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くらやみが歌ったとき

すべてを なげだしそうになる
そんな闇(よる)に のみこまれるとき
生きることへの 情熱をなくすとき
こころもからだも 迷子になる

くるしみ かなしみ いたみ
それは自分の頭が つくりだすもの?
すべてはわたしたちがつくる まぼろし?

そんな闇(よる)を かかえたまま
雨あがりの朝 森をあるく
静謐(せいひつ)な空気と 雨粒をまとう 葉っぱたち
はりつめていた きもちも からだも 
一歩一歩 ほぐれていく
ひと息ごとに ゆるんでいく
そしてふっと 森の空気と とけあったとき
からだの奥から 音楽があふれてくる
メロディーが ながれていく

そのこんこんと 湧き出でる 音にあわせ
言葉うかぶまま 自由きままに 歌ってみる
あるく うたう あるく うたう
そうしたら くだり坂のところで 声がとまり
こころが 高らかに うたいだした

 それでも いつか 
 わかりあうときが やってくる
 すべてはみな 一(いつ)なるもの
 やみにひそむ 真のやさしさ
 ねているあなたが 少しずつ回復していくように
 「くらやみのひかり」を 見出すでしょう
 すべてのいろを ふくんだ くらやみの
 色あざやかな ひかりたちに
 あなたは こころを うばわれるでしょう

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くらやみさん、もしかして あなたも
愛されたいの?

あぁきっと くらやみだって 愛されたい
みんな みんな 愛されたい


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この詩は 森を歩き始めた1年目にノートに走り書きしていたもの。

あれから5年。庭で植物たちと過ごす時間がとてもおおきな歓びと意味をもつようになり、毎日花を見ていたら、なぜか無性に絵を描きたくなりました。

そして去年から習い始めた水彩画。たのしくて、奥がふかくて...。

真っ白な紙は、ひかりの部分。

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水彩画では、白い部分を残してひかりを表現します。「絵」を描いていく作業は「影」を描いていく作業。この影なしに、すてきな絵はできません。わたしはとくに最初のころ、濃い影を入れていくのがすごくこわかった。でも、先生がぐっと濃い色をさしていくと、その花はもっともっと生き生きとして、輝きを増していきました。それを目にするたびに、影の部分の重要さや役割についても考えるようになりました。

白い紙だけではつまらない。

真っ黒だけの紙もつまらない。

ひかりと影の按配(あんばい)、そのバランスの大切さ。

そしてたまに、あの日書いた詩がふっとこころをよぎります。

くらやみの愛し方、わたしはまだわかっていないけれど、

いろんなきもち、
いろんな色が、
ひとりひとり、わたしのなかにも全部あって、
それはとてもすてきなことで、
それはすごい可能性を秘めている。

そんなふうに今、かんじています。
いつか、あの日森のなかでこころが勝手にしゃべった詩(うた)を、わたしのあたまもこころも、全部ちゃんと理解して、声高らかに歌える日がくるのかな....。


 それでも いつか 
 わかりあうときが やってくる
 すべてはみな 一(いつ)なるもの
 やみにひそむ 真のやさしさ
 ねているあなたが 少しずつ回復していくように
 「くらやみのひかり」を 見出すでしょう
 すべてのいろを ふくんだ くらやみの
 色あざやかな ひかりたちに
 あなたは こころを うばわれるでしょう

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とどけ とどけ

祈りのうた

いま くらやみにいる みんなのもとへ

ひびけ ひびけ

愛のうた

そのくらやみの くろのなかに

とびきりすてきな ひかりのいろを

みつけることができますように。










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