ギリシャ神話の会

「そういえばギリシャ神話ってなんだっけ?の会」によせて<当日編・後編>

会を開催してから、もう半年。長くあいてしまって申し訳ありません。
まずは、ここに至るまでの3本をお読みいただけると嬉しいです。

<予習編・前編>
<予習編・後編>
<当日編・前編>

<予習編・前編(=会の前半)>では、私たちがイメージする「ギリシャ神話」が、どのような過程を経て成立してきたのか、というテーマについて考えてみました。「一つの確固たる“ギリシャ神話”というものはない」という事実に立って、その変遷過程について、残された書字資料=本を手掛かりに、辿ってみたわけです。

“原典”および“原点”を重視する、ということはあらゆる問題において大切にされるべきだ思います。一方で、オリジナル“だけ”が尊ばれるべきというのもまた極論だと考えています。あるイメージが広く流通しているとき、「どのようにしてそのイメージが形成されたのか」という視点も、「そのイメージのどういう点が興味深いのか」という視点も、いずれにも意義があると思います。輪郭線ができるまでを辿るのか、出来上がったものの表象を掘り下げるのか。

前編は、いわば前者のアプローチ。ということで、今回(=会の後半)は、私たちがイメージする「ギリシャ神話」そのもの、特にその世界観について考えてみました。パートのタイトルは「ギリシャ神話の世界観〜物語の舞台はどうやってできた?」。具体的には、広く共有されているギリシャ神話の物語を、垂直軸(=時間の流れ)と水平軸(=世界の広がり)から捉えて、その物語世界の構造について考えてみようという試みです。それを通じて、広く神話というものの歴史的・社会的意味についても考え、話し合ってみました。

<予習編・前編>では、ギリシャ神話の物語において中心的な登場人物となるオリュンポス十二神について紹介しました。私たちが主に星座の由来譚として知っているような神話の多くは、オリュンポスの神々が住まう世界で展開されます。そこには神々が過ごす宮殿的な空間があり、美味美酒のある宴に興じ、そして時に(頻繁に?)人間にちょっかいを出す。ある意味で、非常に安定した世界だと言えます。

でも、この安定した世界は決して“常世の国”ではありません。ギリシャ神話の世界にも、この世の起源から、オリュンポスの神々の時代に至るまで、そして現実の歴史と接続するような時間軸、歴史性がきちんと存在します。繰り返し述べているように、“唯一のギリシャ神話”というものが存在するわけではなく、伝承をつき合わせていくと矛盾だらけにはなるのですが、一つのモデルとして、ギリシャ神話の時間の流れと空間の広がりを整理してみましょう(これまで3回の記事で紹介したような本を参考に組み立てていきます)。

世界のはじめは混沌(カオス)の状態で、そこから大地の女神ガイアが生まれ、ガイアは自ら天空神ウラノス海洋神ポントスなどを産みます。

ちなみに、「カオス」は現在も混沌とした状態を表す言葉として用いられていますが、ギリシャ神話では、こうした概念や、歓喜、恐怖といった感情など抽象的なものについても神として人格化(神格化?)をします。これもまた興味深いところです。

ガイアはウラノスと交わり、大地・農耕の神クロノス女神レア海の神オケアノスらの神々(ティタン神族)を産みました。さらに、いずれも怪物的な特徴を持つキュクロプス族ヘカトンケイル族という多数の種族を産みますが、ウラノスはその存在をタルタロス(冥界・地獄)に閉じ込めます。

ガイアはこのウラノスの行為を恨み、復讐として、息子のクロノスの手でウラノスの男根を切り落とさせます。クロノスはこれを海に投げ入れ、その泡から美の女神アフロディテが、また大地に滴り落ちた血から巨人族のギガンテスが生まれました。

ウラノスを制したクロノスは、天地の支配者となり、妹のレアとの間に、ヘスティア、デメテル、ヘラの3人の女神と、ハデス、ポセイドンという、後のオリュンポスの神々となる子供たちをもうけます。しかし、自らが父ウラノスを手にかけたように、子に自らの座を奪われることを恐れたクロノスは、産まれるそばから子供を呑み込んでしまいました。

