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夜々に集まる 第六話 スパム卵焼き

智紀・・・大手IT企業社員。
まっちゃん・・小料理屋「夜々」のマスター。
藤村涼介・・・大手企業社員。夜々の常連客。
加奈・・・会社員。
君子・・・加奈の同僚。
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「はぁ…」
通っている和食屋「夜々」のカウンターで、智紀は大きくため息をついた。厨房には店主のまっちゃんが料理を作りながら智紀に相槌を打っている。

「どーしたの、智紀」
「連絡が来ない。またフラれたみたい」
「なに、またフラれたの?」
「たぶん。さすがに今年五人目はきついな」
「たぶん本気が伝わってないんだよ。見抜かれるよすぐ」
「いや俺はいつも本気だよ」
「どうだか。ま、とりあえずビールでも飲む?」
「ありがとうまっちゃん」

まさか今年に入って五人目とは…。有名なIT企業でオフィスは六本木ヒルズ。社会人ニ年目。キャリアの序盤としては悪くない。なのになんでだ。思い描いたカッコイイ社会人には程遠い。今頃可愛い彼女と年末年始の予定でも立てながらいちゃいちゃここに来ているはずだったのに。

この店は、大学時代の先輩がたまたま店主のまっちゃんと友達で、会社に入って2ヶ月ほどしてから連れてきてもらった和食屋だ。でなければ西麻布のこなれた和食屋なんて社会人ペーペーの自分は知り得ない。先輩曰く普通は社会人7、8年目ぐらいで、運が良ければ見つけることができる類の店らしい。

先輩のおかげで、智紀もたまに寄らせてもらっている。そうでなければ、やはり西麻布なんて敷居が高い。西麻布と言えば某雑誌に良く出てくる街だ。だが、その某雑誌に出てくるような店を使いこなせるサラリーマンになるのが目下の目標だ。何を隠そうこの店もその手の雑誌に取り上げられている。

店主のまっちゃんは、先輩の友達だけあって、まるで本当の先輩のような感じで優しく節度を持って接してくれる。ここに来るだけで小慣れた大人になれてる気がするから不思議だ。店の常連さんたちも、業種はバラバラだが皆社会で成功してそうな匂いがプンプンする。そしてなんというか、わきまえている。

「はいよ、ビール」
「ありがとう」
智紀はまっちゃんに出してもらったビールを一気に煽る。
「うめー!」
「いい飲みっぷりだ。ただし、うめー!はもう卒業かな。大人の言い方に直していこう」
「え、うめー!はダメなの。その辺のサラリーマンよく言ってない?」
「その辺のサラリーマンでいいの?」
「え、それは…いやだけど」
「あの奥の人見ててみ。あの人はサラリーマンだけど、大人だよ。たまに子供だけど」
そういうと、まっちゃんはその客にオーダーを取りに行く。智紀が来てから5分後くらいにふらりと一人でやってきた細面のイケメンサラリーマンのようだ。スーツの仕立ても高級そうだ。

「まっちゃん、生お願い」
「はいよ」
「それと、酢の物ちょうだい」
「あいよ。

「まずは生ね」
生を受け取るサラリーマン。智紀と同じく一気に煽る。うまそうな顔だ。
「ぷはー、うめー!」
いやいや、俺と同じじゃん。
「まっちゃん、同じじゃん」
「あら、だったね。おかしいな。でも、智紀のはそのまんまって感じだけど、彼のは敢えて感があるよね」
「どゆこと?意味不明」
「そのうちわかるよ。今日は盗んで勉強しな。智紀とあの人の間に女性客が二人来るから、どっちに話しかけるかな。ちょっとした勝負だ」
「負けねーよ、だって若いもん俺」
「いいね、若いうちはそれが武器だから」

「いらっしゃい」
そのそばから、おそらくそれと思われる30歳前半と思しき二人の女性客がやってきた。
「お二人は…そのおじイケメンとわかイケメンの間で」
「はーい」
「おじイケメンって!やめてよもう」
奥の男性客が言う。

「あら、オジメン私好きですよ」
「え、それは光栄だ」
う、第一ラウンドはオジメンに取られた。
智紀は、ビールを煽る。
「まっちゃん、ワカメンはビールお代わり」
「あいよ」
女性の反応がない。せっかくワカメンとのっかつたのに。まっちゃんがニヤついて智紀を見る。

「お二人どーする?」
「生」
「二つ」
「あいよ」

「はい、藤さん、酢の物。今日はワカメと春雨」
「お、いいね春雨。どれ」
ライバルのオジメンはうまそうに春雨の酢の物を食べる。智紀は酢の物が好きになれなかった。

「うまいなぁ。この年になるとやっぱり酢の物とか好きになっちゃうんだよなぁ。序盤は酢の物だね」
「まっちゃん、わたしもこのオジメンさんの酢の物欲しい」
「あ、いや、オジメンじゃなくて藤村です」
「あ、ごめんなさい。藤村さん。なんか…落ち着いてて素敵。スーツも高そう」
「え、そうでもないよ。ちなみに、こちらはおでんもおいしいですよ」
「え、いいわね。じゃ君子、おでんもらう?」
「うん。おいしそう」
「ちなみにおでん食べると日本酒飲みたくなっちゃうけど。ここはたくさん日本酒もあるからいいですよ」
「ですよね!私も日本酒好きなんです」
智紀の隣の女性までが藤村と名乗る男の会話に加わる。この展開はまずい。

