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【第十回】チェケラッチョ・マイ・ティンティン『KOJOSEN』

精神病院を脱走した後藤敦子と、元マネージャーのメリー乃木坂が再会を果たしたのは都内某所の集合団地だったと言われている。


あの一件で監督者責任を追及され退職を余儀なくされるまでメリーは港区のタワーマンションでアレクサとルンバに身の回りの世話をさせていた。にも関わらず、事件以降は駅前のサミットで閉店間際まで粘り半額シールが貼り付けられた惣菜を買い物カゴに放り込むような生活をしていたのである。その日も持参したトートバッグに詰めたトータル二円引きの商品を揺らしながら帰宅した。そしてエントランスに患者着姿でうずくまっていた俗称「ゴアツ」を発見したのだった。彼女は快く自室へと招き入れ粗茶を供したという。マグカップに湯を注ぎ入れる際立ち昇る湯気を顔面に浴びながら、前職で最初に教えられたのは給湯室における身の処し方だったなとひとり感じ入った。


「この仕事ってさ、要はご機嫌とりなわけよ。どんだけ相手に合わせた、オーダーメイドな回答を示せるかっていう大喜利なわけ。その第一歩がお茶なわけさ。メリーさんさ、なんでここに温度計が置いてあると思う?しかも防水の。もう言わなくてもわかるよね 笑 まあ、まずはお客様と、打ち合わせしてる俺に最良の回答を示してみてよ」


 ゴアツの好みは自販機における「あったか〜い」程度の温度。熱湯で出されたらマグカップに触れもしなかったっけ。とことん刺激というものに敏感な娘だった。だからこそ天才的な審美眼を持ち合わせていたし、だからこそ壊れやすかった。


 粗茶を渡されたゴアツは、それが現役時代愛用していたマグカップだと気づき、とっといてくれたんだとつぶやくと両手で優しく包み込んだ。


「メリさん(「ー」は略。「明暗」と同じイントネーション。)、ほんと迷惑ばっかかけてごめんね。やっぱメリさんが正しかったよ。もっと自分を大切にするんだった」


 そう言われたメリーは、ゴアツに自分の歯を見せず、ただ口角だけを上げて茶をすするのだった。何も言わないことにこそ意味があるのだという価値観。常人にはこんな真似はできない。次の言葉を発するまでの間も的確だった。


「カラオケ、いこっか」

君がいた夏は 遠い夢の中
空に消えてった 打ち上げ花火

季節外れだねと笑いかけるゴアツに対し、メリーは、だって人生って花火みたいなもんじゃない?とエコーの効いたサウンドで応えた。


入店し受付を済ませこの部屋に入った際、モニターにはアーティストのインタビューCMが流れていた。そして折り悪く出演していたのは高城が現在売り出し中のアイドルグループ。この状況下にあってすぐさま前述の曲を流す機転の利かせ方からも、メリーの手腕が廃れていないことが窺える。

君がいた夏は 遠い夢の中
空に消えてった 打ち上げ花火

 最後のサビへと差し掛かる頃にはすでに、ゴアツの瞳からは大粒の涙がこぼれていた。


「うん。人生って、はなび」


 そこからはとんとん拍子だった。どちらからともなく、通称「城」であるところの高城邸襲撃への合意が形成されたのである。


「城攻め」を提案したのはゴアツだという説が大勢を占めているが、近年になってメリーが首謀者だとする説が活況を呈している。というのも、なぜメリーがカラオケに誘ったのかという点が不可解だからである。ゴアツとメリーは現役時代よくカラオケに行っていたという情報はあるにはあるが、気配りの権化として一時は名声を得ていたメリーともあろう者が現地で気まずいCMが流れる可能性に目を向けなかったとは考えられない。


 さらにメリーはCMが流れる中強制的に曲へと移行した。メンタリズムの分野でも実証されていることだが、人間は中断されると続きが気になってしまう生き物である。この特性は広告宣伝の分野にも応用されており、「続きが観たければ◯◯をしろ」型のCMに毎日多くの者が踊らされている。これもメリーが知らなかったはずがない。


 後藤は高城の件を強烈に頭へ残しつつ、「人生のはかなさ」というメッセージをメリーの歌唱によって植え付けられた。さらには「人生って花火」というイントロダクションが加勢することにより、最終的には「城攻め」による破滅願望へと結実することになった。場合によってはそういう見方ができなくもない。


 いずれにせよ、二人が城を攻めたという事実に変わりはない。メリーの人脈により、武器調達はとてもスムーズに進んだ。組織を離れた個人は取引先からそっぽを向かれるのが世の常ではあるが、これまで「仁義」に身を捧げ「盃」を交わしてきたからであろう、メリーに限ってはそんな事態はついぞ起こりはしなかった。


