退してからはなるべく自力で生活することを心がけてますね。もちろん、完全にとは言えないけれど。今まで、頭の中にあったのはプロジェクトのことばっかりで、掃除とか洗濯とか、食事とか、そういったことは全部誰かにやってもらってたんですよ」


 正直言って私はこの状況に対して現実感(リアリティ)を感じることができなかった。


ついこの前まで「不可能を可能にした男」、「アジアITの寵児」とまで呼ばれ、多大なる名声を得ていた北沢庄司がいま、決して豪華とは言えぬ都内某所の一室で、スウェット姿のまま午後ティーを注いでくれている。取材したのは、例のスピーチ事件直後で、否定派擁護派双方がモニター上で議論を繰り広げていた頃だった。


「想定の範囲内です。むしろそうならない方がおかしいでしょう。全然気になりません。今はもう誰の人生も背負ってませんから」


世捨て人。失礼を承知で書かせてもらうなら、彼に対して私は俗世を離れた仙人のようなイメージを持った。意外だ。何かが大きく変わってしまっている。これまでメディアで見せてきたような、人々を焚きつけ扇動していくような空気感は微塵も感じ取ることができなかった。あるのはただ、おそらく諦念から生まれたと思しき平静のみであった。私はICレコーダーの電源を入れ、月並みであろうがと前置きした上で、彼の幼少時代から問いかけ始めた。以降彼の口から紡ぎ出される返答(アンサー)は驚嘆をもって私の鼓膜に揺さぶりをかけ、私の、そして世間の固定観念を紐解いていくことになる。

「実は僕の父って、田村河内 隆なんですよ。北沢は母方の姓です。ほら、離婚したでしょう?」


 ぶっきらぼうに突然投げられたこの真実(ファクト)に私は耳を疑った。まさか。そんなことってあるだろうか。脳みそが過去の記事(アーティクル)や画面(モニター)をフラッシュバックさせていく。それはもう十五年以上も前の話で、私事語りを許してもらえるならば、私が社会に出て初めて書いたのがこの事件に関する記事(アーティクル)だった。

 もう随分前になる。若い読者に向けて簡単に説明しよう。田村河内はもともと刑事だった。そしてとある事件を担当することになる。未成年男子による残忍な連続誘拐殺人事件、通称アルファベット事件。最初にイニシャルAの女子高生が刺殺されたのを皮切りに、BCDと何も罪のない人々が命を奪われていき現場には警察やマスコミに対する挑発と取れる声明文が残されていたあの事件である。結果として被害者はIまで行ってしまったが、事件は田村河内の「名推理」で解決に導かれる。特に終盤戦、GとHが密室で同時に殺された際のトリックなどは驚嘆に値するものがあった。


 その明晰な頭脳ゆえ、かねてより関係筋の間では「東署に田村河内あり」と盛り上がりを見せていたのだが、蓄積されていた期待は事件解決報告の記者会見で爆発する。彼は涙ながらに語ったのである。


「いくら被害者を自分の好きにできたとこでね、心の橋(ブリッジ)は封鎖できませんよ」


 その日から彼の人生は一変した。鳴り止まぬ取材オファー、そして絶賛の嵐。手始めに執筆した『ココロノハシ ― 悲惨に抗う10の教訓 ―』は三桁超えのベストセラー、「心の橋(ブリッジ)」は流行語大賞にノミネートされた。これを足掛かりに彼は刑事職を辞しコメンテーターに転身。「ハイキング」のレギュラーとしてMCの 忍-shinobi-と軽妙な掛け合いを繰り広げていった。


「俺ね、田村河内さんみたいな人の意見ってほんっと大事だと思うの。やっぱさ、内側からしか見えない事情ってあるんだよ。俺らは外側から見えたことしか報じられないわけだけどさ、実際に現場じゃどんなことが起きてんのかとかさ、わからないわけ。俺らからすりゃ、なんでそんなことするわけ?ってことでもちゃんと背景を知れば納得できちゃったりするんだよね」


 だが、盛り上がりは突然終演を告げる。刑事の時分、彼は反社会的組織から金銭と、高級料亭・ホテルでの接待を受ける代わりに、犯罪行為を黙認していた。その事実が週刊誌によって明るみに出たのは、ちょうど監修した刑事ドラマが放映されている最中であった。


「あんたさぁ、言ってることとやってることがめちゃくちゃじゃねぇかよ!なんなの?あんたなんなんだよ、バーカ!もうくらっちゃえ!忍法・梅松紅斑(賠償降板)!」


 その日を境に、田村河内は表舞台から姿を消した。彼は社会的にだけではなく、物理的にも抹殺されたのだという声があちこちで湧き上がっていた。しかし、彼は生きていたのである。

「見舞いはよく行ってました。治療費は全部忍-shinobi-さん持ちで。やっぱり感情に任せてやっちゃった手前、僕らに申し訳なさがあったって。母も最初は断ってたんだけど、何度も頭下げられてるうちに根負けしたようです。あとは僕が学校でいじめられんじゃないかって気ぃ回してくれて、専属の家庭教師も用意してくれたんです。お陰で大学も第一志望受かって、そこら辺、仁義のある方だったと思ってます」


「じゃあ、忍-shinobi-さんに対する怨みはないと?」


「そんなそんな。感謝こそしても怨むことはないですよ。もちろん父が嫌いだったというわけでもないですよ。理解してもらうのは難しいかもしれませんけど、そういうことって、ある」


 そういうことって、ある。取材を終えた私は、エクセルシオールカフェでMサイズのブラックをすすりながら、彼の言葉を反芻していた。


 忍法・梅松紅斑は伊賀の里でも禁術中の禁術。もちろん、カメラが捉えたのはあの時が初めてだ。被害者は身体中に真っ赤な斑点を作り、股間から「木」を生やす。その葉は鋭く尖り、さながら松を思わせるが、毎年決まった時期に身体中の斑点が木に集まり、梅のような花を咲かせ、再び身体中に「散って」いく。


「きれーでねぇ。昼休みなると別室の患者さんとか、看護婦さんまで集まっちゃって。ほら、植物状態で意識もなんもなかったんで、そこら辺誰も遠慮せずっていうか。なんだろう、こういうこと言うと不謹慎だと言われるかもですけど、(世間からバッシングを受ける)正直嬉しかったんですよ。前のお父ちゃんが戻って来たって」

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