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気候工学は倫理的に許されるか?〜大人になるためのリベラルアーツ読書会第一弾〜

こんにちは😃
日本リベラルアーツ協会では「続・大人になるためのリベラルアーツ」に準拠した読書会の第1回を9月16日に実施しました。会の趣旨はこちらです。


今回のテーマは「気候工学は倫理的に許されるか?」です。運営から前提知識をお伝えした上で、本に準拠した4つの問いについて対話しました。

問いは四問です。

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まず1問目
地球規模の気候変動リスク管理のための国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)の1.5℃目標への言及について、あなたはどう思いますか。

→ほぼ全員が「難しい」「厳しい」という考えでした。
その理由としては、

 ・厳しい目標を掲げるとアメリカや中国などの大国が抜けたり、先進国と途上国の軋轢が表面化する。
 ・人間の考えが簡単には変化しないことを感じている。
 ・地球スケールでの事柄は、個人スケールでは実感がわかない。危機感が維持できない。
 ・「奇妙なシナリオ」という「気候変動は壊滅的になるが、より多くの人がゆたかになれる」という報告も出されているので、人間の身勝手だが快適性を求めて、この方向に進むだろう。

といったものでした。

「厳しい」という話題から、 

 ・途上国を巻き込みお互いが納得する中で、気候変動以外でも人類全体が良くなるような政策(「持続可能な開発」)などがもっと進むと良い。
 ・「奇妙なシナリオ」を取るとしても、できることからコツコツと目指した方がいいのではないか。

といった前向きな対話もできました。
なお「気候変動の奇妙なシナリオ」とはこちらです💁‍♂️


続いて、2問目は
一般市民として気候変動リスクにたいしてなにができると思いますか。

まず、政治に働きかけるという話題です

 ・まずは、投票行動から。
 ・個人の節電は厳しいし限界がある、そのため、政治に働きかける。
 ・『人新世の資本論』のように企業活動を制限する。市民から行動し大きなものを監視。

続いて、そのために教育が必要という話題になり

  ・政治に興味を持つこと。システムから変える。SNSで意見を発信する。
  ・見せかけの正しそうな行動ではなく正しい行いを考えて判断する。(でもそれはかなり難しい。)
 ・市民(成人)への教育も行う。専門家は一方的に知識を与えるだけでなく、いかにして市民を巻き込むか考える。
 →身近な災害は自分の命に関わるので、実際に被災を想定したり、被災地を訪れ、危機感を持ってもらう。
 →住民の意見を取り入れ、その地区にあったハザードマップを作る活動などを通し、専門家と一般市民の距離を縮める。
 →専門家も市民から学び、市民の目線に立つ。
 ・社会科教育、特に「歴史」と「公民」は、再現実験が難しい。いかに証拠に基づき論理的に、時代や国、法の変化による人々の生活の変化を想像出来るか、といった教育に重点を置きたい。

「政治」「教育」の2つの大きな話題の上で、その他に

 ・世の中全体が精力的に活動する必要はないのでオピニオンリーダーが重要

といった新たな視点や、

 ・気遣った事業提案をしている。(ビジネスの現場で)
 ・リベラルアーツで、、、(現状はまだまだ)

といった、既に行動している!といった話題も出ました。形は違えど、小さくても行動をしている必要はあるはず、といった話題になりました✨


そして、3つ目の問い
気候工学は倫理的に許されると思いますか.またそう考える理由はなんですか。

積極的に許されるという考え

 ・人間の生命を守ってきた社会で、人間の生命を守るためなら許される。

どちらかといえば・消極的に許されるという考え

 ・人類の手で悪くした気候を、人類の手で良くする、その努力をすること自体は許容されるのではないか。
そのため、気候工学の研究はされるべきだとは思う。
 ・気候変動緩和の他の手段が現実的に実践できなければ、気候工学が現実的な選択。

許されないという考え

 ・モラルハザード※が発生する。
 →意識が高かった人が転落する?
 →気候工学で済むという虚無感を与えてしまう。
 ・副作用が起きると思うので倫理的にも技術的にも良くないのではないか?

※モラルハザードとは、ある悪い事態を免れる方法を得た結果、かえって危機意識が低下し、倫理観が欠如し、結果としてさらに大きな危機に直面すること。


そして、最終的に技術者倫理によるという考えも出ました。

 ・目的があり、達成するための技術が許されるか否かは一人ひとりの技術者倫理に帰結する。
 →専門家・技術者は社会の要請に応え、公衆の安全を最優先に置き、社会の高度化のためにその技術を使う。
 
 ・社会の要請があり、民主的に決めたことであれば、既存の技術も、すべてを理解した上で副作用や事故を0にすることは、ほぼ不可能な中で発展したため、許される。

一方で、

・地球科学の専門家として、現時点で地球の分かっている事柄の方が少なく、副作用を考えると、到底怖くて手を出せない。

といった考えも出ました。活発な対話となりました😊


いよいよ最後(4問目)の問い
今後、気候変動リスク管理(気候工学管理)にはどのようなガバナンスが必要になると思いますか。あるいはリスク選択の判断は誰がどのようにとるべきと考えますか。

まずは専門家が管理・判断する、という考え

 ・意思決定を一般市民に任せる、国民投票で決める等はダメ。
 →市民は間違う、感情的になる、個々人の利益によってしまう

続いて国民に委ねたほうが良いという考え

 ・国民の理解が得られないと絵に描いた餅になる。
 ・専門家だけに責任を負わせるのは酷だ。

いずれも

 ・情報の透明性が重要である。
 ・無批判なままではダメだ。

といった考えが出ました。

この2つの考えが出た上で、「個々人かその集合体」が判断するという考え

 ・1つの統治主体など不可能で、結局国際的に大枠が決まるのみ、
あとは各国、各企業、各個人が自由に意思決定しているだけ。
 ・結局自分たちで身を守るしかない。
 →責任は最終的に個人、又は個人の集合体か。

といった考えも出ました。

 このほかに出た新たな視点として

 ・気候変動による影響、つまり災害に対処するには、国家より、小さい地区や自治体で対処していくことが有効。
 →専門家は地区や自治体の市民に心理的距離を近づけ、お金は国家又は国際的な援助を公正に出す、ボトムアップ的なガバナンスが良い。
 →しかし誰が責任を取るのだろうか?
 ・同じ志を持つ個人の集まりを国際的に作り、働きかけを行うことは可能。しかし権力を持つことはできない。
・国籍を持たない究極の善人がリーダーシップをとってほしい

といった考えが出ました。

終わりに

 4問とも、教育(市民教育や学校教育)、技術者倫理(工学)、地球科学、政治や経済を専門とする者などが集まり、大変熱い対話となりました。
最後に、アンケートにて感想を頂きました。

 ・市民がSDGs的な問題へ参加する方法として、投票のほかに防災のソフト面での参加というものがあることを知った。
 ・理学部だとなかなか行政や倫理について考える機会がなく、新しい視点を得られました。

といった、異分野の専門どうしが対話したことでの、新たな発見が感想として上がりました!

 次回は9/23(木曜)に「成人年齢は引き下げるべきか」というテーマで開催します!祝日なので、多くの人にご参加いただけること、楽しみにしています!

今回参加して下さった皆様、ありがとうございます!!

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