見出し画像

週末旅をお勧め(17回目):一泊二日の実質1.5日で博多と大宰府を観光

17回目の投稿は博多と大宰府です。会社を定年退職してハローワークで職探しをしていましたが、元の会社から「忙しいので戻ってくれ!」との事で、シニアの新入社員で復活した後なのでまた週末旅です。
ただ今回は朝に病院の予約があり、その後に出発したので一泊二日ですが実質1.5日の旅です。

【1】今回の旅の目的


JALの空港制覇として福岡空港は行っていなかった事と病院に行ってからの出発で便数が多い羽田⇒福岡なら自由度が高いので選び、博多市内と大宰府を回り「ブラタモリ」で放送していたいくつかの場所を見る事が目的です。

【2】博多への旅の計画(移動・宿)


今回の旅では往復の飛行機と宿泊をダイナミックパッケージで予約
移動:羽田⇒福岡、福岡⇒羽田の航空券はJALダイナミックパッケージで予約
移動:公共交通機関を利用する
宿泊:福岡市内のホテルをダイナミックパッケージで予約

【3】おおよそのルート


1日目:羽田空港(13:20)→JAL319→(15:05)福岡空港→博多市内散策→福岡(泊)
2日目:福岡→大宰府観光→博多市内散策→福岡空港(20:00)→JAL330→(21:40)羽田空港

【4】博多旅行の写真レポート


(1)1日目の行程
週末旅行ですが金曜日の朝に通院の予約があり休暇を取得したので金土日の3連休。病院に行ってから羽田空港に移動し13時過ぎの便なのでJALラウンジで昼食を食べながら空港を眺めているとディズニー特別塗装機がいた

搭乗時間が近づき搭乗口に行くと10分遅れの表示があるが、着いてからのスケジュールはフリーなので問題なし

初めての羽田→福岡のフライトなので機内から見る景色も楽しみです。まずは羽田を離陸する時の動画を撮影

離陸動画を撮影すると共に地上風景を撮影していく。
最初はRWY16Lから離陸後東京湾の上空で羽田空港が見えてきた。

次は荒川と旧江戸川の河口とその間の葛西臨海公園

都内の上を比較的低空でスカイツリーを中心にターン

西に向かって飛行していくと青葉ジャンクションが見えてきた

青葉ジャンクションから少しの飛行で町田で小田急と横浜線の交差が見える

次に見えてきたのは神奈川県愛川町の内陸工業団地

山梨県に入って河口湖上空からの富士山。雪がないと映えないね

関西に近づいて小牧市上空付近から見える名古屋港

琵琶湖を過ぎたあたりで見えるのは京都の山科区

山陽では岡山の吉井川・百間川・旭川の河口が見え

倉敷の海岸線で高梁川の両側の工業地帯(三菱自工など)

山の上の広島空港をアップで撮影し

広島市の市街地と海岸線を見て

廿日市市と宮島を眺めて

山口県の美祢サーキットが見える

このように風景を楽しんで見ていると福岡空港への着陸が近づいてきて初めての空港なので長回しで動画を撮影。今回の動画はGPSのログと突き合わせて速度や位置などがわかるようにしてみました☆

降機後はターミナルからスポットにいるANA機を撮影

そしてCATHAY DRAGONの機材の離陸を撮影。羽田では撮影出来ないので思わず撮影してしまいました

地下鉄に10分乗り市内に移動しました。まずは博多駅に来て東口に出てみました

駅構内を通り抜け寺院巡りをするために西口に出て駅舎を撮影しました

1日目も夕方なので寺社仏閣巡りを少ししてホテルにチェックインします。最初に行ったのは承天寺で、博多祇園山笠の創始者と言われている聖一国師によって開山されたお寺です。博多駅から来ると最初に到着するお寺です。この写真は南側の角の門です。

門の扁額には『勅使承天禅寺と書かれていました。』

承天寺の仏殿で左の垣根の前にベンチの様なのが置かれていますが、蒙古襲来の時の軍船が碇として使われていたものだそうで『蒙古碇石』と呼ばれています

承天寺より博多駅の方にある出来町公園の南の角には九州鐡道発祥の碑があります。九州最初の鉄道は博多から久留米に向けて作られましたが博多駅は今の博多駅の所ではなくここにありました

博多千年の門は博多の寺院が集まっている地区の入口に設けられた門で特定の寺院の門ではありません

承天寺は大きなお寺でまん中に承天寺通りが通っています。その通りにあった門で通用門と書かれていました

北側のエリアにある大きな建物で承天寺は禅寺なのでこちらは禅の修行に使われているようです

寺社エリアから天神の方に移動です。三越の店頭にはロンドンのトラファルガー広場にあるライオン像が置いてありますが福岡はソフトバンクホークスの本拠地なのでユニフォームと帽子をかぶっていました。いつもではなさそうで「鷹の祭典」というイベント期間だったようです