レアはこのことに心を痛め、6番目の子ゼウスを産んだときには、大きな石を産着にくるみ、生まれた子であると偽ってクロノスに呑み込ませました。そして、赤子のゼウスはクレタ島で密かに育てられ、成長すると父クロノスと敵対します。まずは5人の姉兄神を吐き出させ、クロノス率いるティタン神族と戦いを繰り広げます。ゼウスたちは勝利し、クロノスらティタン神族をタルタロスに閉じ込めました。

これでオリュンポス神たちの主権が確立したかというと、そう簡単にはいかず、自分の子であるティタンたちを幽閉された女神ガイア(ゼウスたちの祖母にあたるわけですが)は怒り、巨人ギガンテスを差し向け、再び大きな戦いとなりました。ゼウスたちは一度巨人たちに勝利するも、さらにガイアが送り込んだ怪物テュポンの前に、一時は壊滅的な状況に陥ります。しかし最後はなんとかゼウスがテュポンに勝利し、シチリア島のエトナ火山の下に閉じ込めました(そのため、現在もエトナ山は噴煙を上げているのだと伝えられています)。

テュポン/バイエルン州立古代美術博物館蔵

こうして、「ティタントマキア」「ギガントマキア」という2つの戦いを制したゼウス、およびオリュンポスの神々は、この世界を統べる存在となります。天地をゼウスが、海をポセイドンが、冥界をハデスが司り、オリュンポスの神々を中心とした安定した世界が維持され、多くの神話がこの世界で繰り広げられます。もちろん、ギリシャ神話の物語の時間軸は、完全に整合性が取れたものではないので、ギガントマキアにおいて英雄ヘラクレスが活躍するといった伝承もありますが、星座や山川草木などの自然の由来を伝えるような神話の多くが、オリュンポスの神々の世界において語られます。

ところで、この世界のなかで、人はどこに存在するのでしょうか。

ヘシオドスの『仕事と日』によれば、ギリシャ神話には「5つの時代」があるとされます。「黄金時代」はすべての調和がとれた平和な時代で、労働の必要はなかった。クロノスの治世とされています。次の「白銀時代」の人は、黄金時代とは似ても似つかぬ幼稚で愚かな種族で、ゼウスによって滅ぼされます。「青銅時代」は争いを好む種族の荒れた時代。それに続く「英雄時代」は、「イーリアス」などで知られる半神半人の英雄たちが活躍した時代とされています。そして、最後の「鉄の時代」は、歴史とつながるいわば現代(といっても2000年以上前)の世界となります。

いずれの時代にも人間(にあたる種族)はいたものの、いまいちその存在感は薄く、英雄時代を除けば、ほとんどその顔が見えてきません。そもそも、ギリシャ神話の世界では、人間はどのように生まれたのでしょうか。

伝承によると、先の5つの時代に存在する人間の誕生には、明確な一つの起源があるわけではなく、「大地の土より生まれた」と考えられているようです。キリスト教のアダムとイヴほどに明確な“人間の始祖”は見当たりません。ただ、ギリシャ神話の「ノアの箱船」で知られる、「堕落した種族が神々に滅ぼされ、新しい人間の種族が誕生する」という伝承が、ギリシャ神話のなかにも存在します(この洪水型神話は、そのほかにも世界のさまざまな文化において伝承されています)。

当時の人間種族を滅ぼそうとゼウスが引き起こした大洪水。それを生き延びたのが、かつて人間のためにゼウスを欺いて火を盗み出した巨人プロメテウスの息子・デウカリオンと、プロメテウスの弟であるエピメテウスと人類初めての女性(!)として遣わされたパンドラの娘・ピュラの2人。彼らが、神の声に従って石を拾って後ろ向きに投げると、そこからそれぞれ人間の男女が生まれ、また地上に人の種族が広がったという物語があるのです。

