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『日本でいちばん長い日』| 岡本喜八監督

子供の頃。たぶん小学校高学年の頃だったろうか。テレビで見た記憶がある。わたしの記憶では奈良の従兄弟の家だったと思うのだが、それは思い違いで自宅だったのかもしれない。自殺のシーンだっただろうか。飛び散る血が、ものすごい勢いで障子にかかる。純白のふすま紙の上に飛び散った帯びたただい血は、モノクロ映画であったために漆黒で表現されていて、その著しいコントラストの強さが、残酷さを際立させており、本物の自殺シーンに目の当たりにしてしまったほどの衝撃を受けることになった。観れたものではなかった。自分がチェンネルをあわせたのか、それとも従兄弟の両親が居間で見ているテレビを垣間見たのかはいまとなっては記憶は明確ではないが、あまりにもグロテスクで恐ろしく、すぐにその場を離れた記憶がある。直後に何の映画だろうかと、新聞のテレビ欄で確認した。『日本でいちばん長い日』というタイトルであった。子どもながらに、大人になったら、この映画は絶対に観なくてはならないと小さな誓いを立てたことを覚えている。それから45年の歳月が過ぎた。なかなか機会を得られずにいたが、やっと鑑賞の機会を得たのであった。それは、期せずして8月15日の終戦日となった。

当然二・二六事件は知っていたものの、恥ずかしながら玉音放送奪還を企てたクーデターである宮城事件を知ったのはだいぶ後になってからだった。事実上の敗戦宣言となった玉音放送が、首の皮一枚のところで、なんとか放送せしめたという事実を知って相当に驚かされた。皇居が反乱軍に占拠されていたという事実と、この場に及んでテロを実行した日本の軍部の恐ろしさをまざまざと知らせれ慄然たる思いにさせられた記憶がある。
子供時代にテレビで見た映画が、宮城事件を描いていたとは知らなかったのだ。

阿南惟幾陸軍大臣は、三船敏郎であった。あの割腹シーンは三船のものだったとは覚えていなかった。写真で知る阿南とは随分イメージが違うなと思ったが、帝国日本人としてのけじめを割腹をもって示した男の顔は、やはり三船敏郎であるべきだったのかもしれない。

首相の鈴木貫太郎は、笠智衆であり、実際には顔は似てなくても、わたしのイメージにすごく近いものに感じた。本土決戦なしの終戦は、鈴木貫太郎なしには成就できなかったはずである。鈴木貫太郎は長く元侍従長を務めており昭和天皇の相談役のような存在であった。昭和天皇との信頼関係があったからこそ、8月14日最後の御前会議における御聖断がなされたものと考える向きは多い。驚くことなかれ陸軍大臣の阿南も鈴木貫太郎と時を同じくして元侍従侍従武官でもあった。鈴木貫太郎と阿南はお互いをよく知っている存在であり、緊迫した御前会議のなか、ふたりは言葉を直接交わさずとも、暗黙に了解しえる部分があったのだろう。

畑中少佐役は、若き日の黒沢年男であった。
すぐに激高し憤怒を抑えきれず荒れ狂うように喚き続ける姿が何度も何度もスクリーンに登場し、正直辟易とさせられた。実際には畑中少佐は、このような激高タイプとは異なったと言われているようだが、テロをも辞さないとした日本陸軍若手将校たちの暴力性を描写するには、こうした直情的な姿を必要としたのかもしれない。

クーデターが潰えたあと、抗戦を諦めきれなかった椎崎中佐と畑中少佐が、
バイクでビラを撒きつつ皇居の周りを疾走するシーンが続いていく。
そのシークエンスが終わると、次のカットでは、皇居のまえで自害した二人の姿が、まるで壊れた天使のようなかたちでクローズアップされていた。
リアリスティックな演出に終止していたこの映画のなかで、この部分だけが異質にポエティックな情調を醸し出しいた。際どいなと感じた。その詩情を醸し出す演出は、右寄りに偏向している人たちの曲解を招くことになりはしないだろうかと。しかしこのポエティックな演出は、現実を透視せずにロマネスクに傾いた若手将校たちの内面世界を描いたものだと解釈できるかもしれない。

特筆すべきはやはり、森師団長他の惨殺のシーンと阿南の自害シーンであろう。

前者は史実として知っているから展開としては驚くことはないものの、
こうしてリアルに映像で再現されるとショッキングに響くものであった。
まるで凄惨な殺人現場を目撃してしまったかのような居たたまれない気持ちにさせられる。生身の人間が殺されるということは、余程のことなのだなと考えさせられるばかりだ。グロテスクに響いたのは、その残虐な殺害シーンや命潰えた無残な死骸の映像のせいばかりではなかった。若手将校たちから端を発したファシズムの暴走ぶりを目の当たりに、なまなましい不気味さを感じたことにもよるのだった。

そして阿南の自害シーン。
割腹の痛みは想像を超えるものだと聞いたことがある。
武士は、武士道を貫くために、自身のプライドをかけて、ハラキリを決行するわけだが、その尋常でない苦しみに耐えているなか、死にきれない武士に配慮し、介錯人が日本刀での介錯するということに習わしとなったらしい。
自決を思い直してほしいと思う若手将校たちのまえでのジリジリとした緊迫感。ひとりの男が目の前で死を選ぶことへの焦燥がこちらにも伝わる。

阿南(三船敏郎)は腹へと短刀を突き指し、耐え難い痛みのなか、うめきながらも力の限り腹を切り裂いていく。その苦しそうな阿南の姿を観て、
若手将校たちは、自分たちに介錯させてほしいと声をかけるものの、
阿南はそれには及ばないと返す。
痛みのなか左手の指で右側の首すじの動脈を指で触診する。介錯なく自身でケリを付ける姿は、侍の鏡であろう。正確な場所を探り当てた阿南は、右手に握った短刀でひと思いに自身の動脈を斬りつける。
夥しく血が白い障子へと飛び散る。
純白と漆黒との著しい対照が、目に痛い。
まさにわたしが子供の頃にトラウマを抱えた映像が展開された。
全体的に重苦しい映画であった。史実(または半藤の原作)に近いように構成されていると云われているようだ。

軽妙に戦争の愚かさを描いた『肉弾』などと比べ、岡本喜八らしくないなと感じたのは私だけだろうか。ピンチヒッターのようなかたちで抜擢された訳でからいたし方ないのかもしれない。
またその重苦しさは、脚本の橋本忍の生真面目さに負うところも大きいのかもしれない。
※何も知らない私の邪推ですが。

以下、Wikipediaより引用した。
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事件に関係した将校たちは明らかに当時の軍法・刑法に違反する行為を行ったにもかかわらず、
敗戦によって彼らを裁くべき軍組織が解散させらたため、
軍法会議にかけられることも刑事責任を問われることもなかった。
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またもやここにも、誰もが責任を取らずに有耶無耶にされた黒日本史が存在していたのである。

https://youtu.be/JAl_K7ZKwLE

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