西鉄の天神駅のある繁華街にホッとするような空間があり、そこは警固神社です。隣は警固公園でこの一帯だけ都会のビル群と違い落ち着くエリアです。その神社の入口の鳥居です

最初の鳥居の次に参道にあった鳥居で、2本の柱の間にしめ縄が渡されているだけの物です。

鳥居は神域の入口を示すもので神門は神域との境界を仕切るもので左右に塀が続いている時が多いです。通路が3っつあり、三間一戸の門と言われる形式です。門の所に「茅の輪」があり左にくぐり方の説明があります。門の向こうには拝殿と本殿がありますが、神域で撮影は出来ませんのでここから少し見えるだけです。この後にお参りをして次に行きます。

ホテルにチェックインして荷物を置き夕食を食べに外出しました。ちょっと疲れていたのでホテル近くで博多ラーメンとチャーハンのセットにしました

(2)2日目の行程
2日目は少し博多の寺社仏閣巡りをしてから大宰府の観光に行きます。まずはホテルから地下鉄で祇園駅で下りてお寺巡りをします。地下鉄から地上に出た所にあったもので福岡市が姉妹都市を結んでいる都市が書かれています。8都市と姉妹都市を締結しているそうですが、オークランド(米)、広州(中国)、ボルドー(仏)、オークランド(NZ)の4都市が描かれていました

寺社仏閣巡りの最初は東長寺に来ました。最初に見えて来たのは2階に鐘楼がある建物です

本堂はとても大きく立派でした

天保13年(1842年)に造られた六角堂で、商人が浄財を集めて造られたそうです

東長寺は境内にあるこの立派な朱色の五重の塔と、福岡大仏の二つが有名です。この日は天気がよく青空をバックに朱色の五重の塔と下の緑の色合いがイイですね

福岡藩主であった黒田家の墓所が東長寺にあります

次のお寺に行く途中に見かけた鳥居で櫛田神社のものでした。櫛田神社とはかなり離れていますが、昔はこの辺りまで寺社地だったのでしょう。櫛田神社は後で行きますので鳥居だけ写真を撮りました

聖福寺は源頼朝より賜った土地に開山された日本最初の禅寺です。勅使門から本殿までまっすぐな参道がありますが、勅使門は入れないのでこの門から境内に入ります

勅使門を内側から撮影したもので門より数段の階段になっています。これは門の外の道路に対して境内が低いためで、元の土地の高さは聖福寺の境内の高さで800年かけて外が高くなっています。階段を登ると鎌倉時代→室町時代→江戸時代→明治時代→大正時代→昭和時代と時代が進むことになります

勅使門所には太閤町割りの痕跡があります。勅使門の内側から無染池の間をまっすぐに山門に伸びる参道を撮影しました。まっすぐと書きましたがちょっと曲がっているのがわかりますか?これは勅使門のある通りからまっすぐに参道があり、途中で少し曲がり山門につながっています。これは博多の町が太閤町割りで改造されたので門の角度が変わってしまったためです

山門はとても大きくて立派なものですが焼失したものを明治時代に再建したもので、龍の天井絵・千手観音・十六羅漢像が安置されています。この門は通る事は出来ません

本堂(仏殿)を撮影したもので中に阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三体が安置されています。その本尊の釈迦如来の手と結ばれたひもがこの写真の柱につながっていて、この柱に触れると本尊に触れたことになります

本堂の手前から左に続く道を歩いていきます

進んでいくと開山堂が見えてきました。このお堂には開山栄西祖師の座像が安置されています

本堂の裏手を歩いていると正面には隣の節信院の門が見えてきました

門を入った所にある節信院のお堂です

ぐるっと回ってきて聖福寺の勅使門に戻って来ました。正式な正面の門はこの勅使門ですが扉にあるように皇族などをのぞいては入る事が出来ません

寺社仏閣巡りを中断して大宰府に向かいます。大宰府を観光して戻って来たときにまた続ける予定です。まずは天神で大宰府観光に便利な大宰府きっぷを購入しました。天神から大宰府までの往復と大宰府近辺の乗り放題に大宰府での「梅ヶ枝餅」の引換券に施設などの割引券がセットになっています

天神からは西鉄で大宰府に向かいます。大宰府へは西鉄の大牟田線の途中の二日市駅から分岐する路線に乗り換えます。そこで撮影した通常の車両です

通常は天神と大宰府駅の間はこの『旅人』という特殊な車両が直通しています。と言っても二日市駅ではスイッチバックのように走行する向きが変わりますが

大宰府駅に到着し駅舎を撮影しました。屋根の形が神社風になっています

大宰府駅からは参道を歩いて向かいます。歩道も広くゆったりとしています

大宰府切符の引換券での引換券がついていて、ここのお店で梅ヶ枝餅と交換しました。梅ヶ枝餅は梅の刻印が入っているだけで梅の味などがするわけではありません

参道にあるスターバックスは雰囲気を壊さないようなデザインの店舗になっています。右側にあるマークだけで識別ができます

参道を歩いて来て天満宮の鳥居につきました

太宰府天満宮は菅原道真を祀っていますが道真公が丑年の生まれだった事や、本殿建設の場所が牛とのご縁がある事で御神牛が置かれています。頭を撫でると知恵が授かるという信仰があります

