雨と宝石の魔法使い 第四話 リリーフ街の秘密

武藤響(むとう ひびき)は仕事からの帰り道、いつも一つ手前の駅で降り、自宅まで歩いている。40歳を越え、体力の衰えと、腹の出た中年の身体を憂慮して始めた習慣だった。

自宅の最寄り駅の手前にある武蔵橋駅には、小さな商店街「リリーフ街」が駅のロータリーから直結しており、夕方は地元客で結構な賑わいを見せていた。

今日も武蔵橋で降りるとそのまま大通りを通って自宅へ向かおうとしたが、花粉症の薬が切れていたことに気づき、初めてアーケードを潜り、商店街に足を踏み入れた。

そこはまるで昭和初期のような、いや明治・大正というべきか、ノスタルジックな雰囲気を感じさせた。

買い物客の服装もドレスにシルクハットなど妙に気取っている。ガス燈で電気がついており、すき焼き屋などがある。

今日はなにかのフェスだろうか、響は看板などを探した。しかしどこにもない。

「ルービンリキ」
看板もよく見ると右から左に文字が書かれている。よく出来ている。

予想外の出来事に、響は今夜はこのイベントを、楽しむことにした。

「危ないよ兄さん!」
手引き車にお客を乗せた運転士が淑女を乗せて響のすぐ後ろを通り抜けていく。
まるで浅草の雷門だ。

これは掘り出しもんだな。響は良い匂いが漂ってくるすき焼き屋に惹かれてフラフラと近づいた。和服に白い紐を肩に巻いて袖をまくったいかにも給仕姿の女性と目があった。
「あら、なんか変なかっこのお兄さん、安くしとくよ、牛鍋食べない?うちのは本当に美味しいよ!なんたってあの大久保利通さんも来たことあるんだからね!」
「え、ああ」
響の好きな気の強そうなタイプの女性だ。それに大久保利通ときた。気合の入った演出だ。
「じゃあ、お願いします」

「何名様?」
「いや、一人です」
「あら、そうかい。まぁ一人でも楽しめるよ。どうぞ」
給仕に手招きされ店に入った。

中は予想外の人で混雑していた。
「あら、ごめんなさい、結構混んでて、相席でもいい?」
「え…」
「凄い若くて美人の前だからさ」
「え、で、では」
「現金な人ね、ま、嫌いじゃないよ私は」
そう言うとカラカラと笑いながら、席に向かう給仕に響はついて行った。

まさかあの席じゃないよな。
20歳過ぎの美しすぎる美人が一人で牛鍋をつついている。

給仕はその席に近づく。ま、まさかな。幸運にも程がある。
「お姉さん、相席いいかい?危ない人じゃなさそうだからさ」
「うむ仕方ないな。構わんぞ」
喋り方は武士のような古さがあるが、何かのキャラクターのマネだろうか。特に気にならない。
「すみません、相席で」
「かまわんかまわん、ただし、ビールを一杯おごれよ」
「は、はい勿論」
「案ずるより産むがなんとかだね」
給仕はそう言いながら厨房に入って行った。

すぐにビールが二つ運ばれてくる。うまそうだ。
「じゃあ、乾杯」
二人は流れで乾杯した。

「ここは、やはり牛鍋ですか?すき焼きですか?」
響は恐る恐る女性に聞いた。
「まずは名を名乗れ小僧」
「え?あ、ああ、私は武藤響です。ひびきって呼んでください」
「では、ひびき。君の質問に答えるが、牛鍋もすき焼きもこの店では同じだ。名物だから頼むと良い。二人分な。わたしのお代わりも頼むぞ」
「え、あ、はい、わかりました」

「すいません!」
「あいよ!」
「あら旦那、うまくやってるかい?」
「あ、いや、まぁ…はは。えっと、牛鍋二人前。、それとかぶらのおしんこと、かまぼこ、煮豆を」
「あいよ!」
給仕は忙しそうに去って行く。

「あの、あなたは?」
「露露だ」
「露露さん…あの、お綺麗ですねものすごく」
「気を使わなくていいぞ。まぁその通りだが」
「は、はぁ」
なんだか老人と話しているような、不思議な感覚になる。

いや、しかしこんなチャンス滅多にない。勢いが大事だ。響はビールを一気飲みした。
「いい飲みっぷりだ、わしも追いつこう」
そう言うと露露はグイっとビールを飲み干した。
「ぷはー!やはりビールはいい、アテネ時代にも飲んだが現代のものは比べ物にならんな。はははは」

「え、アテネ?」
「あ、いやいや、気にするな小僧」
結局小僧か…まぁいいや。
「ところで今日は明治大正時代フェスとかですか?あなたの喋り方も服装もなにかのキャラクターですか?」
「何を言っておる?普通だろこれが」
「いやいや、そんなダメですよ気合の入った演技をしても。僕はさっきふらっとこの商店街に入ったので、まだ街のアトラクションの雰囲気に馴染めてないんですから」
「そうか、ではもういっぱい飲め。次は赤ワインにしよう」

