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「死にたい」と思っていた僕が猫に人生を救われた話

こんにちは。

今回は人生に絶望し「死にたい」と考えながら日々を過ごしていた僕が猫に出会って人生を救われた話をします。

センシティブなテーマになってしまいましたが、きっと誰かのためになるんじゃないかと思って書きます。

人生のどん底到来

2020年2月。
僕の日常に"人生のどん底"のような時期が到来しました。

当時、僕はプロサッカーの試合開催に関わる仕事をしていました。
毎年2月は新シーズン開幕準備のクライマックスの時期であり、僕が携わっていたチームのシーズン初戦は2020年2月26日を予定していました。

希望に満ち溢れた新シーズン開幕に目掛けて、毎日寝る間を惜しみながらも
「今シーズンからはここを改善しよう」
「こんな新しい取り組みをしてみよう」
というやりがいに溢れたハードな日々を過ごしていました。

そうして迎えた試合の前日(2月25日)。
いよいよスタジアムでの会場準備にとりかかります。

今シーズンからリニューアルした新しい看板やテントを設置したり、フェンスでお客さんが入場を待機するスペースを確保したりとワクワクしながら準備を続けるていると、急遽、あるお知らせが届きました。

新型コロナウイルスの影響による、2月26日(水)のルヴァンカップ開催延期と以降の公式戦開催について

https://www.jleague.jp/news/article/16765/

新型コロナの影響を考慮し、翌日に迫った試合の中止が急遽決まったのです。

この時はすでにほとんどの会場準備を終わらせ、いよいよ翌日のシーズン初戦を迎えるのみといった状況でした。
戸惑いながらも「とりあえず明日の試合はない」という事実だけを受け入れ、悲しみに暮れながら設置したばかりのテントや看板、フェンスを片付け「試合がなくなったので明日以降はとりあえず休み」ということをみんなで共有しその日は帰宅しました。

経験したことない事態にどうしたらいいか全く分からないまましばらくJリーグから追加のお知らせを待っていると、すぐに新たなお知らせが発出されました。

2020明治安田生命JリーグおよびJリーグYBCルヴァンカップ開催延期が決定

https://www.jleague.jp/news/article/16770

少なくとも3月末までのすべての試合が中止。そしてそれ以降の試合開催も未定ということが決まり、この瞬間から僕は実質の無職のような状態になり、毎日が休みの日々に突入しました。

同じ頃に政府が不要不急の外出を国民に呼びかけ、飲食店の営業制限なども始まりました。

仕事もなく、外出もできない日々はとにかく"考える"ことくらいしかすることがありませんでした。

考えれば考えるほど、ネガティブな思考がめぐります。
「今までの開幕にむけての準備はなんだったんだ」
「自分の仕事はこのくらいでなくなる程度の価値だったのか」
「サッカーの試合って不要不急だったのか」

そんな日々の中、全く同じタイミングでプライベートでもとてもショッキングな出来事が起きたりと、とにかく思い返してもこの期間は本当に地獄の日々でした。(プライベートな出来事の詳細はここでは控えます)

復活の兆しなし。

地獄の日々が続く中、少しずつ仕事が戻ってきました。

しかし、元通りの仕事というよりは、”コロナの影響がある中でどうにか安全に試合を開催する”みたいな仕事で、一人でも多くの客さんに来てもらうことをやりがいにしていた今までとは全く違う仕事でした。

試合は無観客試合から始まり、5000名までの人数制限での試合と少しずつ規模を大きくしていきましたが、世間からの風当たりは冷たく
「サッカーの試合なんて不要不急だろ」
「サッカーチームはクラスターを起こしすぎ」
などのネガティブな世間の声がよく耳に入り、もはや仕事をするやりがいはほとんど感じられませんでした。

仕事がなくったことで自分の仕事への意義や誇りを失い、仕事が始まっても毎日毎日、人に迷惑をかけるために仕事をしていると感じながら過ごす日々は、僕の中でだんだんと「死にたい」という感情を育みました。

こういった日々が続くうちに気がついたら、
「赤信号で進めば死ねるかな?」
「車ごと川に落ちたら死ねるかな?」
「睡眠薬とお酒を一緒に飲んだら死ねる?」
と日常的に死ぬことを考えるようになったり、気がつけばネットで「楽な死に方」と検索するようにまでなっていました。

余談ですが、ドラッグストアで買った睡眠薬は全く効果がなかったので、メンタルを壊した方は病院で睡眠薬をもらうことを強く推奨します。

僕の経験

猫との出会い

やりがいを感じずも仕事を続けていると、ある日、仕事場のスタジアムで1匹の子猫と出会いました。

スタジアムで出会った子猫

捨てられていたのか、迷い込んだのか分かりませんが、とにかくスタジアムの中でずっと鳴いていました。
近くに母猫らしき猫も見つかりませんでした。

ガリガリに痩せ細っており、かなり衰弱していたのでこのままにしておくわけにもいかないなと、その場で捕獲して一時保護をすることにしました。

保護をした後は帰るまで時間があったので、声をかけれる範囲で猫の面倒をみてくれる人を探しましたが見つからず、保健所に連れて行くと殺処分されるみたいなイメージもあったので、その日は僕が自宅に連れて帰りました。

