見出し画像

【札幌駅前で健康づくり✖️まちづくり】人体改造カラダコラム vol.60

人体改造カブ式会社とは、札幌駅前通地区全体の健康=エリアヘルスマネジメントに取り組むプロジェクトです。今回で60回目!人体改造カブ式会社 シャインの田中裕子さんです。残暑が続きますが、体調に気をつけて過ごしましょう🫠


ZANNSYOざんしょ
 
残暑お見舞い申し上げます。
 
「今年の夏も暑かったね」 友人に話すと、「え⁈ うちでは今年、エアコンを数回しか使わなかったわよ」との返答がありました。
友人曰く、去年の夏は暑かったけれど、比べると今年の札幌は過ごしやすかった、とのこと。彼女的には35度越えの日が続いて「暑い夏」といえるようです。確かに、猛暑日は昨年の半分以下でしたね。

うぅむ「流石の余裕」としか表現する言葉が出てこない。当方三代続く生粋ドサンコ(?)なので、そんな暑い日が続いたら、身体も脳みそも溶けてしまう~~~(;^_^A
 

子供の頃から寒さよりも、暑さの方が苦手でした。
夏の外出中に身体がだるくなり、帰宅後も頭痛や吐き気に悩まされる事が多かった事を記憶しています。そんな状態になるまで出歩いていたことを咎められるのが怖くて、親にバレないようコッソリ布団に潜り込んで、具合の悪さが収まるのをじっと待っていました。今思うと、あれは熱中症だったのかもしれません。解っていたら、もう少し対処のしようがあったのになぁ、と、今頃になって苦笑いしたりして。

昭和の時代は「熱中症」などというハイカラ(?)な言葉は、それほど認知されていなかったように思います。代わりに使われていたのが「日射病」とか「熱射病」とかいう言葉でした。だから、帽子を被って、直接太陽の陽射しを浴びていた訳でもない子供が具合が悪くなっても、親は何故具合が悪くなったのかピンとこなかったのでしょうね。

それに当時は、水のペットボトル販売もあまり多くは無かったように思います。水の摂取が、今ほど重要視されていなかったのでしょうね。先日、夏休み中の子供達が普通に水筒を持ち歩いて飲む姿に、時代の違いを感じました。私の場合、水筒は遠足に持っていくもので、普段遊びに出る際の持ち物としては「邪魔」とさえ思っていました。喉が渇けば公園の水飲み場で水を飲んでいましたし、もっと自然が多い地域に移り住んだ際には、友人達から紫詰草(ムラサキツメクサ)の蜜を吸う事を学びました。思い出すと、随分ワイルドライフ的な環境で自分は育ったのかもしれません。

運動する際も、水を飲むのを我慢するほど強くなる(?)みたいな風潮がありました。どれだけ我慢すれば試合に勝てるのだろうか、と、純粋に悩んだ時期もありましたが、切り替えの早い子供だったので「自分は、巨人の星の星飛雄馬やエースをねらえの岡ひろみではないのだから無理!」と、さっさと勝つことを諦めてしまったのでした。

ただ体験談として、運動中に急激に水分を摂取すると具合が悪くなります。喉が渇いているのに、食道がきゅっと閉まって、水を拒絶してしまうような。それを無理に飲むと吐いてしまうという事を結構繰り返していました。多分、胃腸に負荷がかかり過ぎたのだと思うのですが、血中のナトリウムが薄まるのも良くないと思うので、暑い日は水分の摂取方法にも注意が必要ですね。

夏になると、実家ではやかんで煮出した麦茶を作っていました。母は、それに塩を入れてくれました。汗で失った塩分補給のためだったのか、単に味覚の差なのか真相は明らかに出来ませんが、おかげで私は「麦茶はショッパイもの」だと思って成長しました。大人になった自分が作った、水出し麦茶がとても薄味に感じています。この齢になると塩分の摂り過ぎの方が心配だから、これはこれで仕方がないと思うようにしています。
 
「暑さ寒さも彼岸まで」と云いますが、つまり秋分の日(9月22日)までは暑い日がありそうという事ですよね。異常気象、地球温暖化、コンクリートジャングル、etc…。建材や工法の技術が進み、冬の隙間風に悩むことが無くなった分、夏に密封性の高い室内で熱中症になる方が増えたとも言われます。エアコンを上手に使いたいと思う反面、つい電気代の事を考てしまいますよね。

皆さんも、今しばらく、熱中症に気をつけながらお過ごしください。

シャイン 田中裕子


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?