こうして時折、言及はあるものの、起源の神話や青銅時代までに登場する「人間」は、やはりその顔が見えない、現実感に乏しい存在です。それが少しずつ、個性をもつ人間になってくるのは、いわゆる「英雄時代」に当たるところからでしょうか。

ヘラクレスやペルセウスなど「半神半人の英雄」の、母である女性たち。あるいはゼウスにさらわれ神々にお酌をすることになった少年ガニメデ(水瓶座の由来)や、アポロンに寵愛されたヒュアキントス(ヒヤシンスの由来)など、星座や事物の由来譚に関連して。また、そのような“名前”を持った人物たちが活躍する舞台として、各地に現在のギリシャや地中海世界とつながる国と、そこに暮らす民という形で、集団としての人の存在が見えるようになってきます。

ピーテル・パウル・ルーベンス「ガニメデの誘拐」/シュヴァルツェンベルク宮殿蔵

そして行き着くところが、ホメロスの『イーリアス』で描かれるトロイア戦争の世界。この戦争の発端は、ヘラ、アテナ、アフロディテのうちで誰が最も美しいかを、トロイア王プリアモスの子パリスが判定したことですが(パリスの審判)、そこに至るそもそもの契機は、オリュンポスの世界の神々が招かれた饗宴での出来事でした。

ご存知のように、古代のトロイア王国における戦争が歴史的な出来事であったことは、考古学者シュリーマンの発掘調査によって明らかになっています。『イーリアス』の物語は史実そのもではありませんが、ここにおいてギリシャ神話は、歴史的存在としての古代ギリシャ世界、つまり現代まで続く歴史的な世界とつながっているのです。『イーリアス』の後日譚である『オデュッセイア』には、まだまだ荒唐無稽な魔法のような存在や場所が多々登場しますので、「どこからが歴史的世界なのか」という明確な線引きはできませんが、それでも確かに「ギリシャ神話は、歴史的世界につながっている」と言うことができるでしょう。

世界の誕生から歴史に接続するまで、そして天地開闢から現実の地中海世界の輪郭に重なるまで。非常に大雑把なかたちではありますが、ギリシャ神話の物語が展開される世界の構造について概観してみました。私なりに大まかにその特徴を挙げるならば、「神による天地創造はなく、混沌から徐々に世界が形成された」「物語の空間は、現在の地中海世界に重なっている」「神話は、歴史的な時間に接続している」などと言えるでしょうか。

これらのポイント、他の地域・文化の神話と比較をしてみると、なかなか興味深いのです。

まずは「古事記」や「日本書紀」などで伝えられる、日本の神話について考えてみましょう。日本の神話では、まず混沌の状態から天地が分かれ、それから高天原の神々が生まれたのちに、その最後に現れたイザナギ・イザナミの二柱の神によって、現在の日本列島の島々と、さまざまな自然や事物を司る神々を生んだとされています(国生みと神生み)。そして、その最後に生まれたのがアマテラス、スサノオ、ツクヨミの三神で、やがてアマテラスの子孫が神々の住まう高天原から地上の世界に降り立ち、神武天皇につながる祖になったと伝承されています。

小林永濯「天瓊を以て滄海を探るの図」(イザナギとイザナミ)/ボストン美術館蔵

日本の神話物語の世界は、見事にギリシャ神話と相似していますね。世界は自然に形成され(日本列島そのものはイザナギ、イザナミによるものとされますが)、その世界は現在の日本の地理に重なり、また神々は歴史的存在としての天皇につながるとされています。

この特性の類似は、双方の神話の成り立ち、より詳しく言えば“伝承される形にまとめられる際の経緯”に共通するところがあるからかもしれません。<当日編・前編>でも述べたように、今に伝わるギリシャ神話は、実は「ギリシャ・ローマ神話」というべきもので、それが体系化されるにあたり、「ローマ帝国の建国譚」という性格を帯びることになりました。またご存知のように、現在知られる日本の神話の根幹にある「古事記」「日本書紀」などの伝承は、いずれも天皇による権力が成立したのちに、その支配権を証明する目的で編纂されたものです。

