【映画評】「パラダイス‐人生の値段-」が描く寿命を売買される近未来 止まらない気候変動と映画が映し出す皮肉な答え
編集部 朴偕泰
人工知能のロボットが普及すれば私たちの仕事は無くなるのか、人類が生き延びるには第2の地球を見つけるしかないのか…。私たちが未来社会を想像するうえで、SF映画は一つの「解」を提示してくれると思う。
おぞましいディストピアが待ち受けているのか、それとも輝かしいユートピアがあるのかはわからないが、「ありうるかもしれない」可能性を見たい。これが私のSF映画の見方だ。
ドイツで作られたSFサスペンス映画「パラダイス―人生の値段―」の作品の舞台は、科学技術の進化した近未来社会だ。
寿命を移植する技術が開発され、人生の時間を提供して大金を手に入れることができるようになった。この革新的な技術はAEON(イーオン)という巨大企業が独占・管理していた。主人公のマックスはAEONの優秀なセールスマンとして働き、難民キャンプなどを訪れ、貧困世帯の若者から寿命を奪いながら、幸せな結婚生活を妻のエレナと送っていた。
しかしある日、火の不始末で自宅が全焼し、莫大な借金を背負うこととなる。さらに追い打ちをかけるように、自宅のローンの融資を受ける時に、エレナが自分の寿命40年分を担保にしていたことが発覚。マックスは支払うことができず、エレナは年老いた姿になってしまう。悲しみに打ちひしがれるエレナを見て、寿命を取り返すことをマックスは決心する。
視聴後はバッドエンドでもハッピーエンドでもない終わり方に、なんとも言えない感情でいた。
しかし、この映画は未来社会を想像するうえでは、示唆に富む描写が多かった。寿命を売ることで貧困層の生活は改善し、刑務所では寿命を差し出すことで刑期を務めたことになる。
そして、象徴的だったのが、作中の世界では寿命の売買によって長寿命化した大富豪たちが、気候変動対策へ莫大なお金を投じたことで解決したというシーンだ。
ディストピア映画より悪夢的な現実世界
今年4月、国連の世界気象機関(WMO)のターラス事務局長は、「CO2濃度がすでにこれほど高まっていることから、われわれは氷河を救う試みにすでに敗北した」と話した。
私が高校生だったころに聞いた、「気候変動を止めるタイムリミットはあと10年」という言葉。あれから何年が経つだろうか。あと何年残されているだろうか。遅々として対策が進まない各国政府と経済界を見ていると、絶望的な気分になるが、この映画で気候変動問題は、「自分が生き延びるため」というエゴで解決したようだ。皮肉な表現ではあるが、なるほどと思ってしまう自分がいる。
結局は人間なんてそういうものなのかもしれない。どれだけグレタ・トゥーンベリが叫ぼうと、何人の環境活動家が絵画にトマトスープをかけようと、人々が大事にしているのは「今の自分」でしかない。ニュースから流れてくる世界の干ばつや洪水の悲鳴も、快適さの前では雑音にしかならない。希望をもっていたいとは思うが、地球の未来はあまりにも暗い。
(人民新聞 2023年9月20日号掲載)
この記事が参加している募集
【お願い】人民新聞は広告に頼らず新聞を運営しています。ですから、みなさまからのサポートが欠かせません。よりよい紙面づくりのために、100円からご協力お願いします。