池の形が『心』の形の心池に架かっている太鼓橋で参道はここを通ります。実際には太鼓橋・平橋・太鼓橋の3っつの橋が架かっています

大宰府神社の境内にある大きなクスノキの樹齢は1000年以上で資料では1500年、伝承では2000年とも言われていて、国の天然記念物に指定されています

太鼓橋を渡った先にある楼門はとても立派な門です。外側と神域側で形が違うそうです

さらに近づいて楼門をアップで撮影しました。左右に武者姿の像が安置されていました

919年に完成した本殿ですが数度にわたり焼失し現在の物は1591年に建てられたもので築400年を経過していますが、とても立派な建物です。国の重要文化財に指定されています

楼門を内側から撮影したもので外と内とでデザインが違うとの事でしたが、どの部分が違うのかがわかりませんでした

本殿の右奥にある相輪塔で1802年に建立されたものをここに移転したそうです。日本に同じようなのは8基しかなく九州にはここにある一基だけだそうです

学問の神様(菅原道真)を祀っているので絵馬も多く奉納されています

本殿の後ろ側の写真で、ご本尊は建物の後ろ側に祀られているのでこちらからお参りする方がお近くでお参りできるので賽銭箱もあり多くの人がお参りしていました

本殿の裏にある「厄晴れひょうたん」を奉納した場所で、古くから不思議な霊力があるという「ひょうたん」の中に厄除けや願い事を入れて祈念したものです

帰りはこれに乗れば天神まで行けますが大宰府に来たら大宰府政庁址に行くので途中で下車します

大宰府政庁跡に行くために西鉄の都府楼前駅で下車し、政庁跡に向かって歩いている時に道路に鳥居がありました。太宰府天満宮とはかなり離れていますが、天満宮の一の鳥居だそうです

小学校の門が時代を感じる門でした。帰ってから地図を見てみると「御笠北高等小学校跡地」という表示があったので、その時の門なのかも知れません

大宰府政庁は飛鳥から奈良・平安時代の九州地方を治める役所が大宰府で広大な敷地が政庁のあとで1000人が働いていたそうです

入口の所の丸い石は門の柱を支えた礎石ですね

奈良時代の玉石敷の溝が発掘され、そのまま保存公開されていました。この溝は大宰府政庁の中でも発見されていて排水の目的で造られたそうです

戒壇院は大宰府政庁の東側にあるお寺で戒壇とは僧侶になるための道場で761年に設置されました。隣にある観世音寺の一角に設けられ道場としての位置づけでした。この写真はその入口の総門から奥の道場に向かって撮影したものです

本堂を撮影したものでまん中に一つの燈籠がありました。建物は江戸時代に再建されたものだそうです。手前には立派な山門があったそうですが焼失してしまい礎石だけが残されています

まん中に一つの燈籠がある観世音寺の本堂です

観世音寺にはかつて五重の塔があったそうで、その礎石が残されていました。物凄く大きいもので塔の立派さが想像出来ます

観世音寺の梵鐘は京都の妙心寺の鐘と兄弟と言われているそうで、とても古いもので国宝に指定されています

2日目の昼食は大宰府政庁散策の時に見つけたお店で「とろろ蕎麦」で泡立てたようなとろろで少し変わったものですが、とてもおいしかったです

帰りは西鉄五条駅から乗ります。来たのは大宰府からの直通列車で天神まで乗ります

天神で地下鉄に乗り換え筥崎宮にお参りに行きます。筥崎宮前駅で下車して地上に出ましたが、海岸に近い所にある筥崎宮高燈籠を見にお宮とは逆にあるいてたどり着きました。燈籠と言えば参道の左右に一対であるのが普通ですが、ここでは一つだけです。 元々は漁港の帰港の目印として火が灯されたという歴史があります

高燈籠を見た後は参道を進みます。参道の正面は福岡空港の進入路になっているのでちょうどJALが着陸に向かって通過していきました

元々は路面電車が走っていた専用軌道がバス専用道路になっていました

ブラタモリポイント

地下鉄の駅の出口付近に戻って来ました。大きなどっしりとした鳥居がありました

筥崎宮の楼門で国指定の重要文化財になっています。左右には塀が巡らされ、その範囲は神域で立ち入ることが出来ません。額には神社の名前ではなく「敵國降伏」とあり、醍醐天皇の文字と言われています

神功皇后が応神天皇を出産した際の衣を箱に入れてこの地に納めて印に植えた松が神木になっています。その箱から筥崎という滑になったそうです

楼門の先に本殿がありますが完全に囲われていて中には入れません。参拝はこの楼門の所で行います

湧出石は触れると運が湧き出る言われていますが、「国に一大事がある時に地上に姿を表す」とも言われていて、いまは国が一大事なのでしょうか?