現実社会において覇権を握るものが、自らの正統性を証明するために、神々の伝承を援用する。これはローマや日本に限ったことではなく、広く見られることでしょう。神話について考えるとき、それが現実の歴史や政治とどのように交錯しているか、という視点は非常に重要なものだと思います。

日本の神話に関する本については、新しいものをまったくチェックできていないのですが、吉田敦彦・古川のり子『日本の神話伝説』を挙げたいと思います。

では、他の神話では、歴史的時間とどのような繋がり方があるのでしょうか。

対照的なのが、ギリシャ神話と近いヨーロッパ圏の、ゲルマン系の民族に伝わる北欧神話。やはり始めに混沌のような未分化な状態がありましたが、そこに始原の巨人・ユミルが生まれ、この巨人の体から、後の神話世界で中心的な役を担う神々が生み出されます。主神オーディンを中心に神々はユミルを殺害し、その体から世界を作り上げるのです。そうして生み出された、世界樹ユグドラシルを中心とした安定的な世界で、神々の物語が繰り広げられます。

世界樹ユグドラシル(Edda oblongataより)/Árni Magnússon Institute 蔵

しかし、北欧神話の世界は、やがて終焉を迎えます。愉快なエピソードも多く見られるものの、常にどこか影があり、破滅の予兆が感じられる北欧神話。神々のなかにいたトリックスター的存在・ロキがその引き金となり、巨人族を交えた世界の終末に至る最終戦争・ラグナロクが引き起こされ、遂に世界は終わりを迎えるのです。

つまり、北欧神話の世界は、現存する歴史的な時間・世界との連続性を持っていないと言えます(ラグナロクはいわゆる「終末論」で、現存する時間と世界の先に終末が来るという解釈もできるかもしれませんが、北欧神話の伝承については、この位置付けがあまりはっきりしていないようです)。

北欧神話の物語世界について知るには、キーヴィン・クロスリー=ホランド『北欧神話物語』が格好の一冊です。

もう一つ、神話と現実世界の繋がり方という点で興味深いのが、インドの神話です。

神話における世界の創造のモデルとしては、キリスト教のような「創造神による天地創造」のほかに、ギリシャ神話や日本神話と同様に、「(意思を持つ主体が介在せずに)混沌とした状況から、天地が分かれる」というパターンがあります。さらにその中間?として、前述の北欧神話のユミルのような「始原の巨人」型――その死体から世界が形作られるという神話も、各地に見ることができます。

インドの神話もそのタイプで、巨人プルシャの体から、世界のあらゆるものが形づくられるとされています。そのインド神話には、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三柱神をはじめ、インドラ、ガネーシャ、ハヌマンなど魅力的なキャラクターの神々が登場し、多彩な物語が繰り広げられます。その詳細について語ろうとすると、今回のギリシャ神話についてまとめてきたのと同じくらいのボリュームが必要になりますので、今回はギリシャ神話との比較で、インド神話における「時代区分」についてのみご紹介します。

カーラ・バイラヴァ(シヴァの姿の1つ)/筆者撮影・ネパール、カトマンズのハヌマン・ドカにて)

古代インドの思想では、「ユガ」と呼ばれる4つの時代区分があるとされています。順に「サティーヤ・ユガ」「トレーター・ユガ」「ドヴァーパラ・ユガ」「カリ・ユガ」の4つで、時代が下るごとに、社会の徳は減り、人間の寿命は短くなっていくとされています。そして、私たちが生きる今のこの時代は、カリ・ユガに含まれているという考えが主流のようです。

これは、先ほど紹介したギリシャ神話の5つの時代区分と非常に似た構造ですね。私たちが生きる時代は「鉄の時代」であり、「カリ・ユガ」である。もっとも、インドの宗教思想における時間の観念はちょっと複雑で、ギリシャ神話と歴史が最後に接続するように直線的に流れていくものではなく、4つの時代がまた循環していくという考え方があるようです。

