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いつまで”こども”のまま? 

自分の中の大きな問題点、課題点。
それは、
「精神的に“おとな”になれない」
です。


年齢ばかり重ねてきましたが、
こころの成長、成熟が
まったく進んでいないんです。

精神的に“こども”なのに、
社会の中では、
“おとな”として振舞わなければならない。
それで大きな負担がかかり、
こころが疲れて悲鳴をあげてしまう。

これが今の僕の状態です。
僕が適応障害的なのは、
こころの成長が追いついていないから
だと思うのです。


ところで
皆さまは頭の中で考えるとき、
どのように考えるのでしょうか?
僕は、頭の中でしゃべって考えています。

もちろん、
実際に音として声には出しませんが、
この文章を書いているときも、
頭の中でしゃべりながら書いています。

その頭の中でしゃべっている声が
とても幼いのです。
年相応な“おとな”の声色とは
とても思えません。

頭の中での声色だけでなく、
自己イメージ全体が、
まだ“こども”のままで成長できていません。


睡眠時での夢の中に登場する自分も
いまだに、
学生のころの自分しか出てきません。
成人し社会に出てから
ずいぶんと経つのに、、、

たぶん、
精神的にまだその頃のままで、
こころの年齢を重ねられていないからでは?
と考えます。


特に、
困難に出会ったり、
不安になったり、
疲れたりしたときや
人と向き合うときに、
幼いこころが全面的に出てきます。
社会人として、
“おとな”のこころを必要とされるときほどです。

どんなに頑張っても、
大事なときほど、
こころが退行化してしまう。


もちろん、
ピュアな“こども”のこころも大切です。
このまま、
擦れてつまらない
“おとな“のこころになんかにならないで、
“こども”のこころを大切に生きる
という選択肢もあります。

しかし、
社会を乗りこなすには、
どうしても精神的な成熟が必要です。

想像してみてください。
もし、
上司、部下、親、教師、働く人々、、、
それらが、
精神的に“こども”な人ばかりだったら、
とても悲惨なことになるとは思いませんか?


社会を生きるには、
精神的な成熟が要求されます。

どうしても“こども”のままでいたいなら、
社会から引きこもるか、
つらい思いをしながら生きるしかないのです。
よほどの天才でもない限り。


僕の今の重要な課題は、
精神的に“おとな”になることです。
幼いこころを成熟させることです。

この“note”もしばらく、
こころの成長と成熟をめざすために書くことになりそうです。


こんな自分ゴトですが、
読んで頂いてありがとうございます。


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