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クララとお日さま 読書感想文1

おはようございます。

カズオ イシグロさんの作品は2作目です。
一作目は「わたしを離さないで」。

カズオ イシグロさんの表現方法なのでしょうかね?
読んでいて出てくる感情?が同じです。

他の作品も興味があるので読もうと思います。


感想1

わたしを離さないでと同じ感覚で読み進みました。というのも読み進めながら、単語や登場人物の単語や登場人物の言動の意味がわからないわけで、一体これはどういうことなんだろう?
この言葉がこれからどう影響してくるのだろう?
と心がざわつく不安感を持ちながら読みます。

作品内での不穏な空気感は僕の心を虜にしていきます。
不安感・恐怖感・不信感。


よく出る単語に「向上処置」とあります。
「子どもの向上・・・処置!?!?」


そうなると美しい世界観は持てなくなり、人類のダークな部分がチラチラと想像してしまうわけです。
この世界の人たちは何を目指すのか?


とにかく先を気にさせる言葉たち。どうなる?どうなる?とずっと読んでいたいと文に魅せられます。


まず第一の感想はそこです。
内容に対してというより、カズオ イシグロさんの小説に対して素晴らしいなという感想です。今回も夢中にさせていただきますね。


感想2

向上処置はこの作品のキーなのかな?と思います。
向上処置って何の向上?となりますよね。

子ども達が受ける何かしらの手術?教育?洗脳?
その辺に触れていないので想像ですけど・・・

処置は受ける子と受けない子がいる。
そして親にも決定権がある。親にしかないのかな?

親(40代付近)世代は旧い世代で向上処置はないようです。
という事は最近の技術?思想?教育方法?みたいです。
旧い世代との大きな違いとして言われていたのは、情動的か?そうでないか?そんな風に書かれています。

その向上処置による弊害が孤独を感じやすくなる?
感じやすくなるというより、他人との繋がり下手になってしまう と解釈しています。

そこでAFの役目です。
AF→Artificial Friend→人工親友ですかね。
単純な表現をするなら話相手ですかね。
世話や教育も含め、話し相手だなと思っています。


作中にある言葉

「あなたのおかげで、その子は孤独の意味さえ知らずにすんだでしょう」


子供が成人するまで一緒にいる、これがAFの仕事・役目。

この世界では子どもたちは孤独になりやすい。
向上処置のデメリットは『思いやり』の心が乏しいことなのかなという解釈です。

向上処置をした子どもたちは思いやりが乏しいので、今後世代交代をしていくとコミュニケーションの停滞が起こり、自ら崩壊を招く悪循環になるかもしれない。と国か企業かが予想してAF開発することで対策したのか?
はたしてどんな狙いがあるのか。

でも本当はただの大人世代のエゴかもしれない。

何らかの手術のようなことを行い、
「優秀な子を作ってあげたい!
将来お金を稼いでほしい!
いい仕事いい大学に入れたい!
生活に困らないように!」と

色々な思いからそういう選択ができる世界なのか?と妄想もしています。

続きの場面にも気になる言葉があります。

「今だから言いますけどね、クララ、私がお世話をしたすべてのAFの中で、あなたは最も驚くべきAFの1人でしたよ。鋭く物事を見通す目がありました。観察力とでも言うのかしらね。目立ちました。そう、全てうまくいってよかった。いくら素晴らしい能力があっても、結果がどうなるかはね・・・」

作品のいたる所に散りばめられたカケラたちが、この文章に意味を持たせている。
クララ(H2型)の能力として秀でた部分は他者の心を観る能力や共感力だと思います。
最新型のH3型は身体能力や学習能力は長けているが、H2は繋がりを観る力に長けている。AF間でもそんな描写がありますね。クララがH3型のAFたちの行動に対いて、あんな事をするAFが子ども達とうまくやっていけるのだろうか?と、そんな描写があります。

クララの秀でた部分の「目に見えないサインに気づき観る力」、それは非認知能力とでもいうのか、まさに現代人に必要とされる力です。

はっきり顕在化する能力や反応・関係は答えとして求められやすいが、同時に相手や状況・不透明な未来など理解し難い状況では反発や分断を生みやすい。違う=不快になるわけです。

受け入れようとせずに突き放すか押さえつけるか・・・

カズオさんがクララを通して、考えさせてくれます。
深く、そして長い目で見るコミュニケーションの大切さ。

人を観ること、心に耳を傾けること(外ではなく内なるもの)。
才能や能力があっても結果はわからないこと。


そしてもう一つ心に残った文章
これはクララが学んだことで一番大きなことなのではないかと思っています。
この世界に存在するとはどういうことなのか です。

「どんなに頑張って手を伸ばしても、常にその先に何かが残されているだろうと思うからです。母親にリックにメラニアさんに父親・・・
あの人々の心にあるジョジーへの思いの全てには、きっと手が届かなかったでしょう。今はそう確信しています」


ジョジーの代替え品として買われたクララ。
ジョジーを学び、来る日の為にジョジーの代わりとなるべくジョジーの全てと、ジョジーの周りを観てきた結果の結論です。
ジョジーがジョジーたらしめる本質的なものは何かわかってしまったわけです。


その子の存在はその体にあるのではなく、周りの人達の心の中にあるからこそ、その子がその子として存在していられる。だから完璧に同じ見た目や動き、同じような思考ができても代替品は代替品のままである。

その子はその子で他の何物でもない唯一無二の存在である。

そして、その心が作用し合って関係を、世界を作っている。

縁起や唯識の話ですね。


感想3

小説を読むだけで、この世界の背景を想像する予想する面白さを実感します。美しくも残酷な儚い光景が脳内映画館で上映されます。
改めてそこに気づき直させていただきました。

図書館本だったので返却になってしまいますが、もう一度読みたいと思う素晴らしい話です。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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