人生初!旅の途中に秋の俳句を読んでみた話。【壱岐旅行記】
こんにちは、タツミです。
“竹の春しなる玉響の調べかな”
皆さんは俳句を詠んだことはありますか?
テレビ番組で俳句を読む番組は度々やっていますが、いざ自分で俳句を詠んでみよう!という人は少ないんじゃないかと思います。
もちろん僕もその一人。
こんな感じの気分でした。
僕は普段はフリーランスやライフコーチとして活動しているのですが、現在は旅館の手伝いをしながら壱岐を満喫する毎日を送っています。
今日も今日とて壱岐にある一支博物館に突入。
壱岐の歴史を学びつつ、近くにある原の辻ガイダンスというところへ火おこし体験に行く予定でした。
その真っ只中であった竹林でどうにも感情を揺さぶられたんです。
今まで海に山に、北に南にさまざまなところを旅してきた僕ですが、なぜか竹林の中を歩いていると気分の高揚が止まらなかった。
自分でもなぜそこまで感動しているのかわからなかった。
けれど、確かに想いは溢れている。
何とかして形にしたい。
文章か?写真か?音声か?
いや、それじゃ収まらない。
そうだ、この想いを俳句にしてみよう!!!
こうしてひょんなことから俳句デビューに至り、
数分間悩んだ上に詠んだのが冒頭の詩です。
句の解釈
僕は俳句の専門家でも何でもないので、解釈はその時の自分の想いを元に書いています。
なので、この句を見て「これはおかしい!!」と思う部分などあるかもしれませんが悪しからず。解釈の一つとして捉えていただければと思います。
以下、解釈です。
一支国博物館での体験を終え、次なる目的地である原辻ガイダンスへ向かおうと「弥生遊歩道」と呼ばれる道を歩いていました。5分ほど歩いた頃でしょうか。ふと細い横道が目に入りました。
見やると木々が深々と茂りながらもある程度整備された道が続いています。僕は、直感と好奇心の赴くまま突入しました。
そこは竹混じりの森林でした。ひたすら真っ直ぐ続く道の両端には背の高い木々が連なり、鳥の鳴き声に混じって時折風切り音が聞こえてきます。
細い体では風を受けきれないのでしょう。風に揺られ木々がしなり、音を立てます。その音は木々の叫びのようにも、風とじゃれあいセッションをしているようにも感じました。
永遠に奏でられる調べのように思えましたが、それは一瞬の出来事。音はすぐに流れていき、聞こえるのはもはや鳥の囀りのみになってしまいました。
すぐに消えてしまうけれど、何かを訴えるような風と木々のセッション。その一瞬がたまらなく愛おしく感じる。
そんな気分を詠んだ句です。
季語について
ちなみに季語は「竹の春」です。
この様子から秋の季語として使われることが多いようです。
どうしても竹を句の中に入れたくて、さまざま調べた結果この季語に行きつきました、もっと調べたらぴったりの季語があるのかもしれません。
俳句を詠んでみて
自分で句を読んでみた結果感じたことは、「17文字って少ないようで意外と多いな」ということ。
普段から3000文字くらいの文章を書いているので17文字とだけ聞くと、ものすごく少ないように思えます。
ですが実際に「ここは言わなくても想像できるから削ってー、一番言いたいことはこれでー。」と試行錯誤しているうちに、言いたいことと季語だけでいいじゃん!!という結論に陥り。
それだけだったら10音くらいでいけるんじゃね??
となっちゃったんですよね。
結局、季語をそれなりに調べて肉付けをして今の形になりました。
もっと勉強をしたらいい句ができるかもしれないんですけど、まずは俳句を作ることに挑戦してみたかったですし、自分では満足です。
こうやって思いもよらない着想から予想外のアウトプットにつながるのも旅の魅力ですね。壱岐にきて本当によかった!!
宿に帰ったからも何度も句と写真を見返しつつ、この記事を書いています。
皆さんも感動的なものに出逢ったら俳句を詠んでみてはいかがでしょうか?
ということで最後まで読んでいただきありがとうございました。
壱岐の滞在はまだまだ始まったばかり!!
まだまだ未知のものに出会えそうです。
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。