鳥居としては一之鳥居で国指定の重要文化財になっています。黒田長政により1609年に建立されたそうです。この鳥居の手前の道は路面電車が通っていた通りです

路面電車は道路上に線路が敷かれるので専用軌道でない場合は特殊なレールが必要になります。そのレールは溝付きレールと呼ばれるもので、ここに再利用される形で残されていました

ブラタモリポイント

水鏡天満宮は天神の近くにある神社で菅原道真の生誕の地と言われています。天神の近くと書きましたが菅原の道真は「天神様」と呼ばれていますので、天神という地名がこの神社によってつけられました

鳥居をくぐった所に楼門があります。横一列のしめ縄が少し変わっています

本殿の所のしめ縄も同じような横一文字のものでした

福岡は黒田のお殿様が来たときに出身の岡山の町の名前をつけたもので武士の町です。いっぽう博多は昔から商人の町なのでその境がありました。その福岡側は城壁になっていて、その時の石垣が残されています

ブラタモリポイント

旧福岡県公会堂貴賓館は中州の先端(下流側)にある木造2階建ての洋風建築の建物で国の重要文化財です。1910年頃に作られ戦前はその目的で使われ、戦後は高等裁判所や水産学校など様々に転用されました

福博であい橋は那珂川に架かる橋で中州と博多の間に架かっています。中州は黒田の殿さまが来た後の福岡側で那珂川の北側は昔からの商人の町の博多です。その二つの町が出会う所という事で名前がついています

ブラタモリポイント

福博であい橋の博多側には博多人形を美術品のレベルに引き上げた小島与一のブロンズ作品の三人舞妓の像がありました

元々は那珂川の運河があった所に出来た施設でキャナル=運河の名前の通り建物の中には運河を残すように水の流れを作っていました

櫛田神社の南側の入口にある神門です。神社にとっては裏側にあたりますが重要な入口です。階段の上に鳥居がありますが、この写真を撮影した下側は海から流れ込んだ川だった場所で、船をここに接岸し航海安全を祈願するときの入口になっていました

ブラタモリポイント

南神門を上がった所に山笠が展示されています。博多の夏祭りとして有名な博多祇園山笠のお祭りの出発地点になっているのがこの櫛田神社で、その関係で展示されています

神社の本殿の正面の入口の楼門とその手前にある御神牛です。頭を撫でると賢くなれるという言い伝えは太宰府天満宮と同じで、頭が光っていますね

櫛田神社の本殿を撮影したもので大きくて立派なしめ縄がありました

櫛田神社の北側の神門を内側から撮影したものです。おおきな提灯が少し見えるので外に出て撮影した見ます

北側の神門を外から撮影したもので大きな提灯が下げられています

櫛田神社の近くにあった萬行寺の三門はです。お寺はとても近代的な建物のお寺でしたが三門だけは昔のままのようでした

まだ時間がありますが福岡空港は初めてだったので少し早めに空港に戻り飛行機の撮影です。福岡空港は市街地に一番近い空港で住宅の密集しているところの上を進入して来ます

IBEXの特別塗装機が移動していきました。羽田では撮影できない上に特別塗装機です

夕方になり夕焼けの空を飛行する機体をシルエットで撮影しました

夕焼けで雰囲気が良くなって来た空港を撮影しました

搭乗時刻が近づき搭乗ゲートを撮影しました。ここに表示されているJAL330便で帰ります

定刻になり機内に入って外を撮影したものです

福岡空港の離陸する時の動画をタイムラプスで撮影しました

羽田空港に近づき千葉の沿岸の夜景と東京湾を挟んだ羽田側の夜景を撮影しました

羽田空港への夜間着陸の動画を撮影しました。夜景が綺麗だったので少し長時間の撮影ですがタイムラプスで動画は短くしています☆

【5】まとめ


・福岡空港から市街地まではすぐで公共交通機関も発達しとても便利な町だった。
・福岡は福岡と博多の呼び方があるが、武士の町と商人の町で散策しても違いがあり面白い。
・博多駅前近くには寺院の集まっているエリアがあり散策に最適でした。
・大宰府は天神から『大宰府散策きっぷ』で回れちょっと散策するのには最適でした。
・見どころや食べ物など沢山あり、何回来てもよさそうな場所でした。
・この旅の費用は次の通りでした

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?