新しい家族へ

自宅へ連れて帰ると家族は驚きながらも、ひとまずすぐに動物病院に連れて行くことになりました。

診察で「栄養失調ですぐに死んでしまうかもしれない」という話を先生から伝えられ、どうしたらいいかわからない状況ながらも必死にミルクやお水、フードを与えながら様子をみていると、みるみる体も大きくなりとても元気な子猫になってくれました。

そのまま自然な流れでこの猫は僕の新しい家族となりました。

名前はスタジアムで出会ったのでスタジアムにまつわる名前がいいなと考え、
"スタジアム"のラテン語"エスタディオ"の語尾を取り、「ディオ」と名付けました。

そこから尿路疾患などの病気が見つかったりもしましたが、病気を乗り越えながらなんとか成猫へと成長してくれました。

最初は性格的にも弱々しかったディオですが、気がつけばこんな生意気な表情まで見せるようになりました。

余談ですがこの画像をインスタに投稿したら海外の猫系インフルエンサーに拡散され、それだけでフォロワーが500人くらい増えました。
よかったらフォローお願いします。
https://www.instagram.com/takuyasakata1111/

ディオがくれたもの

ディオが家族になってから、僕の日常は大きく変わりました。

「家に帰ったらディオが待ってる」
「暇な時はディオと遊びたい」
「たくさん働いてディオに新しいおもちゃを買ってあげたい」

こんなささいなことが、「死にたい」と考えていた当時の僕にとってはとても幸せなことでした。

ディオがくれたものは「生きる意味」そのものでした。

ある日、動物病院の先生に、
「ディオが家族になったことで自分は幸せだけど、ディオ自身はどうだろうか?」と聞いたら、
「坂田さんの愛情がある限りディオくんも絶対に幸せです」
と即答され、すごく安心したのも覚えています。

こうやってディオが家族になったことで、ほとんどすべての悩みが吹き飛びました。

その後も仕事で辛い思いをすることはありましたが、
「家に帰ったらディオがいる」
この事実だけでどんな辛いことも大きな悩みにはならず、すぐに忘れることができました。

みなさんに伝えたいこと

この話は猫を飼うことを推奨しているように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそういった意図はありません。

ここでは猫を飼うことのメリットばかりを書き連ねましたが、本来、猫を飼うことはとても大変です。

猫には人間と違った習性があるし、猫それぞれの性格もあり、ただ飼うといっても一筋縄にはいきません。
実際、いま僕の家には、ディオの後に再びスタジアムに現れた猫(ソラくん)がいますが、ディオとは別の種族じゃないか?ってくらい性格が違い、人間との接し方をはじめフードの食べ方までディオとは全然違います。

スタジアムで出会ったときのソラくん(掴み方が酷くてごめんなさい)

もう一度言いますが、猫を飼うことはとても大変です。

僕が猫に救われたのは、たまたまそんなタイミングでディオに出会ったという運命性がもたらした結果論に過ぎません。

いま思い返してみると、当時の僕が生きがいを作るためにわざわざ保護猫を譲渡してもらったり、ペットショップで猫を買っていたとして、いまと同じ様になっていたようには思えません。

猫を飼うこと自体は否定しませんが、その結果、人間も猫も不幸になることは絶対にないほうがいいので、「猫を飼いたい」と思ってる人は浅はかな気持ちで考えず、しっかりと考えたうえで判断して欲しいなという思いが強いです。

そして、「死にたい」と思っている方々へ。

気持ちが分かるというには、僕の体験は弱すぎるのかもしれません。

だけど、ちょっとした経験者としてひとつだけ言えることは、今回の僕の経験のように「何かをきっかけにいきなり人生が変わるかもしれないという可能性を諦めないでほしい」ということです。

といっても、それは「なにかいいことが起こるということを期待しろ」という意味とは少し違って、「なんにも期待せずただ日々を過ごしてるうちにいつの間にか良くなってる」みたいなことだと思っています(うまく言語化できずすみません)

これには再現性もなければ、同じような事が起きる保証も全くないので説得力に欠けてしまいますが、頭の片隅にそんな可能性もあるかもということを入れておいてもらえると僕とディオはとても嬉しいです。

また、猫の話からはそれますが、いまの僕は「当時の自分は自分の人生に期待をしすぎていたな」と感じています。

振り返ってみれば、コロナが世界に登場したこともディオに出会ったことも、結果的に僕の人生を大きく変えた出来事は、僕のこれまでの人生計画や努力はなにも関係なくただの不可抗力であり偶然でした。
人生って自分にはどうにもならない不可抗力や偶然によって大きく左右されるということを、若かかった僕は考慮していなかったことを今更ながら反省しています。(結果的にディオとも出会えたので後悔はしていませんが)

人生に正解はないし、ある意味で「なるようにしかならないのかな」と感じています。
「なんにも期待をしない」というのは人生を諦めるとういことではなく、むしろ幸せに生きるための戦略的思考のひとつなんだと僕は思います。

かなりセンシティブな話になってしまいましたが、この話が世界中の人間や猫を少しでも救えることを願っています。

以上、僕が猫に救われた話でした。

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