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週末旅をお勧め(15回目):一泊二日で復興の始まった熊本市内と荒尾の旅

15回目の投稿は熊本旅行です。最初に熊本に行こうと考えたのは2016年4月。しかし旅行の予約をし出発の直前に観測史上初めての最大震度7の激震が2回も発生すると言う熊本大地震が発生し、旅行どころではない災害になった。そこでその旅行で予定した費用を全額熊本地震の義援金に寄付をし、2年が経過した時に『熊本でお金を使う事も支援の一助にはなるのでは』と考え2018年4月に熊本市内観光と路面電車の乗りつぶしを中心にして近郊の荒尾で万田坑を観光しました。

【1】今回の旅の目的


JALグループ就航の空港の訪問と熊本の路面電車の乗りつぶしに復興の状況を目で見て確認しお金を使う事で少しでも復興の一助になる事を考えました。

【2】熊本への旅の計画(移動・宿)


今回の旅では往復の飛行機と宿泊はダイナミックパッケージで予約しました。
移動:羽田⇒熊本、熊本⇒羽田の航空券はJALダイナミックパッケージで予約
移動:公共交通機関を利用する
宿泊:熊本市内のホテルをダイナミックパッケージで予約

【3】おおよそのルート


1日目:羽田空港(08:05)→JAL625→(09:50)熊本空港→熊本市内散策→熊本(泊)
2日目:熊本→熊本市内散策→荒尾観光→熊本空港(19:45)→JAL638→(21:20)羽田空港

【4】熊本旅行の写真レポート

(1)1日目の行程
羽田空港~阿蘇くまもと空港~熊本市内観光~熊本(泊)

羽田空港の出発は今回も8時頃ですがいつもの様にラウンジで朝食を取りながら富士山方向を撮影。

国際線ターミナルの向うには富士山が見えるはずだが曇っているので見えないね。離陸してからも羽田⇒熊本便は富士山の真上を飛ぶので見えないとの事なので今回は阿蘇山が見えるかも知れない左座席を確保。定刻になり機内に入り地上係員のお見送りで滑走路へ。

今回も離陸動画を撮影するが、いつもとは違いプッシュバックから離陸までの間はスマホのタイムラプス動画を撮影してみたが地上滑走中に着陸機があったり後縁フラップの開閉にD滑走路の離陸待ちの渋滞など色々と面白い。

飛行中は地上の風景を楽しみながら確認できる風景は写真に残していく。離陸後にしばらくして見えて来たのは爬虫類の様な湖は井川ダムによってできた井川湖ですね。

次は名古屋港とセントレアの景色。

さらに進んで淡路島を撮影しようと思いましたがカメラの準備が間に合わず見えて来たのは小豆島

瀬戸内海を見ながら観察していくと瀬戸大橋が見え本州と四国が陸続きになったのがわかる

次に見えて来たのは四国の一番西にある空港の松山空港。一部が海に突き出ている様子がよくわかる。

そして海に突き出た細長い半島と佐多岬が見える。

九州に入ってからは見てハッキリとわかる風景はなく熊本空港へ近づいた時に期待した通り阿蘇山が見えて来た。

この日は風の関係で西側からの着陸になり熊本市街地の方にいってからUターンする。この時に熊本の街並みを撮影。

熊本空港は初めてだったので着陸動画はいつものタイプで撮影。

着陸後にスポットに着いたところで一枚撮影し降機する。

ターミナルビルから乗って来た767を撮影する。

セキュリティを抜けて到着案内板を見ると意外と到着便が多いね。

今回の旅では熊本市内散策と路面電車乗りつぶしなのでレンタカーは利用しないで公共交通機関と歩きです。まずは空港から熊本駅まで連絡バスで向かいます。その連絡バスから空港ターミナルを撮影しました。

