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低い投票率も金も無能な政治家も、「政治」にはつきもの

僕にとっての政治とは、次のようなものである。

「日常生活を生きていくことに精一杯な多種多様な1億人から構成する国家を、一般の人が関与できる、そして一般の人が実際に関与している形で、安定的に治めること」

僕の政治に対する考えは、概ねこの一文に凝縮されている。

僕は選挙の投票率が低くくても致し方ないと思っている。国民の誰しもが「日常生活を生きていくことに精一杯」なのだ。政治が日常生活の範疇にある人は永田町くらいにしかいなく、一般の人にとっての毎日は政治とは無縁だ。投票日でさえも、生活に余裕がない人なら仕事をしているだろうし、生活に余裕がある人なら友人との食事を優先してしまうだろう。いずれにせよ、わざわざ近所の小学校まで足を運んで赤の他人の名前を投票用紙に書いている暇などない。

僕は健全な政治には金がかかると思っている。日本は「一般の人が政治に関与できる」民主主義国家だ。1億人もの人に政治に関与してもらうには、膨大な時間と労力がかかる。そして、時間と労力には金が伴う。衆議院の選挙区で最も有権者が少ないのは鳥取県第1区の23万人。この23万人一人ずつにチラシ1枚を送る印刷代と郵便代がいくらになるのか考えてみて欲しい。軽く数千万円はかかってしまう。ましてや、チラシ一枚など糠に釘なのだ。23万人のうち大半の人は政治とは無縁の世界で一生懸命生きている。そんな人達にチラシ一枚程度で政治に関与してもらえるはずがない。

僕は政治と政策は切り離して考えるべきものだと思っている。日本は「多種多様な1億人」から構成されており、「政策」もその人数分だけ存在する。たった700人の国会議員だけを考えても、それぞれが自分の政策に拘泥したら、国会はカオス状態に陥ってしまう。政策に無頓着な人がいて、そういう人が政策に拘りがある人たちをまとめ上げているからこそ、国が麻痺しないで運営されていけるのだ。

僕は政治家の無能さが報道されている程度のものなら、大したことはないと思っている。日本の政治は「一般の人が関与している」民主主義なのだ。政治家は王様でも貴族でも天から降ってきた神様でもないからこそ、「政治家は選挙に落ちればただの人」という表現がある。自分の周囲にいる同僚や身内のことを考えてみてもらいたい。10人に1人くらいは「無能」に該当するのではないだろうか。日本にいる700人の国会議員のうち100人が無能だったとしても、それはたったの14%。特に高いとは言えない水準である。

何より、僕は国民自身が政治というものを誤解していると思っている。一般の人に政治に何を求めるかと聞いても、「安定性」と回答する人は少ないだろう。多くの人は「理念」や「清潔性」と答えるかもしれない。でも、本当にこの二つが重要なら、結党以来ぶれない理念を追求し身内の不祥事にも厳しい共産党にもっと票が入っているはずなのだ。自覚はないかもしれないが、大抵の国民は、実は何より毎日時間通りに電車が駅に着くことを求めている。

よって僕は、政治で最も重要なことは「安定的な統治」だと思っている。

そして僕は、日常生活が政治どころではない1億人を安定的に治めることは至難の技だと思っている。

だから僕は、そんな難中之難に取り組んでいる政治家達を「あいつらは全員ダメだ」と一括バッサリ切り捨てられない。

[注:この記事は2022年5月に自分のブログに載せた投稿に微修正加えた上で再掲したものです]


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