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脱皮の時期なのか

もちろん、今は元気なんです。
でも、抑うつになる前の柔軟性というか、変化に対する耐性というものが、少しづつ失われてしまってきている気がして。

こんにちは。唐突に何事かと。
今日はある会議にて、今後業務をどうしていくのか、改善点を出し合うといったような議題がありまして。
それまで脈々と培われてきた業務の上に、今ののんびりした私の働き方がありますが、その根底が「改善」の名のもとに切り崩されるんじゃないかという恐怖(大げさ)を感じました。

改善案を出していくということは現状のままではだめだということ。
つまり、私ののんびりした業務にもメスが入り、方向性は不明なるも、「変化」が訪れる可能性があります。
この「変化」を拒絶する自分を再発見したというわけです。

業務が改善され、業務効率が改善され、結果がより良いものになるのは大歓迎のはず。生産性だうんたらかんたらと細かい話は置いといて、仕事を洗練させていくのは社会人として当然。
しかし、そうと分かってはいる今の私は、そうした一連の「改善、洗練」がもたらす「変化」を嫌っています。

なぜでしょう。
それは、冒頭に述べた、「柔軟性というか、変化に対する耐性というものが、少しづつ失われてしまってきている」んだと思います。

抑うつからの回復期は、「元に戻る」ことを主眼に、無理しない生活を心掛けてきました。これは今も同様です。
あくまで「元に戻る」のが目的であって、「物事を前へ進める」ことは「無理する」ことだったのでしてきませんでした。

転機は、PRプランナーに合格したことと、復職から半年が経過したこと。
これを境に、私自身の内面に「前に進めるのでは?」という自信と、「まだ無理してはいけない」という慎重さが同居するように。でも、これはあくまで自分の内面だから受け入れられること。
外部しごとから突然、「業務を改善しよう」「いいものにしていこう」と「変化」を強制されると、途端に「まだ無理してはいけない」自分がヌヌッと現れて、「いやや。まだ無理したらあかんはずやねん」と拒絶してしまう。
悩ましいものです。

成長や前進は、ちょっと背伸びしたところで手に届く。
これは身をもってよく知っています。
今は、それができない、というか、拒絶してしまう。
正直、PRプランナーも相応の負担を乗り越えてやっと手にしたもの。
新たな成長や前進には、まだ心が追い付かないのです。

さあ、どうしたものかな。
会議でそう言われた以上、今のままではいけない。
何かを変えなくちゃなりません。
別に私個人に向けて言われたわけでは全くないのですが...
私も一歩前へ進む時が来たのかもしれません。

無理しないこと、自分をいたわること。
これは大前提に置きつつ、じわりじわりと成長を期待する周囲にも応えていかなくてはいけないのか。
私はそれほど万全なんだろうか。
現在地は不明ですが、脱皮の時期なのは確かなようです。
周りに助けを借りながらでも、ちょっと背伸びしてみる?
どうする?自分。

サポートをしていただけるようなことがあったら踊り狂います。 どこかの誰かの何かに届けばいいな。