空港からの連絡バスは熊本駅に到着です。

JRの熊本駅ですが別名があるようです。それは左の上に『くまもん駅』という表示がありました。

熊本駅も改良工事が進んでいるようでした。ここは線路が撤去されていて痕跡がよくわかります。

11時を過ぎていたので熊本駅で路面電車の一日券を購入して花畑町電停まで乗って来ました。ここに来たのは昼食を食べるためで、そのお店はここです。

東京にも横浜にも多くの支店があり何回も食べていますが熊本の本店で食べるのが目的で食べたのはこの太肉麺です。

昼食後は熊本城です。この写真は熊本市役所近くの坪井川沿いから撮影した馬具櫓の写真です。右側の石垣は震災の影響ななさそうですが、櫓の真下の石垣が崩れてしまっています。

坪井川沿いの石垣で熊本城の長塀という説明がありました。表面だけ見るとそんなに損傷は無いように思えます。

お堀の外側に加藤清正公の像がありました。

坪井川を行幸坂で渡り横から馬具櫓を撮影したもので中央当たりの石垣が崩れているのがよくわかりますが、左右はしっかりと残っていて櫓もそこにしっかり立っていました。

震災により城内には入れなくなっています。事前に入れない事は調べてあったので案内に従い二ノ丸広場に向かいます。

少し進むと未申櫓が見えて来ました。天守の「未申(南西)」にあるので名前が付いた櫓で、加藤清正時代に建てて明治に解体され平成に復元したものだそうです。ここから見ると被害はなさそうです。

行幸坂の西側の道で5月の新緑の季節で木々の緑が綺麗です。

未申櫓の正面まで来ました。ここから見る限りでは建物も石垣も損傷がなさそうです。

震災で崩れた石垣を補修するために集められている場所がありました。

二ノ丸広場の手前から撮影した写真で、西大手門櫓門の建物と石垣の損傷は大きいようです。

西大手門の正面から撮影しました。正面の建物は完全に奥に倒壊し、右側の石垣も崩れてしまっています。

薬研堀りの向こうに戌亥櫓が見えています。「戌亥(北西)」にある櫓なので名前がついています。櫓の手前側の石垣が崩れているのがわかります。

二ノ丸広場から天守が見られるという事で来た二ノ丸です。補修工事が行われているのがわかります。

戌亥櫓手前の石垣とその上の塀が崩れてしまっています。

補修工事中の様子を撮影しました。大天守は完全に覆われています。左に見えるのは小天守だと思いますが宙に浮いている形です。もともとこのような形で補強がされていたようで、周りの石垣が崩れても建物はそのままの様です。

戌亥櫓を回り込んだところの撮影です。歩いて来た方角からは損傷は無いように見えていましたが、こちらの面は石垣が崩れています。この写真の左手前の角がギリギリ抑えられているようです。

加藤神社近くでも崩れている場所がありました。

加藤神社は熊本城内にあり加藤清正公を祀った神社です。その入口の鳥居の所からの写真です。

加藤神社の境内からは補修中の小天守と天守が良く見えます。

境内にある大手水鉢と太鼓橋の写真です。手水鉢の所にある木も古そうです。

加藤神社を出て東側に来ました。ここから見える石垣は緩んでもなく綺麗でした。


ここから見える櫓は地震の影響はなさそうですね。

ここは石垣が崩れているような形ですが、地震の前からこのようであった気がします。金属ネットで覆われていて、さらに下の部分に石の落ちたような痕跡がなさそうです。

熊本大神宮とありましたが地図では恵比須社とも書かれています。大きな屋根の本殿です。

熊本城の東側にある稲荷神社です。加藤清正が熊本に入国するときに熊本城の守り神として建立された神社との事です。

坪井川沿いの道路から撮影したものです。熊本城の内堀の役割も果たしていました。

坪井川の向こうの石垣を撮影したもので、この綺麗に積まれた石垣から内堀として役目を果たしていたことがよくわかります。

熊本市電の乗りつぶしで幾つかの支線のうちの一つの終着駅の健軍町まで来ました。

終点まで来たので折り返し水前寺公園まで乗って来ました。高校の修学旅行で来たときは水前寺公園だった記憶をしているのですが、調べてみるとこの一帯が水前寺公園でその中心にあるのが水前寺成趣園です。

水前寺成趣園の中にある神社で、火の国熊本と言われることがありますが地下水も豊富なのが熊本県で、ここから清水が湧いていてそこに建てられた神社なので出水神社というらしいです。

