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日本のカレー インドから日本への伝来と進化

日本の街角では、賑やかな商業地区から静かな住宅街まで、いたるところにカレーの香りが漂うカレー店を見つけることができます。しかし、カレーはもともとインド料理ではないでしょうか?本記事では、インドのカレーが日本に伝わり、どのようにして日本の「国民料理」として定着したのかを探ります。

日本のカレーの物語は、19世紀半ばに遡ります。1853年、黒船事件により日本は長年の鎖国政策を終え、西洋文化との交流を開始しました。この時期に日本に伝わったカレーは、実際にはイギリス式のカレーでした。イギリス海軍は長い航海の中でインドカレーを改良し、より濃厚で野菜や肉を加えたものに変えました。ある民間伝承によると、イギリスの船員が日本の海岸で遭難し、救助された際にカレー粉などの糧食を持ち込んだと言われています。当時、日本海軍は兵士に安価で簡単に調理できる食事を探しており、これが日本初のカレーレシピの誕生につながりました。

イギリス式カレーはインドのマサラよりもマイルドでしたが、香辛料の強い香りは淡白な味に慣れた日本人にとっては依然として挑戦的でした。日本最初のカレーレシピは1872年に登場し、敬学堂の主人が著した『西洋料理指南』に記載されました。このレシピには、ネギ、ショウガ、ニンニク、バター、エビ、タイ、牡蠣、鶏肉、小麦粉、カレー粉などが含まれていました。これらの材料は日本人にとって受け入れやすいものでしたが、カレーの味の激しさを改善することはできませんでした。

同年、仮名垣魯文が編集した『西洋料理通』のカレーレシピは、現代の日本カレーの風味に近づいていました。このレシピには牛肉、鶏肉、ネギ、そして最も重要なリンゴが使われていました。リンゴの爽やかな味わいが香辛料の辛さを中和し、カレーに甘みを加えることで日本人の味覚に合うようになりました。カレーが日本で広く受け入れられるようになったのは、海軍の標準食となったことが大きな要因です。1903年、大阪の薬局が初めてカレー粉を製造し、地元で急速に普及しました。1905年の日露戦争中、日本海軍はカレーを軍隊食として採用し、脚気予防に役立てました。これが最初の「海軍カレー」として知られています。

海軍カレーにはタマネギ、ジャガイモ、ニンジンが含まれており、これらは「三種の神器」と呼ばれました。これらの野菜は長時間煮込むと甘みが増し、リンゴの使用も相まって香辛料の刺激を和らげることで、日本人の淡白な味覚に合うカレーが完成しました。このカレーは海軍だけでなく、日本の一般家庭にも広がり、カレーライスとして定着しました。

1932年には、大阪の阪急百貨店の食堂で手頃な価格のカレーライスが提供され、一日で13,000食以上が売れるほどの人気を博しました。戦後、食糧不足の中でインドから大量の香辛料が提供され、カレーは学校給食の一部としても採用されました。これにより、カレーは日本全国で普及しました。

台北市の晴光市場に位置する「哞屋」は、小さな日式料理店で焼き肉丼とカレーライスを提供しています。哞屋のカレーは、特製のチーズハンバーグカレーが特に人気で、厚みのある牛肉ハンバーグから溢れる肉汁が魅力です。哞屋のカレーはさっぱりとしており、食べた後も重くならないのが特徴です。中にはサツマイモと茹で野菜が入っており、甘みが加わって全体の味わいがさらに豊かになります。どの年代の人々にも好まれる一品です。

日本のカレーは、19世紀半ばに導入されて以来、何度も改良され、最終的には独自の日本カレーとして進化しました。このカレーは日本海軍や学校給食を通じて広まり、日本の国民料理となりました。台北の「哞屋」では、日本のカレーライスの風味をそのままに、異国の地でも楽しめるよう工夫されています。日本の街角や台北の市場で、カレーの香りは人々に温かさと満足感をもたらし続けています。

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