記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

書籍紹介 佐々木実『宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』

 佐々木実さんの『宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』講談社現代新書(2022)は、経済学者、宇沢弘文の生涯と思想を描いています。本書は、宇沢が提唱した「社会的共通資本」の理念を通じて、資本主義の限界とその再構築を著者の解釈を添えて問い直しています。

宇沢は、半世紀も先取りして、行き過ぎた市場原理主義を是正するための、新たな経済学づくりに挑んだ。すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に教授できる。そのような社会を支える経済体制を実現するため、『社会的共通資本の経済学』を構築した。

出所:本書(P7)

 宇沢は、市場原理主義の対極に立ち、人間的な尊厳と社会の調和を重視した経済学の新しい道を模索し続けました。著者は、宇沢の足跡をたどりながら、現代社会の課題に対する宇沢理論からの示唆を与える内容です。

1.資本主義への問いとフリードマンとの対立

 冒頭でも触れたように、宇沢は、市場原理主義に根本的な異議を唱えた経済学者です。フリードマンが市場の役割を絶対視し、政府の介入を極力排除する「市場=社会」論を唱えたのに対し、宇沢はそれに真っ向から反対しました。宇沢にとって、市場はあくまで社会の一部に過ぎず、市場経済が社会全体を支える存在ではないと考えました。

市場領域をひろげていけば、「社会の絆がほころびるおそれは減る」とフリードマンは言っているが、むしろ、あらゆる領域を市場化すれば、「社会の絆」に頼る必要などなくなるという考え方である。「市場=社会」がフリードマンの理想社会であるようだ。」

出所:本書(P5)

 フリードマンは、『資本主義と自由』で「市場が広く活用されるほど、社会の絆がほころびるおそれは減る」と述べています。これに対し、宇沢は、市場化の進行が社会の絆を崩壊させる危険性を指摘し、「社会のすべてを市場に委ねることは、社会的絆の喪失につながる」と警告しました。

 宇沢は、半世紀も先取りして、行き過ぎた市場原理主義を是正するための、新たな経済学づくりに挑んだ。すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に教授できる。そのような社会を支える経済体制を実現するため、『社会的共通資本の経済学』を構築した。

出所:本書(P7)

2.社会的共通資本の経済学

 宇沢の「社会的共通資本」論は、市場の効率性や利益追求だけではなく、社会全体の安定と持続可能性を重視する考え方です。宇沢は、社会的共通資本が適切に維持されなければ、経済的な発展も持続しないと考えました。この「社会的共通資本」とは、大気や水、森林といった自然環境、交通やインフラ、医療や教育など、全ての人々が享受すべき公共の財産を指します。これらは、市場の論理に任せるべきではなく、社会全体のために保護され、管理されるべきだと宇沢は主張しました。宇沢の経済学の中核を成すところです。

『自動車の社会的費用』を執筆した40代半ばから86歳で生涯を終えるまで、宇沢は、社会的共通資本の経済学を構築することに全精力を注いだ。
社会的共通資本は、広い意味での「環境」を経済学の対象にすることを意図して、宇沢がつくりだした概念である。社会的共通資本は3つの範疇にわけることができる。
① 大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境
② 道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー
③ 教育、医療、司法、金融などの制度
宇沢は、社会的共通資本の役割についてつぎのように説明している。
「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである」(『社会的共通資本』岩波新書)
近代経済学は市場の分析に注力してきたが、宇沢は、「環境」をふくめた社会そのものを分析しようとした。自然と人間の関係をも射程に入れた経済学の構築に挑んだのである。

出所:本書(P92-93)

 宇沢の教え子で社会的共通資本論の形成過程に詳しい京都大学名誉教授の間宮陽介は、宇沢が社会的共通資本の概念を用いて非市場領域を捉えようとしたことを、リンゴの絵にたとえて解説する。リンゴの絵は、リンゴだけでは成立せず、背景も描かれている。新古典派経済学者はリンゴ(市場領域)ばかり見ようとするけれども、宇沢は、背景(非市場領域)もあわせて見る。宇沢の資本主義観は「市場は社会に埋め込まれている」という見方を提示した経済人類学者カール・ポランニーに酷似している、と間宮は指摘する。
 主流派経済学はあたかも「社会=市場」であるかのような見方をするが、こうした思考法だと、非市場領域は「市場化すべき領域」に見えてしまう。
宇沢はむしろ、基本的人権にかかわりが深い社会的共通資本の特徴は「固定性」にあると見る。新古典派に特有な前提である「資本のマリアビリティ(可塑性)」は妥当しないということだ。固定性は経済成長の阻害要因でないどころか、社会全体を支えている資本の属性なのである。「社会=市場+非市場」という構図を明確にしたうえで、非市場領域が担う固有の役割を分析するため、宇沢は「社会的共通資本」の概念を導入した。

出所:本書(P97-98)

3.宇沢の経済学と自然との調和

 宇沢が自然と人間の関係を経済学に取り込んだことは、特に重要な点と著者は指摘します。 水俣病問題をきっかけに、宇沢は単なる市場メカニズムの枠を超えて、自然と経済の調和を追求するようになりました。現代の気候変動問題や環境政策においても非常に重要な視点を提供するものです。 宇沢は、経済成長の陰で生じる環境破壊や公害問題に対して、既存の経済学が十分な対応をしていないことを批判し、自然環境を経済学の一部として取り扱う必要があると主張しました。

4.ウクライナ侵攻とESG投資への影響

 著者は、宇沢の思想を現状の資本主義に照らし合わせて考察しています。例えば、ウクライナ侵攻を受けて、欧州の金融機関が武器製造企業への投資をESG投資に分類し直すという動きがあったことが取り上げられています。

 ロシアがウクライナに侵略して戦争が始まったとき、欧州のある金融機関が、武器を製造する企業への投資をESG投資に分類し直すという動きがあった。ふつう、ESG投資家は人道主義の観点から、軍需産業への投資には抑制的だ。しかし、アメリカなどがウクライナに武器を供与する現実を目の当たりにして、「防衛産業への投資は民主主義や人権を守るうえで重要である」と態度を豹変させたのである。
 ESGやSDGsに先駆けて「持続可能な社会」の条件を探求した宇沢なら、このようなESG投資を認めることは絶対にあり得ない。思想が許さないからだ。「ステークホルダー資本主義」「ESG投資」「SDGs」を叫んでみたところで、一本筋の通った思想がなければ、結局は換骨奪胎され、より歪な形で市場原理主義に回収されてしまうのがオチだ。

出所:本書(P8)

5.最後に ~宇沢弘文の思想の現代的意義~
 
 
前出の通り、宇沢の思想は、市場原理主義が広く浸透する中で、社会の安定と人間の尊厳を守るための重要な視点を提供しています。「社会的共通資本」論は、持続可能な未来のために必要不可欠な枠組みです。

 本書は、宇沢の原典の背景を理解し、彼の思想が私たちの未来にどのように影響を与え続けるかを考えるための豊富な材料を提供しています。現代の資本主義が抱える矛盾や限界に向き合い、持続可能な未来を築くための指針を得るためのヒントが詰まった一冊であり、分かり易く書かれてもおりますので、お勧めです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?