庭園の中には色々な景色が再現されていますが、ここには富士山が再現されているようです。

園内にあった細川忠利公と細川藤考公の像がありました。

夏に行われる薪能の能舞台もありました。

水前寺公園を散策した後は別の支線に乗って終点の上熊本駅電停まで来ました。熊本市電の終着駅の上熊本電停です。車止めにはクッションドラムが置かれています。

停車している路面電車を一緒に撮影しました。

ここで路面電車から熊本電鉄に乗り換えです。まずは上熊本駅でクマモンのデザインのラッピング車両を撮影です。

この上熊本駅から北熊本駅まで乗ってきて撮影したかったのは、この緑色の電車で、かつては東急で使われていた車両でアオガエルと呼ばれています。運行される日が少ないので置かれている北熊本駅まで来て撮影しました。その右側にある茶色い車両はモハ71で国鉄時代のモハ90形が広浜鉄道に移籍した後に熊本電鉄に引き継がれたもので、入れ替え用に使われているそうです。

ここでステンレスボディの車両も撮影しました。東京都営地下鉄・三田線で運用されていた車両です。

初日の観光の終盤に近づき一度ホテルにチェックインするために街中に戻ってきました。その時に市電の花畑町で下車しました。

チェックインして荷物を置き再び散策です。まずは熊本城近くの坪井川の川岸を歩くとツツジの綺麗に咲いている場所がありました。

この旅は熊本市電の乗り継ぎの旅でもあるので田崎橋の終点の電停まで乗って来ました。街中にいきなり車止めが現れます。

手取天満宮は天満宮の名前からわかるように学問の神様の菅原道真を祀った神社です。

小泉八雲亭は英語教師として熊本大学の前身の中学に赴任したラフカディオ・ハーンの住んでいた住居で、日本国籍を取得した後は小泉八雲と名乗っていました。

夕食はどこにしようか考えたのですが色々なお店が集まっている熊本駅に来て、「火の国定食」というものを食べました。熊本名物の馬刺しと辛子レンコンを中心としたもので、名物のだご汁と天ぷら盛り合わせもついていました。

夕食後は辛島町まで路面電車に乗って、そこから歩いてホテルまで戻りました。その一帯は新市街と言われているエリアです。

(2)2日目の行程
熊本市内~荒尾(万田坑観光)~阿蘇くまもと空港~羽田空港

1日目に路面電車は乗りつぶしも終えたし市内の見たいところはほとんど行ったのでゆっくりの出発です。のんびり朝寝坊をしてから観光スポットではない白川の土手をゆっくりと歩く。

町を歩いていると駐車場に柱があり、柱の説明では横井小楠が始めた私塾が移転した後、この場所にあったそうです。

小楠堂の近くの電停から市電に乗り熊本駅に向かいます。

万田坑に行くために熊本駅に来ました。昼に近い時間になってしまいましたが、ここから鹿児島本線に乗ります。

昼の時間に近くなり荒尾駅で食べようかと思ったのですがお店があるかどうかわかりませんので、熊本駅で早めに済ませました。2日目のお昼も熊本ラーメンです。

駅構内の表示版です。12時15分の大牟田行きに乗ります。

万田坑の最寄り駅の荒尾駅の駅前には万田坑のタワーのミニチュアがありました。

ミニチュアの所から振り返って荒尾駅の駅舎を撮影しました。引き込み線などがつながる大きな駅ですが駅舎は小さいですね。

荒尾駅からはバスに乗り万田坑ステーションに行きました。そこにあったロッカーショベルで掘削した石炭を後ろの荷台に入れるようなもので、万田坑でも使われていたそうです。

色々な物が混じった水をいったん沈殿させ水だけを川に戻すための沈殿池があり、その向うに万田坑が見えます。

倉庫およびポンプ室の建物(国指定重要文化財)でレンガ造りです。

倉庫の向こうに見える第二堅坑櫓(国指定重要文化財)を見上げるように撮影。

たぶん倉庫だと思うのですが建物の中で撮影しました。右側の「たんか」も昔のままのようです。

安全燈室及び浴室の建物(国指定の重要文化財)を手前にして奥の第二堅坑櫓を撮影しました。

第二堅坑櫓の下の堅坑口で引き揚げた石炭を運ぶ設備があるようです。

第二竪坑口にあった車両でばねなどがあり、どのように使うのか不明ですが力強さが伝わります。

事務所の建物(国指定の重要文化財)です。旧扇風機室という説明もあり、送風の機械かなにかあったのでしょうか?

