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共感の罪

「共感」とは、カール・ロジャーズによって、一躍有名になった概念です。それまでの著名な心理療法論は、複雑な理論体系を持っており、「何をどうすることが相手の為になるのか」「カウンセリングでは、一体何をどうしたら良いのか」といった方法論について、わかりやすく提示したものはありませんでした。

ロジャーズの理論は、カウンセリングが効果的に作用する為の条件について、とても分かりやすく示したので、支援領域の様々な人に広がっていきました。ただ、そのわかりやすさゆえに、多くの誤解も生んできました。

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もしも、「共感を大切にして、人の相談に乗ってみてください」と言われたら、どのように振る舞うでしょうか?

大体の人は、悲しい話をされたら、相手と同じように、悲しむ姿勢で話を聞いたり、深刻そうに相槌を打ってみたりしないでしょうか。中には、自身の体験を一生懸命思い出して、似たような体験から、相手の気持ちをわかろうとする人もいるかもしれません。

どの対応をとったとしても、それは「演技」の枠組みを出ません。いつの間にか、「共感的な話の聞き方」は、「感傷的な話の聞き方」へとすり替わってしまいます。

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「共感」という概念の最大の罪は、本来、人の手では操作できない「共感」という事象を、あたかも意図して操れるかのように誤解させてしまう点です。

例えば、たった今、心の底から怒ってくださいと言われて、本当に怒れる人などいるでしょうか。恋愛をしたいと思って、すぐに心の底から誰かを好きになれる人がいるのでしょうか。

「共感する」という言葉は、口では言えても、実際に行うことは不可能な概念です。共感という言葉が広がることによって、クライエントは、カウンセラーに「共感」を求め、カウンセラーは、ひたすらに「共感」に追いかけ続けられる事態が生まれました。

現在のこうした不幸を払拭する為には、少なくても「共感」(感情)とは、追いかけて得られるものではなく、本音で話し合っている内に、自然と生まれてくるものである、といった分別が必要になってくると思います。


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