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大好きなウズベキスタンのこと。地下鉄編

毎日note更新 Day9     

海外協力隊で1年ほど住んでいたウズベキスタン。日本に帰ってきて、どんどん記憶がかすんでいくのが寂しい。日本の生活に溶け込んでいると、私は本当に住んでいたのだろうか?と不思議に思えてくる。

そんなときに思い出させてくれるのが写真だ。写真を見返すと、撮った瞬間の思いが蘇る。少しずつ記憶をたどって、「大好きなウズベキスタンを振り返るシリーズ」をやろうと思う。

今回のテーマは地下鉄。ウズベキスタンの地下鉄は、日本の地下鉄と全く違う。

第一弾のテーマとしては変わっているかもしれないけど、印象的だったので当時の気持ちと写真をつらつらと書いてみる。

待ちに待った地下鉄

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ウズベキスタンに来てまだ1ヶ月目のとき。階段を降りると幻想的な世界があった。「ウズベキスタンの地下鉄は、すごく綺麗なんだよ」先輩や先生にそう教えてもらっていたから、期待はとても高まっていた。

背の高い、制服をミッチリ着ている警察官から荷物のチェックを受ける。昔ながらのガッシャンと大きな音がなる、回転式の改札を通過する。旧ソ連の軍隊の、ひんやりとした無機質さがある。大理石のような、石の壁に囲まれているからか、しんとしている。人もまばらだ。

幅の広い階段を降りていくと、ホームがある。日本の窮屈な地下鉄に慣れているのもあるけど、天井がすーっと高くて、広々とした空間が広がる。階段の脇には、天井まで届く見事な装飾があって友達と「わぁー」と見上げた。

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ホームには時刻表がなく、あるのは赤く点灯した時間の表示がふたつあるだけ。今の時間と、何分前に電車が来たか。比べてみると、日本の表示は忙しいなあ。

しばらく待っていると電車がきた。初めて見る車体の色。何年も使い古されたようなどこか懐かしいブルー。この色が好きだと思った。

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友達と、先生と一緒に、初めての地下鉄に乗り込む。硬そうな茶色い座席。よく見かけるチョコレートの広告。結構揺れるのに、つかまるところは必要最低限しかない。

電車が動き出すとゴーっという音が大きくて、しゃべろうとしても声がかき消される。他の乗客もほとんど黙っている。ついつい目線は乗客にいってしまう。

多民族国家であるウズベキスタン。今思えばそのことが一番わかるのが地下鉄かもしれない。ヒジャブを巻いた目鼻立ちのくっきりした女の人、金髪でロックな服を着こなす若い兄ちゃん、柄on柄な服装でも気にしないぽってりおばあちゃん。肌の色も目の色も多種多様。中央アジアのど真ん中、シルクロードのオアシスとして存在してきた国。地下鉄という近代的な乗り物で、その国の歴史を感じる。

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地下鉄の匂い

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ウズベク語を教えてくれた先生が教えてくれた。
「地下鉄は、いい匂いがするんだよ。」

聞いたとき、日本の地下鉄で想像していたからびっくりした。地下鉄なのにいい匂いとは。すごく楽しみだった。

そして実際に行ってみると、その匂いは本当にした。といっても人口的に匂いをつけているわけではない。なんだろう、「おばあちゃん家の押し入れにしまわれていた、思い出の品についている匂い」といったらいいのかな。建物の奥底に染み付いた、古ぼけた匂いがする。

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埃っぽい匂いのような。もしかしたら人によってはいい匂い、にはならないかも。でも私は好きだった。ただ単に先生が素敵だったからなのかもしれない。「地下鉄はいい匂いがする」というその感性が素敵だなと思った。

先生は、長野の研修所でウズベク語を教えてくれた人。「ウズベキスタンは美女が多い」という言葉通り、背が高く鼻の通った美人さんだった。
とても優しく、優しすぎて、生徒である私たちの成績が悪いときも強く言うことはなかった。怒ると言うよりも悲しむタイプで、悲しむ先生が見たくなくて頑張っていた気がする。

語学のテストに合格しないと、派遣資格がもらえない。私は焦っていたこともあり、休み時間に声をかけて教えてもらうこともあった。そんな時も快く答えてくれた。ときどき話の流れで、ウズベキスタンのことを教えてくれた。祖国が大好きなんだな、と伝わってきた。

祖国から遠く離れた、長野の山奥で頑張っていた先生。地下鉄を使うたびに、先生の優しさと強さを思い出した。私もウズベキスタンでは学校の先生という同じ立場だったこともある。見知らぬ土地でも、先生のように頑張ろうと思えた、そんな思い出。

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