一番奥側にある建物の裏側から撮影したもので職場という修理工場のようです。車両なども来るようにレールが敷かれています。

職場の建物の中で色々な部品を修理していたようです。

第二竪坑巻揚機室で国指定の重要文化財です。モータの動力をギヤを使って減速してワイヤーで吊りあげる装置です。

巻き揚げ機のモーターで外形が大きく回転数より低回転でトルクを出すように作られているのがわかります。

巻き揚げ機や空気を送る装置など電気を多量に使っていたので変電所もありました。

汽罐場という建物でハッキリとした説明はありませんでしたが、ここで貨車に積み込んで運び出す場所ではないかと想像します。

事務所と第二竪坑櫓を一緒に撮影しました。小さな錆びた貨車が手前にあってアクセントになりました。

万田坑の外側の線路跡で近くの宮原坑・宮浦坑・七浦坑などを結ぶ専用軌道があり、三池港までつながり石炭輸送を行っていました。

専用軌道側からの万田坑で、手前には専用軌道の車輪などが散らばっています。裏側まで歩いて来たので帰りはバスではなく鐡道跡を歩いて帰ります。

専用軌道の妙見駅のあたりの風景です。石炭を運ぶための軌道ですが通勤用の人員輸送も行っていたようで、ここはその駅があった所です。

鉄道のレールを骨組みに使ったプラットホームの形がわかるような残骸がありました。

専用軌道を歩いて鹿児島本線まで戻って来ました。専用軌道は港からの石炭輸送の為に敷かれていましたが、荒尾駅で国鉄につながっていました。

万田坑を観光した後に熊本に戻るときに荒尾駅で帰りの電車を撮影しました。

ひと通り観光して空港に向かうために戻って来ました。熊本市電の辛島町の電停の近くにバスターミナルがあり、そこから空港連絡バスで熊本空港に移動します。

空港連絡バスで空港に戻ってきたときにターミナルビルを撮影しました。熊本空港はこの後に国内線と国際線が一体となった新ターミナルが完成しています。旧ターミナルの貴重な写真となりました。

ターミナルビルのセキュリティゲート前の出発案内板を撮影しました。意外と関西への便が多いです。

時間に余裕があったので展望デッキに出て撮影しました。展望デッキには空港名が描かれた所がありました。

「くまモンジェット」?と思うような機体が見えました。調べて見るとチャイナエアラインズの三熊友達号というもので、熊本の「くまモン」と台湾の「オーベア」と高雄の「ガオションション」の熊と観光地が描かれているそうです。

いったん夕食を食べにターミナル内に戻り夕食は牛丼を食べました。

夕食後は時間があったので再び展望デッキに出て先ほどの三熊友達号が出発していくのを見送りました。

いつものように熊本空港を離陸する様子をタイムラプスで撮影☆

そして羽田空港に着陸するときもタイムラプスで撮影しました☆

最後にこの旅で回った所をGPSのログを地図に落としてみました。

【5】まとめ


・一番の目的の熊本地震の復興は熊本城の被災状況を見て心が痛んだ。
 しかし、石垣など古い時代の物が意外と頑丈であり昔の技術の高さが感じ
 られた。
・熊本市電(路面電車)は全線の乗りつぶしが出来た。。
・荒尾市の万田坑の見学は半日使ってゆっくり見学する事が出来た。
・熊本地震から8年が経過し仮設住宅の入居者も昨年にはゼロとなり、南阿蘇鉄道も復旧した。さらに半導体の工場が出来るなど大きく発展しているのは喜ばしい事である。しかし地震では多くの方が亡くなられた事を忘れてはいけない。亡くなられた方のご冥福をお祈りします

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