「おい!」
露露は給仕を呼んだ。

「はい。あらお姉さん追加?」
「ああ、赤ワインを瓶で頼む」
「ハイカラだねぇ。いいのあるよ。他の客にあまり見えないようにね」
「ああ。心得た」
「いや、ほんと何時代だよここ。ははは」
「だから明治だと言っておろうが、不思議な奴だ」
「へ?」
いやいや凄い設定に頑固な女だな。まぁいい、俺も付き合うとするか。

赤ワインが運ばれて来た。
響は、グラスにワインを注いだ。
「洒落た注ぎ方を知っているな。さすが未来人気取り」
「なんだ気づいているのか。良かった良かった」
二人はまた乾杯した。

今度はワインだ。酔っ払う速度も速い。響は少し邪なことを考えた。
「今儂を酔わそうと考えたか?小賢しい」
「いや、何を言ってんの。そんなことないよ。まぁでも飲みましょう!」
響はぎくりとしたが、勢いで押し切った。露露はそれを見てニヤリと笑った。

「なんか酔っちゃったかな」
そう言うと、露露は響きの手を触る。
「あったかーい」
響の鼻の下が伸びる。
「そうかなぁ。そう言いながら響も露露の手の上にもう一方の手を被せる。
単純な男だ。再び露露はニヤリと笑う。

「露露さんは彼氏いるの?」
「いないよ」
「こんな可愛いのに?」
「私なんて全然可愛くないよ」
「そんなことないよ」
「あるのよ、だってもうおばあちゃんだもの」
「何言ってんの!そんなわけないじゃん」
「え、じゃあ優しくしてくれる?」
「当たり前だろ、この後はうちで飲み直そう。近いから」
「え、大丈夫かな…」
「何もしないから」
本当にチャンスが来た!

「お会計お願いします」
「おらお兄さん、もしかして宜しくやったのかい?隅に置けないねぇ」
「いやいや。じゃあ二人合わせて百円くんな」
「嘘だろ!そんな安いの?」
「そんなって、お兄さん随分と金持ちでんな」
響は100円玉を出した。
「お兄さん、そんなおもちゃの100円はダメですよ。お札を」
「え?あ、もしかして入口で引き替えておかないとまずいやつだったか。どうしよう…」

「なんだ小僧金がないのか?」
露露が後ろから近づいてくる。
「いや、あるんだけどさ、このアトラクション用のお金には引き換えてないんだ」
「ふむ。ならここはわしが出そう」
「え。悪いよそれは」
「何構わん構わん、気にするな」
「まいど、じゃ楽しんでねお二人さん」
そう言うと給仕は奥へ引っ込んだ。

「ごめんね露露さん」
「気にするな、よし飲み直そうお前の家で」
「え、本当に来る?」
「当たり前だろう」
響は訝しみながらも露露の手を取って歩き出した。

「手を握られるのは久しぶりだな」
露露はニヤリと笑った。
響は露露の綺麗な顔を見直した瞬間、その顔がグニャリと歪み、そのまま意識を失った。

***

気がつくと、商店街の入口のアーケードにもたれかかっていた。
「お、気がついたか小僧」
「あれ」
露露を見てさっきまでのことが夢でなかったことに安堵した。
「あれ、俺は店を出て…」
「危ないところだったのう」

「え?飲みすぎたか…」
「まぁそれもあるが、すんでの所で引き摺りこまれるところだった」
「え、どこに?フェスに?」
「おめでたいのう。おかしいとは思わなかったのか?」
「え、何が…」
商店街をよく見るとマツキヨやコンビニのネオンが煌々と輝いている。サラリーマンや学生の姿が見える。
「あれ、明治大正フェスは?終わった?」
「やはりな…。貴様はこのアーケードを潜った時、時間を飛び越えたのだろう。危うく二度と戻れぬところだったぞ。リリーフピッチャーに抑え込まれてな。はは。わしに感謝せい」
「え、そんなこと言われても、嘘でしょ」
「おかしいと思わなかったか?全てが」
「あ、いや確かに。でも露露さんが綺麗なもんでつい…」
露露はニヤリと笑った。

「長居は無用じゃ、離れるぞ」
「う、うん」
「さてと、お主の家に興味はあるが、今夜はなんだか嫌な気配がまだ残っている。ここでお別れじゃ」

「え、そんな…」
「そんな悲しい目をするな。また縁が合えば会えるであろう。武藤殿」
「あ、あぁ」
「ほれ、これをやろう。再びお前を守ってくれるだろう。あの時のようにな」
「え?これって凄い宝石じゃないか!サファイアかな」
「そうだ。これを首にかけて今夜は寝るんだな。さすればもう巻き込まれることもないだろう」
「あ、あぁ」
「素直が一番じゃ。ではな響」
そ言うと露露はまた商店街に戻っていった。

響は露露の後ろ姿とサファイアを交互に見た。なんだかきつねにつままれたような気がした。露露が去ると雲が消え、月が明るく輝いた。

私は雨と宝石の魔法使い。雨宮露露。
今日も人知れず世界を守っている。



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