「ほんま、銃刀法は現代の廃刀令やでぇ」


という支援者の言葉を背に、二人の戦士は城へと歩を進めたのであった。

 ゴアツとメリーが最初に討ち取ったのは、折り悪く居合わせた城の設計者、ベア⭐︎研吾だった。ベアはアフターケアの充実した設計士として業界に名をはせており、その日も「作品」に寝泊まることで改善点を見出していく作業に取り掛かっていた。ベアは突然の闖入者に驚きを隠せなかったが、すぐさまノコギリを片手に臨戦態勢へ突入したという。しかし銃火器には敵わなかった。


「べあ!べあべあ!、、、、、、ちゅん」


 ちゅん、というのは今際の際にベアが発した断末魔でもあり、放たれた鉛玉が彼の右耳を掠めた際の音でもある。というのも、流石メリーの弾はベアの眉間を正確に撃ち抜いたのに対し、ゴアツはこれが最初の実戦。掠った程度とはいえ、的に当てただけでも評価されるべきことなのだ。既に仰向けて絶命したベアに対し、後藤は頭部や股間目がけて発射し続けた。そしてメリーは、弾が勿体無いと制することなく、ゴアツの気が済むまでその様子を眺めていた。サイレンサー付きの銃がささやかな音を立てる度、ベアの身体は瞬間的に痙攣するのだった。トムとジェリーに出てくるチーズらしく所々空いた穴から崩れた歯を覗かせ、何かが決壊したのだろう、鼻からは血液と脳漿が混ざり合わさった薄ピンク色の液体が溢れ出し、それは胴体にも、目玉が収められていた二つの空洞にも流れ出していた。そんな顔面と相対しながら、ゴアツは何を思っていたのかは分からない、ただそれ以降、銃を手にしてから止まらなかった手の震えを、彼女が克服したのは明らかだ。

 彼女たちが次に討ち取ったのは、高城お抱えの現代芸術家、蟹江隆だった。蟹江はラッパーとしても活躍しており、アルバムを出す度に彼の内面世界に共鳴した信者から熱烈な支持を受けて来た。しかし、精神的に問題も抱えており、それまでに数々の奇行をメディアに取り沙汰されて来た。討ち取られた当時も、栄えある音楽賞の授賞式において最高賞を勝ち獲ったシンガーソングライター、麦芽法師のスピーチを妨害したことで世間から猛反発を喰らっている最中であった。これを受け蟹江は、かねてより親交のあった高城の城の離れを間借りし、外部との交流を一切シャットアウトして日夜創作に明け暮れていた。


その日も深夜だと言うのにMACの光を浴びながらメトロノームに合わせmidiを打ち込んでいたらしい。ヘッドホンをしていたため後ろから近づく足音に気づくことなく、彼の後頭部には穴が空けられた。よって、「みんな大丈夫か?って聞くがみんなは逆に大丈夫か?」という、問題の授賞式を終え会場を後にする際カメラに向けて放ったコメントが、公に向けた最後の言葉となった。ちなみに蟹江を一発で撃ち抜いたのはゴアツだった。

 しかしながら次に討ち取られたのがゴアツとメリーであった。討ち取ったのは言わずもがな、長嶋貞治で、これは城を攻めると決心した時から二人が覚悟していた結末だっただろう。しかし監視カメラの映像を観る限り、これほどあっけなく終わってしまうとは夢にも思わなかったのではなかろうか。
道すがら警備員を数名手にかけ、ようやく高城の眠る階へとゆっくり足を踏み入れたその刹那、まずは銃を構える2人の両手が手刀によって切り落とされた。正確にいうと切られた手は腕にくっついたまま5歩ほど進み、ポロリと落ちた。鋭利すぎる「刃物」は痛みを感じさせないのだろうか、2人は声をあげることなく、何が起きたのか分からぬまま足元に落ちたものをじっと眺めていた。無理もない、カメラでさえコマ送りにしてやっと、残像でボヤけた長嶋を捉えられるのだから。その後まず動いたのはメリーだった。まだ体感的にはあると錯覚していたのだろう、なくなった右手で、まさかここも切れていないよなと確認するように首筋をさすった。そう、彼女は最期の最期まで察しがよかったのだ。もし断頭後の人間に聴覚が残っているのなら、メリーは足元に落ちた自分の手首を眺めながら、ゴアツのまずは頭が、ついで両膝が、毛足の長い絨毯に包み込まれる音を聞いたであろう。

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