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人への勝手な期待は恨みに変わってしまう

人に期待しすぎると、人間関係は難しくなると思っています。それって結局は勝手に人を評価して、その後に勝手に失望してしまうから起きる悲劇。単なるひとり相撲だから、勝手に期待された方もたまったものじゃないですよね。

人に対して「自分に冷たい」とか「裏切られた気分」などと感じるのは、こちらの方で勝手に "基準" を設定してしまっているからだと思うのです。

何らかの理由で、期待値を高く見積もりすぎていたということですね。


その期待値や見積もりは、あくまで自分だけの判断に他なりません。だから自己責任のはずです。しかし、相手のパフォーマンスがその期待に達しないと、なぜか相手を憎むようになってしまう。これこそが、人間関係を損なってしまう根本的な原因です。仕事でも恋愛でも同じことですよね。

人生において大切なのは、他人には「最初から過度な期待をしない」ということだと思っています。人は自分の期待には応えてくれないもの、くらいに考えておいてちょうどいい。誰しも、自分のことがいちばん大切なのですから。


これはちょっと冷たい考えにも見えてしまいそうですが、実はそうではないと思うのです。

なぜならこの姿勢こそが、「自立」する心を生むから。人に依存しようとせず、まずは自分でなんとかしようとする気持ちです。

この覚悟があると、それほど人に期待せずに済みます。人に期待するのは、言い換えれば「受け身的なラッキーを狙う」みたいな甘えも入ってると思うのです。


この人がいれば、自分の人生が好転する。何もかもうまくいく。そんなふうに思いたいのですよね。でもそういう考えは、期待した結果にならなかった場合に、「他責思考」を産んでしまうことになります。

失敗したのは自分の責任ではない、期待に届かなかった相手のせいだと。

▶ 「まずは自分で何とかする」という覚悟


自分にも過去、経験があります。10年ほど前、シンガポールやマレーシアを中心に動いていたときのことです。

当時は、とあるコンテンツに関する新しい事業を企画していました。海外での事業は現地企業とのパートナーシップが成否を握ることが多いので、良質なコネクション作りに力を入れました。

その結果、マレーシアでメディア事業を展開する現地の有力企業の部長と意気投合することができました。そして、何度も打ち合わせや食事も重ねました(マレーシアはマレー系、華人系、インド系の3つの民族で構成されますが、その部長はマレー系だったので何度もマレー料理をご一緒しました)。


良い感じにリレーションを作れている… という手応えは確かにあったのですが、しかしながら、最終的には資本の論理に阻まれ、思ったとおりに計画は進みませんでした。

個人的には、実はその部長が最後は何とかしてくれると思っていました。が、甘かったですね。そこは、日本人的な感性が裏目に出てしまったところもあると反省しています。まあ、海外ではよくある失敗パターンです。


あとからの振り返りですが、自分のこのような「姿勢」がそもそもの失敗の種でした。相手に期待しすぎなければ、あるいは事前に他に打つべき手もあったはずです。しかしながら相手に依存し過ぎ、ちょっと安心していた自分のミスでした。学びが多かったですね。

一瞬、その部長に恨みごとも言いたくなりましたが、そのときに気づいたのです。すべて、相手が悪かったのではなく自分が悪かったのだと。


相手に期待しすぎないメリットは、相手から何らかの好意を受けたときにそれを「あたり前」だと思わず、大きな感謝の心を持てることだと思います。

それこそが、相手に期待し過ぎないことの本質だと思うのです。まずは自己責任で、自分の力でなんとかする。でも「もし」、相手に少しでも手伝ってもらえたなら、それは本当に嬉しいこと。

つねに、それくらいの心持ちでいたいですよね。過去の教訓から、このことをおおいに学ぶことができたと思っています。


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Voicyで、この内容についてさらに掘り下げました。よろしければぜひお聞きください


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