日本でも、仏教思想における「末法思想」が知られています。正法・像法・末法の3つの時代区分があり、やがて法が滅びる時が来る。弥勒菩薩による救済の思想とも結びつくこの考え方には、仏教の起源にあるインドの思想・哲学の影響が見られます。ギリシャ神話とインド神話において、「人間の徳が堕落して、やがて現在の人間の時代に至る」という時代観は共通するものですが、一方で、「直線的に進む時間」と「循環する時間」という点で、根本的な時間感覚には異なる思想があるというのもまた興味深いところです。

インド神話についての本としては、やはりだいぶん前のものとして、ヴェロニカ・イオンズ『インド神話』があります。先ほどの日本神話の本もそうですが、この青土社の神話シリーズは、世界各地の神話について広く、さらにある程度濃く深く知るためにお勧めの本です。

また、インド神話に関しては、近年、神話学者の沖田瑞穂さんの活躍が目覚ましく、翻訳書の『インド神話物語 マハーバーラタ』(上・下)、それから『マハーバーラタ入門』などの本が出ています。

そんな神話の空間・時間における「人間の存在」も非常に興味深いテーマで、当日も大いに話が盛り上がりました。

先にも触れたように、ギリシャ神話においては、人は神の意のままにつくられ、気に入らなければ滅ぼされ、初めから創造される存在。また、パンドラの例でわかるように、女性は明らかに男性に遅れて登場するものと位置付けられています。ゼウスを中心とする神々は、人間の女性を意のままに扱い、子をもうける。英雄登場を導くための演出的なものだとしても、今、改めてギリシャ神話を読み返してみると、その専横ぶりは思わず眉をひそめてしまうほど。

オリュンポスの神々の世界は、圧倒的なほど男性優位の社会といえます。細かいところまで見ていくと、ヘラ、アテナ、アプロディテ、アルテミスなどの強き女神による人間の男に対する支配や、ゼウスやアポロンが美少年・美青年を手篭めにするというかたちもあるわけですが、いずれにも通底しているのが、「権力を持つ者による、弱者の支配」という構造です。

「古代ギリシャは、全市民による直接民主制の社会だった」ということは広く知られています。しかし、これまたよく知られているように、その市民とは非常に限定的な存在でした。それは、市民“階級”に属する“男性”のことで、そこからは女性や奴隷身分の者は排除されていたのです。今に伝わる神話にも、そのような社会の支配・被支配の構造が色濃く表れているといえるでしょう。

<予習編・前編>でも述べたように、私は20年程前の学生時代に、研究のためにギリシャ神話についてさまざまに本や資料を読んだりしていたわけですが、恥ずかしながら、こうした観点で神話を見たことは全くありませんでした。この20年の間に、社会に埋め込まれた構造的な問題に対する意識が高まってきたことで、今、こうして改めて神話を見直すことができたわけですが、もちろん、当時から優れた視点で問題提起をしている人はいました。

桜井万里子さんは、まさに古代ギリシャにおける女性や外国人――市民としての権利を認められなかった人々をテーマに研究を進めてきた歴史学者です。『古代ギリシアの女たち―アテナイの現実と夢』は90年代初めに書かれた本ですが、古代ギリシャ社会を対象としつつ、そこで取り上げられているテーマとその考察は、現代においても通じる非常に鋭いものです。それから改めてギリシャ神話に立ち返ると、同じ物語からも多層的な関心や問題意識が生じてきます。

もっとも、「ギリシャ神話は、差別構造のあった古代ギリシャ社会の在り様を写した物語だ」というようなことを述べたい(述べたかった)訳ではありません。

会の当日、参加者の皆さんに向けて私からお話したのは、大まかに整理するとここまでに述べてきたようなことです。もちろん、すっきりとまとまるものではなく、これらの話のそれぞれにたくさんの枝葉がついていました。そして、参加者のみなさんはその枝葉や話の間からこぼれ落ちたものをとても熱心に拾って、そこから実にたくさんの興味深い話題を広げていってくれました。