「たっちゃん、僕も何か野菜ください」
「あいよ。じゃあ茄子の煮浸しと、にんじんのラペどう?」
「うん、それでお願い」
「あいよ」

話題を藤村が独占したおかげで、一旦智紀はお休みのターンになってしまった。何か動きがあるまでは前菜をつまんで待つことにした。

「藤村さんは、よく来られるんですか?」
「ええ。ここは遅くまでやってるし、夜ご飯にはちょうど良くて、ちょくちょく来てしまってます」
「へー。大人の遊び方ですね」
「私は今日は二回目なんです。この子は初めて。あ、私は加奈、この子は君子。会社の同僚なんです」
藤村は二人の女性から自然な形で自己紹介を受けている。
「はい、春雨の酢の物とおでんです」
「わー、美味しそう!」
まっちゃんが次々に料理を出す。

「智紀も、にんじんのラペと茄子の揚げ浸し」
「ありがとう。美味しそう」
智紀は茄子の揚げ浸しをつまむ。柔らかい茄子を噛むと口の中で茄子から出し汁がジュワっと広がって、口の中一杯に広がる。
「これ、うまい!」
「ありがとう。茄子おいしいよね」

「こちらの茄子もおいしそうよ加奈」
隣の女性がようやく智紀の食べ物に食いついてくれた。

「え、じゃ、まっちゃん、私たちも茄子いただいてもいいかしら?」
「あいよ」
「ほんとにうまいっすよ茄子」
智紀は隣の君子と呼ばれる女性に伝えてみた。
「ありがとうございます、私たちも頼んじゃいました」
君子は笑顔で相槌を打ってくれるが、そこから会話が続かない。

なぜだ。俺は何かをミスしているわけではない。しかし、なぜか既にこの場は藤村が支配している。ような気がする。

「まっちゃん、俺熱燗もらっていい?お任せで」
「あいよ」
藤村は至ってマイペース、女性に話しかけられているのに一定のペースを崩さない。

「智紀、ちょっと不利だね」
「なんだよもう、むしろアシストしたのはまっちゃんじゃないの?」
「若干ね。でも、ちょっと今日は相手が悪いかも」
「もういいよ。どうせまだまだだよ」
「まぁそう言うなって。藤さんは、ナチュラルだからな。智紀もそーいう雰囲気も身につけていこうよ」
「大人の余裕ってこと?」
「うん、まぁそんなとこ。難しいか」
藤村と隣の女性二人は楽しそうな雰囲気。完全に負けだ。いや、最初に勝負はついていた。西麻布の壁はやはり高い。

「まぁ、そんな落ち込むこともないよ。これから学んでいくんだから。じゃ、可哀想だから、今日はとっておき作ってあげるよ」
「ふん、ほっといてよ…と言いたいところだけど、気になる」
「お楽しみにー」
そういうとまっちゃんは奥のガス代に向かう。

しばらくすると、まっちゃんが皿を持って帰ってきた。
「はい、お待ち」
「え、何これ、めっちゃうまそう」
思わず智紀は歓声をあげる。

「ちょっと、なにこれまっちゃん!美味しそう」
二つ隣に座る加奈と呼ばれた女性も嬌声をあげる。見た目はどでかい卵焼きだ。

「な、なにこれ、よくわからないけど、そそる」
「まぁ食べて見てよ」
智紀はこの卵焼きに箸を入れる。その途端スパムが顔を出す。
「おお!スパムが入ってる。いただきます!」
智紀はスパムに載せた卵焼きを合わせて頬張る。

「ふわふわした卵焼きとスパムが絶妙、しかもなんか満足感がある。夜食べると罪悪感があって更にいいね」
「それスパムの味だけだから、そんなに調味料使ってないのよ」
「へー、加奈、私たちもあれ食べようよ」

「ちょっとつまみますか?」
智紀は勇気を出して皿を隣の君子に差し出す。
「え、なんかはしたないけど、ちょっとだけ」
まっちゃんが新しい箸をスッと差し出す。
「さすがまっちゃん」
君子は恐る恐る取り箸でスパム卵焼きを取る。
箸を持ち変え口に入れる。
「あー、なんか懐かしいような感じ。美味しい。まっちゃん、これ私たちも一つ。食べれるかな」
「あ、藤村さん、三等分しません?」
加奈が藤村に聞く。
「え、ああ、良いですよ。アテになりそうだし」
結局そーいうことになるのか、今夜は完全に負けだ。

「藤さん熱燗お待たせ」
「あ、ありがとう」
藤村はマイペースで熱燗をちびちびやり始める。

「はいよ、スパム卵焼きまっちゃん風」
「うわー!いい感じ!」
二人の女性が嬌声をあげる。
「はい、藤さんどうぞ」
「どうも」

智紀はそのやりとりを横目で見ながら、自分のスパム卵焼きを貪り、ビールで流し込む。
「うめー!ビール」
結局元通りだ。いずれわかる時が来るだろう。今夜は相手に花を持たせよう。
まっちゃんがそんな智紀の表情を見て笑う。

「まっちゃん、お会計」
「あいよ、2000円」
「あれ、安くない?」
「スパム卵焼きはサービス。勇気ある敗者に」
「なんだそれ。まぁいいや、ありがとう!また来るね」
智紀は席を立った。
隣の女性二人と藤村も智紀に手を挙げる。智紀もしぶしぶ手を挙げ、「また」と呟く。考えてみれば彼らは何も悪くない。一人相撲をとっていたのは自分だけだった。

「またね智紀」
「うん、おやすみ」
まっちゃんと挨拶を交わし、智紀は店を出た。
思い返して見ると一連の行動はやけに恥ずかしく思えてきたが、きっとこうやって大人になっていくのだ。次来る時はまた成長していればいいや。いつのまにか振られたことなんてどうでも良くなっていた。

「なんだかんだでこの店のおかげなのかなぁ」
智紀は白い息を吐き出しながら独りごちた。

夜空に冬の大三角が綺麗に見えている。
こんな都会のど真ん中で。
なんだか清々しい、それでいて温かい気分になっていた。
















































































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