この会はもともと、ヨーロッパのさまざまな芸術や文化への理解を深めるために、その基層にある要素の一つであるギリシャ神話について話し、考えるために企画したものです。

私たちは、神話から何を学ぶことができるのでしょうか。神話は数千年も前の宗教・信仰に根ざすものであり、その基本的な体系は遥か昔に確立されており、現代社会において変化していくことはありません。私たちは、神話の時間を生きてはいないからです。(その意味では、信仰に根ざす時間と空間に生きている人々の集団においては、現在も神話は生きていて、その人々の信仰と暮らしとともに移り変わりゆくのかもしません)

揺らがない世界観の静的な存在であるならば、「もう神話なんてオワコン」なのでしょうか?

「そんなことはない」ということは、この日の会だけで十二分に実感することができました。先ほども述べたように、参加者のみなさんから、ここにはとても書ききれないほど多様な話題が出てきて、その一つ一つがまた次の問いや考察を生み出すものでした。

確かに、ギリシャ神話、そして多くの神話には、非科学的だったり差別的だったりと、現在の観点からは否定的に捉えられる側面が多々あると思います。しかし、それを現在の立場からただ批判するのはフェアなことではありませんし、そのことにあまりポジティブな意義は感じられません。

現在、私たちは、神話の時代・神話が成立した時代にはなかった知識や概念を持っています。ただ、それは、それらのものが存在しなかった時代を叩くための道具ではなく、それを通じて過去――“今ここにはない世界”について、より深く想像を届かせるための道具なのではないでしょうか。

それに、「私たちのほうが多くを知っている」というのは、もしかすると大きな勘違いかもしれません。

石井桃子『ギリシア神話』の「はじめに」には、こう書かれています。

「ギリシア神話」は、何千年というむかしに(中略)古代ギリシアにすんでいた人たちが、わたくしたちにのこしてくれた、りっぱな宝物です。
 そのころのギリシア人たちは、わたしたちにくらべれば、まだ毎日の生活に使う道具の数も少なく、いわば未開の社会にすんでいて、太陽や、星や、海などのことも、科学的にはよく知りませんでした。そのかわり、この人たちの世界は、ふしぎにみちみちていました。朝になると、太陽がのぼってくることも、季節がうつりかわることも、この人たちには、まことにふしぎなできごとでした。
 そこで、そのふしぎをときあかすために、お話がうまれました。ギリシア人は、まだ開けない社会にすんでいたとはいえ、すぐれた人たちでしたから、そこにうまれたお話も、美しく、力強く、のちの世の文明、ことに美術、文学の上に大きな影響をあたえるものになりました。

 現在から見れば未開とも言える古代ギリシャの時代の人々は、現在に至るまで、そして今後もまだまだずっとヨーロッパの文化の根幹を支え続ける、ギリシャ神話という”壮大な物語”を創造したわけです。神話とは、信仰とは、「もともとはそこに特別な意味のない現象に、物語を付与すること」と言えるかもしれません。では、現代社会を生きる私たちは、未来の人々にこれほど多大な影響を与えられるほどの物語を創り出すことができるのでしょうか。

会の最後に、ある参加者の方から「私たちが今、『神話』と言っているものは、その当時を生きていた人たちには何と呼ばれていたのか?」という問いかけがありました。「神話」を考えるとき、特に学問のようなかたちで考える場合には、それが「神話」というラベルを貼ることができる存在として、つい捉えてしまいがちです。でも、“それ”と共に生きる人にとって、それは「神話と呼ばれるもの」ではないのですよね。

こうして、最後に至って神話という概念さえもガラガラと崩れてしまい、この記事もまったくまとまりがつかなくなってしまいました。でも、ギリシャ神話を巡ってみんなで話し合った今回の場は、それだけ刺激と充実感に満ちたものになりました。

ギリシャ神話を入り口に、神話というもの自体を改めて考え直すところにたどり着いたこの度の企画。ぜひみなさんも、自分なりの興味関心をもって、神話というテーマに向き合ってみていただければと思います。

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